3.闇夜に静まる襲撃者は
「その……急に殺すだとか、いきなり抱きついたりとかしちゃって、ごめん」
「別に気にしてないよ。お互い、特にケガしたとかもないんだし」
あれだけの強烈なパンチを食らって、さらにアスファルトへ背中から派手に落ちた――ともなれば、骨の一、二本くらい折れている事も覚悟していた。
そんな予想に反してすぐに痛みも引き、普通に立ち上がって動くことだってできてしまうのは、あまりにラッキーだったのか、意外にも彼の体が丈夫だったのか。
真相は定かではないものの、ケガをしていないというのだからそれ以上でも以下でもない。
とにかく、神凪には落ち着いてもらえたようで何よりだ。あの時、あの爪でグサリとやられていれば、冗談抜きで死んでいただろう。
まさに九死に一生を得るということわざを、この身をもって体験することになろうとはさっきまでの彼には思いもしなかった。
「アンタ、上鳴って言ったっけ? 隣の席だし、名字くらいは一応覚えてるけど……名前は?」
「御削。上鳴御削だ」
隣の席でも、名前までは覚えられてなかったかー。という気持ちと、せめてもの名字だけ覚えてくれているだけでも僥倖なのか、という複雑な気持ちが入り交じる。
ちなみに余談ではあるが、彼女――神凪麗音は、名前さえ覚えられていない彼とは対照的に、クラスの垣根を超えて学年中でもちょっとした有名人であった。
綺麗な赤髪にルビーのように輝くキレイな瞳。整った顔立ちに、スタイルも抜群という完璧美少女にもかかわらず、一癖も二癖もあるその性格故に、ソース不明の噂話がうんと作られるくらいだ。
「ねえ御削。この後、予定は空いてるかしら?」
「いきなり名前で呼び捨てかよ!? まあいいや、特に用事はないけど」
「そう? それじゃ、御削。これからアタシの家に来てくれるかしら? 今日アンタに見られた事について、落ち着いた場所でじっくり話しておきたいと思ったの」
あまりに突然なその誘いに、上鳴は『お前は何を言っているんだ』状態に陥ってしまう。クラスメイトとはいえ、名前すらたった今知ったような男を普通、いきなり家に上げるだろうか? ぶっ飛んだ性格と評判の彼女だったが、その言動もやはりぶっ飛んでいた。
「いやいやいや、いきなり俺が家に行っても大丈夫なのか? 親御さんとかに見られたらマズイんじゃ……」
「それなら平気よ。アタシ、一人暮らしだし」
それならば安心……となるはずもなく。これはあくまで一例を挙げただけであり、まず彼がいきなり神凪の家に上がり込む時点で色々と問題なのではないか? と何故か彼の方が心配を感じてしまう。
「でも、やっぱり家まで行くのは流石に気が引けるっていうか……」
「このアタシに向かって、あれだけの事を言っておいて。アンタってもしかして、意外と中身はヘタレなのかしら?」
おいヘタレって。こっちは神凪に気を遣って言っているというのに、まったく無神経なやつだ――と憤慨する上鳴に、神凪は続けて。
「まあいいわ。じゃあこれは命令よ。……これからアタシの家に来なさい、御削」
「はあ、分かったよ。そこまで言うなら行くよ。ヘタレとか言われるのも心外だし」
渋々……という雰囲気を出してはいるのだが、女子の家などそう入る機会もないので少しくらいは楽しみな気持ちもあった。本当に少しだけ。
相手は美少女といえど、冷たく無慈悲で人とあまり積極的に関わろうとしない、ぐにゃぐにゃにねじ曲がった性格で有名な。しかもついさっき、こちらを殺ろうとしてきた神凪である。
少し楽しみといえど、恐怖感と天秤にかければ、どちらかと言えば後者が勝つだろう……なんて間違って言ってしまった日には、彼女ご自慢の鋭い爪で挽き肉コースは免れないため、絶対口に出してはいけないのは最早お約束だろう。