1.薄暗い教室にはファンタジー
彼、上鳴御削は戦慄していた。
成績不振による、長きに渡ったお説教の挙句。全員帰ってしまったはずの薄暗い教室からガサゴソ物音が聞こえてきたからといって、わざわざ扉を開けて覗いてしまったのが全ての始まりであった。
「……ちょっと、そこのアンタ。なにジロジロ見てんのよ……っ!」
決して、赤髪ショートヘアにルビーのように輝く瞳を持つ、ツンとした雰囲気が特徴なクラスメイトの半裸姿をたまたま見てしまったから、だけではない。
彼がつい、我を忘れてその姿に見入ってしまっていたのには、また別の理由があった。
艶めかしい肌色の、膨らんだ胸元を隠すのは、ザラザラしてそうな赤い鱗と黒く鋭い爪を生やした、どこからどう見ても人間のものではない巨大な両手。スラっと伸びた脚の先も同様だった。
そして、それだけでも異様な光景であるにもかかわらず、赤い手足さえも序の口だと言わんばかりに。彼女の背中からは、体を全て覆い隠せてしまえるほどの大きな『真紅の翼』がガバっと開かれている。
それなら手じゃなく、その大きな翼で隠せばいいんじゃ……とも思ったが、焦ってそこまで気が回らなかったのだろう。
何故彼女が上半身裸で教室にいるのか? という、それだけでも衝撃的であるはずの疑問さえも軽く吹き飛ばしてしまうほどの、さらなる衝撃だ。
彼女の姿は、言うならば――ファンタジー系のアニメや小説、ゲームなんかにありがちな――『ドラゴン』と人間のハイブリッド、と表すべき風貌をしていた。
そんな、理解しようとするだけでも頭が痛くなってくる、そんな光景を前にして。面倒事は極力避けて通ろうとする、ことなかれ主義の上鳴に残された行動といえばたったひとつだけ。
――ガタリッ! ……とりあえず扉をそっ閉じである。
(ああ、俺は何も見ていない。まさか、隣の席の神凪さんが教室で半裸になっていて、しかも手足が人ひとり軽く殺ってしまえそうな凶器になっていて、その上翼が生えていたなんて――いやいや。あり得んだろ)
そもそも、あの異形の姿を持つ少女がこの世界に実在する可能性と、疲れから幻覚かなにかを見ていたという可能性を天秤にかけて。常識というフィルターに通して考えてみれば、いったいどちらが正しいだろうか?
一度冷静になってみれば、わざわざ言うまでもなく圧倒的に後者だろう。
だが。その『常識』とは何なのだろうか。一体誰が定義したものなのか。結局、常識という概念ですら、彼自身の主観でしかないことを忘れてはならない。
……より、具体的に言うならば。
その時の彼はまだ知らなかった。『ファンタジー』とは、意外と身近な所に潜んでいる、という事実を。