終幕 島で最後の休息日
出発日を明日に控えた、隠祇島で過ごす最後の休息日。都市の中心から少し外れた場所にある、雰囲気のある純喫茶にて。
上鳴御削と神凪麗音が二人、窓際の席でちょっと優雅なひとときを過ごしていた。神凪が、少し前に街を走り回っていた際にふと目に入った、御削と行けたら良かったんだけど……なんて思っていた喫茶店だ。
「こうして落ち着いた場所でゆっくり話すのも久しぶりね」
「そうだな。まあ、これからはいつでもゆっくりできる……と信じたいけど」
それこそ以前までは、週三、四以上のペースで学校近くにある喫茶店で今のように談笑していた。
そんなひとときを過ごせるのが、毎度『ファンタジー』を巡る大きな戦いの幕が閉じた事を知らせているようにも感じられる。
「ま、御削の体質そのものが改善した訳じゃないし。大なり小なり、またくだらないことに巻き込まれそうな気はするわね」
「面倒ごとは嫌いなんだけどなあ。どうにかならない物かな、まったく」
心からそう思う。面倒ごとに巻き込まれることなく、ただ平穏な日々を過ごさせてくれれば、それ以上は何も望むまい。それだけで十分に幸せなのだから。
……そんなささやかな願いさえも、すぐに打ち砕かれてしまう事となる。
――ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!! と、少し遠くの方から破壊音と確かな振動が伝わってくる。
「うおおおおおッ!? ちょ、おいおい何なんだ!?」
「凄い音ね……何が起こっているのかしら?」
目の前でも、ガタガタとコーヒーカップが音を立てる。
この喫茶店の建物は少し揺れるに留まったが、逆に言えばここまで揺れるまでの『何か』があったとも言える。
そんな状況下で、思わず慌てふためく上鳴とは対照的に、赤髪の少女は冷静さを欠かずに状況を分析する。
「というか、御削はちょっと慌てすぎじゃない?」
「麗音が落ち着きすぎなんだよ! ……って、こんなやり取り前もしたような気がする」
「ふふっ、そうね。……ということは、これもまた――」
二人は、飲んでいたコーヒーをぐいっと飲み干して。上鳴はお釣りはいらないと、店員さんにひと声掛けてレジに紙幣を置いてから、純喫茶を急いで後にする。
***
隠祇島の都市部にある、間倉が暮らしているマンションの一室で。三ヶ月とはいえ、家主のガサツな性格故に溜まりまくった物の中から必要、不必要と仕分けていた矢先。
――ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴガシャガシガリバリバリイイイイイイイイイイイイイッッ!!
「えっ、ええええぇぇぇ……。な、なにが……?」
突如、すぐ近くから激しい轟音と共に、凄まじい衝撃がやってくる。
あまりの衝撃に、部屋の窓ガラスが割れ落ちてしまうが……間倉は、それよりももっと凄惨な光景を目の当たりにするのだった。
「……び、ビルが……倒れてる?」
***
「蓬先輩、それ本当に美味しいんですか……?」
「蓬って定期的に味覚がおかしくなるよね……」
「いや、味覚は普通だけど。こういう場所で食べる物って、要は思い出なんだよ。インパクトの強い物を選ぶのは当然」
オカルト研究部の三人は、街の中心部を散策していた。特に目的もなく、気になった場所があればその都度入ってみる。
良く言えば自由気ままで、悪く言えば行き当たりばったり。だが、それが旅行の醍醐味でもあるだろう。……そもそも予定外の休息日であり、予定を立てる暇もあまりなかったのだが。
オシャレなアイスクリームを片手に(一名、キムチアイスとかいう、見るからにゲテモノな組み合わせの一品を注文した錬金術師がいるのだが)、街を歩いていた――その時だった。
目を疑うような光景に、最初に気が付いたのは許斐だった。
「あれ、なに……? まるでサナギが羽化しているような……」
許斐が指し示した方へ、七枝と比良坂も視線を向ける。
そこには、倒れた人の身体から、まるで殻を破るように現れる、金色の『何か』。大きな翼がある以外は人の形をしているが、生命の気配は感じられない。しかし、代わりに魔力であろう莫大なエネルギーを秘めているそれが、元の肉体から完全に離れたとき。
全身金色の存在は、完全なる自由を手に入れて――あろうことか、近くのビルに向けて、その右拳を叩き込む。
まるでビル自体が発泡スチロールで出来ているのかと感じられるほどに、そのビルはほんの一撃であっけなく崩れ落ちてしまう。
『……ああ、なるほどな。アイツが中途半端にこの島へ遺していった置き土産ってトコか』
今までは散々無言を貫いていた、七枝の身体に宿る堕天使ツァトエルが、思わず声を出してしまう。……つまり、目の前で起こっているのは、それほどまでの緊急事態であることを示していた。
「……堕天使、何か知っているのかい?」
『アイツの置き土産、って言えば一つしかねえよ』
堕天使にしては珍しく、一瞬うろたえてしまったが……すぐに調子を取り戻した彼は、一つの単語を告げた。
『「神族化」以外に一体、何があるってんだ?』