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2.闇夜に光るルビー色の眼

 あまりに衝撃的な光景から逃げるように、早歩きで校門を抜け出して。


 上鳴御削(うわなき みそぐ)は、『明日どうしよう……いや、あれは幻覚であるはずだ、だから気にすることじゃ……』なんて自問自答を心の中で繰り返しながらいつもの帰り道を歩いていた。


 彼の通う『市立稗槻(ひえづき)高等学校』は、住宅地のど真ん中にひっそりと建っている、特にこれといった特徴もない普通の高校だ。


 この稗槻市がまず、住宅街ばかりが広がっている地域であり、それ故にこの時間帯にもなれば必然的に人通りは少なくなる。


 何もない住宅街に残されているのは、恐怖感さえ煽られるような静けさだけだった。



 二月といえば季節は冬。スマホで時刻を確認してみても六時前……にも関わらず、陽は落ち、あたりはもう真っ暗である。時間自体は変わらないのに、真っ暗だとなんだか損したような気分にさせられてしまう。

 

 街灯にも照らされていない影であれば、ちょっとくらい悪いことをしてもバレなさそうな。そんな目立たない道を歩いていたのも災いしたのかもしれない。


「……はあ、はあ……。ちょっとアンタ、待ちなさいよ。見たんでしょ? アタシの……」


 帰路につく彼がまったく気づかないうちに、その背後から飛び込んできたのは――聞き覚えのある、一人の少女の声だった。どこかツンと尖った印象で、何ならついさっき聞いたばかりの声で。


 振り返るとそこには。白い街灯で照らされた赤いショートヘアに、薄暗いせいか、より一層宝石のように輝いて見えるルビー色の瞳。上鳴の通う稗槻高校の女子制服に身を包んだ少女が立っていた。


 神凪麗音(かなぎ れおん)。クラスメイトであり、しかも隣の席に座っている女子。……だが、彼女と話した事はほとんどない。軽い会釈くらいなら一方的にすることはあれど、さっきの教室での会話が初めてみたいなものだった。


「げっ、神凪さん!? その、さっきは……ごめん。悪気はなかったんだけど、物音がしたからつい、気になっちゃって」

「ああ、言い訳は別に求めてないわよ。……んで、単刀直入に聞く。()()()()()?」


 この場合、どう言葉を返せばピンチを乗り越えられるのだろうか。彼に残された選択肢――つまり、あの教室で見たものは()()ある。


 ただし、その選択肢のうち一つは、きっと幻覚であると自分の中で整理をつけたはず。とすれば、彼が返すべき言葉、選択肢も一方に絞られた。


「見たって……その、神凪さんの……()()()、の事?」

「ばっ……バカっ、そ、それもそうだけどっ! アタシが言ってるのは、その……。アタシの、()()()姿()の事よっ!」


 神凪がたまたま教室で着替え中で、それを間違えて覗いてしまった――ならまだどれほど良かった事だろう。軽く大問題になりかねないデリケートな事柄で、決して良いとは言い切れないにしろ、まだ彼の中の『常識』で説明がつく範疇だった。


 だが、彼女の言葉が『あり得ない』と切り捨てようとした記憶さえ、事実へと変えてしまったのだ。


 赤い肌と黒く鋭い爪の生えた両手両足に。背中からは深紅の翼がバサリと開かれていた、やはり信じがたいあの光景を、だ。


 だが、それが彼の思い違いではなく紛れもない事実であった以上、見ていないなんて言い逃れはできそうにもなかった。ここで嘘をつくのは、この一件をさらにややこしくしてしまうだけにも思えたからだ。


「ごめん、見たよ。その、手足と……翼を」

「……はあ。やっぱり見られてしまったのね」


 取り返しのつかないことになってしまった、と深くため息を吐きながら。赤髪ショートの少女は、冬の夜よりもさらに冷たい声で。


「なら、ここで殺すしかないわ」

「……へ?」


 その言葉とほぼ同時。少女の右手が、白い街灯といった人工的な光とはまた違う、どこか幻想的な赤色の光を放ちながら。――ドドゴオッ! と唸る音と共に、陸上部でも顔が真っ青になるようなスピードで、上鳴の元へと突っ込んでくる。


 走る最中。彼女の右手から、やがて赤い光が収まると……やはり人間のものではない、獲物を刈り取る為の黒い爪を携えた異形の手と変貌していた。


「いやいやいやいやちょっと待て、一度落ち着いて話をしようっ!」

「見てしまった以上は、何があっても殺さなくちゃ。仮に、アタシの正体が広く知れ渡ったら困るん――だからッ!!」


 鋭い凶器を前にした上鳴へと備わる、五感をも超えた何かが、瞬間的に『マズイ』という三文字を必死に訴えかけてくる。


 地面へ派手に転ぶのと、あの黒い爪がこの身に突き刺さるのと。どちらが致命傷かなど考えるまでもない。彼は、受け身もなにもないデタラメな体勢のまま、左前方へと体を無理矢理に倒す。


