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 始業式当日、冴子は学校に来なかった。

 幸恵が父から聞いた話によると、夏休み最終日の夜に出かけてから戻らず、行方が分かっていないらしい。冴子の両親はひどく取り乱した様子で、もし見かけたらすぐに連絡をしてほしいと近隣を回っていた。すでに警察にも相談したそうだが、始業式の翌日も、その次の日も、冴子の姿は見つからなかった。

 冴子が失踪してから一週間後、幸恵は部活を終え、一人帰路に就いていた。

 彼女は一体、どこに行ったのだろうか。もし家出やその他の事情で家を離れるなら、親友である幸恵に何も言わないはずがない。つまり、誘拐や監禁などの事件に巻き込まれた可能性が高い。

 それなら、一体誰がさらったのだろう……?

 全く見当が付かないまま、幸恵は通学路沿いにある公園のベンチに座り、思索にふけった。すでに日は傾きかけ、遠くから豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。

「おや、生田さん。どうしたんですか?」

 聞き慣れた声に顔を上げると、鞄を提げた堤が幸恵の前に立っていた。帰宅する途中らしく、半袖ワイシャツとグレーのスラックスというフォーマルな格好だ。

「先生……」

「中村さんのことが心配なんですね?」

 冴子のことは学校の朝礼でも校長が口にしていたし、彼女の友人はみな心配しているようだった。おそらく堤も同じ思いなのだろう。

 幸恵が「そうです」と答えると、堤は穏やかに笑んで見せた。

「中村さんのことなら心配いりません。きっと戻ってきますよ」

「でも……」

「もしよければ、先生と一緒に帰りましょう。日も短くなってきましたし、女の子一人では危ないですから」

 冴子がこの町の誰かにさらわれたのだとしたら、確かに夕暮れの中一人で帰宅するのは危険だ。そう判断して、幸恵は彼と帰路に就くことにした。


 堤と並んで歩く間、幸恵はこれまでの情報を整理した。

 幸恵をさらうとしたら、犯人の目的は何か。身代金目的なら犯人は冴子の両親や警察へ連絡するはずだ。ならば、人身売買による人さらいか。いや、首都圏の繁華街ならとにかく、こんな田舎町でそのような可能性は極めて小さい。

 とすれば、単純に女子中学生を狙った殺人だろう。

 殺人によるものなら、その犯人として考えられるのは一体誰なのか。

「……生田さん?」

 突然横から声を掛けられ、幸恵は意識を引き戻された。隣を見ると、堤が心配そうに幸恵を見ていた。どうやら自分は相当思考にのめり込んでいたらしい。

「さっきから、ずっと思い詰めているようですが……大丈夫ですか?」

「え、ああ……はい、大丈夫です」

 とっさに返答して、幸恵は周りをざっと見回した。いつの間にか道の脇に生える木々が増え、山の麓が近付いていた。日はほとんど沈み、夜の訪れを迎えている。

 分かれ道が見えてきたところで、ふと幸恵の中でいくつもの情報が繋がった。

「先生。私、サエちゃんをさらった犯人が誰なのか分かりました」

 足を止めて幸恵が言うと、堤は目を見開いて彼女を見つめ返した。

「さらった犯人? 中村さんは誰かにさらわれたのですか?」

「はい。とにかく、ここで話すのもちょっとあれなので、先生の家に上がらせてもらっていいですか?」


 堤の家は、築年数があまり経過してなさそうな、ごく普通の一軒家だった。竹垣に囲まれた庭は古風な造りをしていて、片隅にプレハブ小屋がある。庭にこだわりのない幸恵が見ても風情を感じられた。

 こざっぱりとした和室で、幸恵は向かいに座る堤へ切り出した。

「まず、単刀直入に言いますが、私は倉持先生が犯人じゃないかと思います」

「倉持先生が犯人? それはなぜですか?」

「まず、サエちゃんと接点がある人をすべて挙げると、倉持先生、堤先生、義之さん、西田さんです。でも、西田さんは昼間にスイカ畑の仕事があって、夜は居酒屋の仕事があるので犯行は不可能です。義之さんも大学での仕事で、夜の犯行は難しい」

