生と死の狭間
そのまま街を出て、ひたすらに進み続けた。
もう何も目に映らなかった。
「この先、禁足領域、立ち入るべからず」
という標識も、魔結界の壁さえも気がつかなかった。
気がついた時には、もう"それ"は目の前にいた。
俺の3.4倍はあろう赤く血走った筋肉質の大きな体に、日本の鬼の角。手には巨大な棍棒を持った魔物、オークの頂点、レッドオークだった。
「なんでこんなやつが...!?」
その瞬間、やっと自分が禁足領域に足を踏み入れてしまったことを悟った。
「グゥゥウウオオアアアアアアアア!!!」
レッドオークが棍棒を振りかざしながら突進してくる。
「う、うああああああああああああ!!!」
先刻、俺から逃げようとしていた賊の男よりも酷い顔で、森のある方へと駆け出した。
走れども走れども、やつは後ろをつけてきていた。
木々が開け、出た先は...
岸壁だった。数十メートルはあろう崖下には海が広がっている。
眼前は断崖絶壁、背後にはレッドオークの足音。
「クソったれ、こんな最期かよ...」
落ちたら絶対に助からないであろう崖から飛び降りるか、レッドオークと戦うかの二択だった。
今の自分の全てを出し切れば勝てるのかもしれない。しかしもうそんな気力は湧いてこなかった。
このまま醜い魔物に殺されて養分とされるくらいなら、自ら命を絶とう。
そう決心し、今から飛び降りる崖下をのぞき込んで、足がすくむ。
岸壁に打ち付ける波が、早くこいと言わんばかりに、音を立てしぶきをあげていた。
後ろからの足音がすぐそこまで来ている。時間はなかった。
目を閉じる。意を決し、体を前方へ傾ける。
足場を失った体は、重力に従って落ちていく。
かなりの速度で落下しているはずだが、思考が一気に加速し様々な感情が襲い来る。
”死ぬ間際に時間がゆっくりになる”とは聞いたことがあったが、こういう感覚なのだろう。
やがて一つの感情が打ちつける波のように押し寄せてきた。
悔しい。
未練がないわけではない。俺にも夢があった。
人々を困らせる魔物を、一匹でも多く駆逐すること。
そして、その魔物たちの頂点に君臨する魔王を討ち取ること。
でも、そのための力が───才能がなかった。
悔しい。
幼い頃読んだ本に、大昔に生きた誰かの名言が著されていた。
『努力は必ず報われる』
その言葉を信じ、面倒くさがりながらも、かなりの努力を重ねてきた。
でも、この世界は才能がすべてだった。
悔しい。
己の無力さが。
諦めずにもがこうとせず、我先にと死を選んだ心の弱さが。
そして今更こんな感情がこみあげてくることが。
───生きて、もっといろんなことをしてみたかった…。
「今は面倒だし、大人になってからでもいいだろう」と、遠ざけてきた様々な経験。
こんなにも早く最期を迎えると知っていれば、もっと…。
でも、もうじき体は岩礁に打ちつけられ命が散るだろう。
嫌だ。
悔しい。悔しい。悔しい。───生きたい。
「くっっっっっそぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
感情が声になり溢れ出したその刹那、散った。
俺の血であろう赤ピンクの何かと俺の命が...。