 その直後。彼の右肩スレスレを、神凪の赤い右手が通り過ぎていった。それだけでもぞわっと全身に悪寒が走るが……ひとまず、一撃は回避した。ホッと安堵のため息でも吐こうとしたその時。


「あ、危なかった……。って、嘘だろおい!?」


 それも束の間。攻撃を外し、勢いのまま通り過ぎていったはずの神凪が、その場で体操選手も顔負けの華麗なバク宙を決め、こちらへ戻ってきたのだった。


 頭上から降ってくる神凪は、黒く鋭い爪を構えている。……あんなものが体に突き刺されば当然、痛いどころの話じゃ済まないだろう。地面を這いつくばる格好で、少しでもその場から離れる。人間、追い詰められた時には意外と動けるものなんだなと身をもって感じていた彼の、すぐ横で。


 ――ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!


 腰の抜けた四足歩行みたいな状態から何とか立ち上がったばかりの彼が、音に釣られて後ろを見るが、もう唖然とするしかない。


 大地をも揺るがす轟音と共に、元々彼がいたはずの場所にぼっかりと大穴が開いてしまったのだ。一瞬でも逃げ遅れていれば、きっとあの穴の一部分にされていただろう。


「し、しぶといわね……。でも、()()()()()


 あまりの衝撃に、ぽっかりと口を開けて立ち尽くす上鳴とは対象的に、神凪はこの異次元染みた戦いでさえも動じずに。さらに続けて、その右手をこちらに向けて振るう。


 そもそも、二人の立つ土俵自体が別次元だった。相手が女の子とはいえ、並の高校生を凌駕する身体能力、確実に相手の命を刈り取る右手。ケンカ慣れしている訳でもなければ、普段から体を鍛えたりもしていない彼では、到底勝てるはずもない相手だった。


 アスファルトの地面に大穴を開けてしまうほどの、圧倒的な力の格差を前にして。戦意喪失。彼にはこの言葉がピッタリだろう。


(俺は、ここで神凪さんに殺されるのか――)


 これから自分の身に起こるであろう内容を、心のなかでわざわざ復唱して。真っ直ぐに向かってきた拳に抵抗する事も諦めて、あまりに理不尽な力の差から放たれる一撃を、彼はただ受ける。


 殴り飛ばされる――という言葉はあるが、実際に体が宙に浮くほどに飛ばされるなんて事はそうないだろう。もっとふわりとしたものをイメージしていたが、重力のせいか、意外にもずっしりとした感覚らしい。


 そして、彼は同時、こうとも思った。


(……()()?)と。


 そもそも、受けた攻撃が『打撃』である時点でおかしかったのだ。叩きつけるような痛み、思いっきり吹き飛ばされる――それだけで済んでいるのは、一体何故だ?


 だって、その赤い手から生えている、鋭く尖った爪を深くまで突き刺された方が彼にとっては明らかに致命傷で、確実にその命を奪えたはずなのに。彼女は、それをしなかった。


 空中でぐるんと一回転。そのまま地面に叩きつけられて、背中に激しい痛みが電流のようにズキンと走る。


 そんな状態の中で、彼はなんとか息を絞り出して、倒れるこちらを見つめる神凪に向けて問いかける。


「なん、でだよ……っ」

「なんで、って? そりゃ、アタシの秘密を知ったんだもの。ここで死んでもらわないと困るってさっきも言ったはずだけど?」


 あまりに的外れな回答を、軽く払い除けるかのように。


「いや、俺が殺されるべき理由じゃなくて――()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 神凪は、盲点を突かれたかのようだった。時間が停止したように思考が止まり、答えが返ってくる気配さえなかった。


 なので、上鳴はさらに追撃の如く続ける。彼の考えはあくまで、勝手な憶測でしかないのだが……きっとそうだろう。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ、あ、アタシに限って、そんなことッ!!」


 慌てて否定する。そんな彼女の様子が、彼の憶測が正しかった事を証明しているようだった。


「別に、俺は誰彼構わず話したりなんかしない。口の堅さには自信があるんだ。……だからもう、止めてくれよ。そこまで無理して強がってまで、さ」


 大体、ここまで分かりやすいサインもないだろう。……本気でこちらを殺そうとしている相手が、どうして。こんなに辛そうで、悲しげな顔をしているのか。


「う、うう、――うわあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんっっ!!」


 神凪は、自ら放った攻撃のせいで倒れる彼の元に走ると、そのルビーのような瞳から涙をこぼしながら、その体を抱き寄せる。


 そんな彼女の両手は――さっきまでの赤い鱗に黒く鋭い爪の生えた異形のものではなく――小さくて柔らかく、温もりの感じられる。ごくごく普通な少女の手へと戻っていた。

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