10.『箱園紗々羅』を呼び起こせ
「天壁・ミツマタノハ」
上鳴の、強烈な右ストレートが巫女に向けて放たれる。が、とっさに展開された、ガラスのように透き通る盾によって、軽々と受け止められてしまう。
それでも彼は、右拳を戻すどころかさらに押し付けるように、力を込めていき――バリバリィィッ! と耳に触れる音を立てて、盾は粉砕される。
その瞬間を伺っていたかの如く、巫女は続けて。
「天縛・サラソウジュ」
上鳴の左右から伸びる、二本の白い鎖が彼の両腕に絡みつく。ちぎれてしまいそうなまでに強く縛られたそれを、必死に振りほどく。
その間に巫女は一歩下がり、再び開いた間合いを上鳴が詰めようとした所で、巫女は唱える。
「天剣・グラジオラス」
巫女の右手に、先端が反った奇特な形状をした深緑色の剣が現れる。その切っ先をシュッと優雅な流れでひと振り。
しかしそれを見切り、寸前の所で後ろへ下がり、再び間合いを詰めて――初めて、彼の右拳が巫女の姿を捉えた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッッ!!」
「がっ、はああ……! 流石ですね、上鳴様。恐らく他の二人ではここまで私を追い詰める事などできないでしょうから」
「そうか? 俺はどこまでいっても、普通の高校生なんだが……なッ!」
体勢を立て直した巫女の、深緑の剣による横薙ぎの一撃が、再び上鳴へと襲い掛かる。
それに対して、彼は上から叩くように左手を振り下ろし――バシイッ! と、緑の刃を横からへし折った。
「天棘・ダークローゼン」
剣の一撃では仕留められないと読んでいたのか、続けざまに次の詠唱へと移る。
次は巫女を中心に、全方位へと弾幕を形成するかのように、黒いトゲが大量にばら撒かれた。
当然避けられず、上鳴の全身へとそのトゲが痛々しく突き刺さるが――彼の動きは止まらない。
痛みを堪えつつも一歩踏み込んで、上鳴は再び右ストレートを放つ。
「天拒・アザミナグサ」
だが、また別の詠唱と共に。箱園の元から見えない衝撃波が放たれ、逆に上鳴は身体ごと宙を飛び、跳ね返されてしまう。
そこへ、巫女の追撃が放たれる。
「天罰・キョウチクトウ」
服の内側から取り出した白い御札を数十枚、同時に撃ち放つ。
それらは宙を飛ばされる上鳴の身体へ、次々と突き刺さる。
やがて金色に発光を始めた御札は、彼の体内に『苦痛』そのものを流し込む。痛みや不快感といったものを介さない直接的な苦痛は、常人に耐えられるはずもない。
が、逆に――その苦痛に耐えられるとすれば。
「んぐっ――うおおおああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
物理的に身体が動かなくなる訳ではない分、まだ良心的な攻撃とも言えるだろう。
地面にスタリと着地した上鳴は、金色に光る御札が刺さったまま、再び巫女の元へと向けて走り出す。
「天棘・ダークローゼン――ッ!」
二度目の、黒いトゲが織りなす雨。既に彼の身はボロボロではあるが、彼女の圧倒的な手札の多さを凌駕するにはこれしかない。
「――ッ、負けるか、よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
次々と黒いトゲが新たに突き刺さる。その度に、赤い鮮血が飛沫を上げるが、彼は止まらない。
様々な技、多くの手札でこちらを翻弄するのなら、それら全てを上回る一撃が、たった一枚あればいい。
それが、彼の場合――『自らの負傷も顧みない突撃』だ。
「天壁・ミツマタノ――があああああッ!?」
新たな詠唱を紡ぎ切る前に、その言葉ごと、上鳴の拳が巫女を殴り飛ばした。
ダン、ダン、ズザザザ……と、地面をバウンドして転がっていった箱園が動く気配はない。
「……やった、のか?」
全身、血まみれの上鳴がそう呟く。どうやらあの巫女の意識を飛ばす事に成功したらしい。
あとは、戻ってくる人格が『隠祇島の管理者』ではなく『本来の箱園紗々羅』であることを願うのみだが……しばらくして、倒れた彼女が再び動き出す。
一瞬、上鳴は身構えたが、その声を聞いてすぐに彼は警戒を解く。
「う、ううぅ……。ふう、すっかり負けちゃいましたね。流石です、なーくんは」
戻ったのは、隠祇島の管理者ではない――本来の、箱園紗々羅の意識だった。