9.瘴気を放つ魔女
「そうだ、丁度近くだし……さっきのお店の人、きっとまだ戦ってるわよね。少し様子を見に行こうかしら」
上鳴や許斐と分かれ、別行動を始めた神凪麗音。かといって、特に探すアテもないので、せめて何らかの目的を持って動こうと考えた彼女は、ふと思い出す。
神凪と上鳴の連携による一撃でも倒せずに、逆にピンチへと陥ってしまったあの時。横から毒々しい瘴気を放ち、寸前の所で助けてくれた、喫茶店の店員さん。
彼女が凄まじい力を持つ『魔女』であるのは確かなのだが、それでいて安心感はあまり感じられなかった。あの力を使い続けて、一時間……もしくはその半分もすれば、その使い手側から破綻してしまいそうな。それほどまでの、不安定な力に感じられるのだ。
記憶を頼りに、喫茶店までの道を進んでいくと、次第に道のあちこちに紫色でドロリとした水溜まり――毒溜まりとでも呼ぶべきか――が現れる。
周囲の木々や草花は枯れ落ち、土地そのものが死にかけているようにも見えた。
「凄まじいわね……。そりゃ、あの場にアタシたちもいたら巻き込まれて終わりだわ」
まだ、あの喫茶店周辺までは一キロ程度の距離がある。それでいてこの状態なのだから、中心地はさらに凄惨な事となっているだろう。
やがて、土地の生気は完全に消え失せ、毒の支配が強くなっていったその場所にて。
銀色の長髪を地に着け、見るからに苦しそうにその場でうずくまっている女性の姿があった。この毒を振り撒いた張本人である魔女だった。
「……ちょっ、大丈夫!?」
と声を掛けつつも、見るからに大丈夫ではないのですぐさま加勢する。
向かってくる金色の拳を、右手で受け止めた神凪へ。安堵からかその場でぐったりと倒れてしまった銀髪の女性が、絞り出すような声で。
「どう、して……戻ってきたの、ですか……? ここは危険です、離れて……」
「何言ってるのよ、アンタの方がよっぽど危なっかしいわよ! アタシも倒せはしないけれど、時間稼ぎくらいならできるわよ。さっさと行きなさい!」
「いえ、危険というのはそう、ではなく――」
直後、銀髪の女性は、さらに激しい苦悶の表情を浮かべ、喉が張り裂けそうな程の叫び声を上げる。
同時に、彼女の身体から溢れるように飛び出した、紫色の瘴気がこの場全体を包み込んでいく。咄嗟に後ろへ飛んだ神凪は、寸前の所でその瘴気へ触れずに済んだが……もし触れていれば、きっと神凪もああなっていただろう。
――少し離れた場所には、ドロドロに溶けてスライムのようになった《神の子》の姿があった。
「……ごめんなさい、これは確かに危険だわ。アタシが居ても、お邪魔になってしまうだけね」
恐らく細かな制御ができていないのか。敵味方問わず巻き込んでしまう瘴気は、本当に凄まじい毒素を誇る。彼女の本領を発揮するには、一人であることが望ましいのは事実だろう。
だが、自らの命をも削る、自爆に等しいその行為を――そのまま黙って見過ごしている訳にもいかないとも思った神凪は、気づけば。
「ああもう、逃げるわよっ!」
「えっ、あ、触っ――」
がしっと銀髪の女性の細腕を右手で掴むと、神凪はその翼をはためかせ、勢いよく宙を駆けてその場を離れる。
彼女の身体に触れる手へ、高圧電流でも流されたかのような激しい痛みが走る。が、それだけで済んでいるのは、赤く変質した竜の右手であるからだろう。
初めはあの金色も、逃げる二人を追ってきていたが……しばらくして興味が失せたのか、ぴたりと突然動きを止めると、再び他の獲物へと狙いを変える。
「ふう。何とか逃げ切れたみたいね」
「ありがとう、ございます。……私、一度あの状態になってしまうと、歯止めが効かなくなってしまうんです。自分が倒れるか、今回のように誰かが止めてくれないと……」
木陰で倒れ、ひと息つきながら。どうやら正気に戻ったらしい銀髪の女性が、御礼の言葉と共に話し始める。
「そりゃ扱いにくい力ねぇ。魔女としては物凄い力を持っているみたいだけど、その力があまりにも癖が強くて、自分でも制御できていない……ってトコかしら?」
「ええ、まあ、そんな所ですね。散々忌み嫌われてきた力ですが、今なら皆の役に立てるんじゃないかって思ったんですけど……ダメですね、私」
「そんなことないわよ。確かに使い所は難しいかもしれないけど、現にアタシと御削――カレを助けてくれたのは紛れもない、アンタの力だもの。ありがとう」
「こんな私の力でも、誰かの役に、立てたんですね……。よかっ、た……」
バタリと、言い終えると共にその場で力を無くして倒れてしまう。
力の使いすぎか、ただ意識を失ってしまっただけのようだが……それならしばらく眠れば元気になるはずなので、心配はいらないだろう。