 そこでいったん言葉を切り、幸恵は呼吸を整えた。

 他人、それも年上の男性に長く意見を語る機会などほとんどないので、緊張が拭い取れない。出された緑茶を一口飲み、粘ついた口内を潤す。

「時間的に可能なのは、堤先生と倉持先生です。ですが、堤先生は車を持っていません。だから、サエちゃんをさらうことは極めて困難です。それに、物的証拠もありません」

 黙って聞いていた堤が、「そうですね」と相槌を打った。

「次に倉持先生ですが、まず車を持っているので人をさらうことは容易です。それに、他にも証拠があります」

「他の証拠というのは、何ですか?」

「腕時計です。以前、私の家の畑が荒らされたとき、私とサエちゃん、義之さんで畑の周辺に何か手掛かりがないか探しました。そのときに、倉持先生の腕時計を見つけました」

 それまでじっと話を聞いていた堤だったが、理解できないという顔をした。

「腕時計、ですか。でも、それはスイカ泥棒の件を調べていたんですよね? それと何の関係があるんですか?」

「はい。倉持先生はスイカ泥棒で、かつ監禁犯でもあったんです。割ったスイカは周囲の目を引き付けておくだけの小細工で、サエちゃんをさらって監禁するための布石だったというわけです」

 倉持にとってはスイカ畑など愛着のない、農作物の一つだ。自分の犯行のために踏み台にするなど、何の抵抗もないだろう。

 しかし、堤が思いがけない反論をした。

「なるほど、生田さんの考えは分かりました。ですが、一つだけおかしいところがあります。スイカ畑を荒らすことが監禁を隠すためのものならば、なぜ倉持先生は一か月も間を空けてから中村さんを狙ったのでしょうか? 誰かの目を引き付ける目的ならば、空白の時間ができてしまうことは好ましくないと思いますが」

 これは盲点だった。

 堤の言う通り、犯人が冴子を監禁するためにスイカ畑を荒らしたのであれば、一か月もの間何もしないのはおかしい。これではまるで、逆にスイカ畑の騒動を避けているかのようだ。

 ……避けている?

「そうか、そういうことだったんですね」

「何か分かったのですか?」

「はい。初めから犯人は、一連のスイカ畑荒らしを鬱陶しいと思っていたんです。だって、スイカ畑荒らしは夜に行われているわけですから、スイカの盗難や破壊が続けば、みんな夜に警戒します。だから、人さらいの犯人は夜に行動できなくなります」

 通常、スイカ農家は朝から夕方にかけて働く。そのため、スイカ畑荒らしの犯人が犯行に及ぶ場合、スイカ農家が休憩する約一時間の隙を衝くか、彼らが寝静まった夜中に限られる。スイカ畑荒らしの犯人が動いている時期に人さらいが犯行を犯せば、付近の住人に目撃される可能性が高まる。こういった理由で、人さらいの犯人はスイカ畑荒らしの犯人が犯行をやめてから行動を起こしたのだ。

 ここまで考えて、幸恵は論理の破綻に気付いた。

「あれ? これだと、サエちゃんをさらった犯人は倉持先生ではなく、別の誰かだということになりますね」

 倉持はスイカ畑に腕時計を落としていた。だから、少なくともスイカ畑荒らしには関与している。しかし、それだけでは冴子を監禁したという証拠にはなりえない。

 ちなみに腕時計について、冴子は「誰かがいたずらのため盗んで畑に放った」という予想を話していた。つまり、幸恵の知らない別の容疑者がいる可能性もある。

「それに、スイカの種だけ抜かれていたのも、どうしてなのか分かりませんし……そもそも、倉持先生には犯行の動機もありません」

 芋づる式に推理の穴が出て、幸恵は決まり悪くなった。それを紛らすため苦笑して、お茶を一口飲んだ。少し挙動不審になってしまったかと思ったが、堤は何も言わず穏やかな表情を浮かべている。

 少し気恥ずかしさが落ち着き、幸恵はお茶菓子を口へ運んだ。堤が東京に住む知人からいただいたというきんつばで、あんこのしっとりした食感が美味だった。

 一息ついた幸恵が今までの推理を整理していると、次第に尿意を催してきた。

「先生、すみません。おトイレお借りしていいですか?」

「はい、もちろんどうぞ。場所はそこの廊下を右に出て、まっすぐ行って右に曲がった先のドアです」

「分かりました」

 幸恵は席を立ち、障子戸を開いて廊下へ出た。小ぢんまりとした日本庭園が視界に広がり、障子越しの光に照らされた薄暗さが趣を醸し出している。

 トイレへ向かう途中、幸恵は庭の片隅に設置された小屋に目を留めた。工事現場にありそうな外観で、壁の上部に小さい窓が取り付けられている。最初に見たときは気にしなかったが、古風な庭の中でその小屋だけが異質な空気を漂わせている。

 窓から光が漏れていて、幸恵は中が気になったが、とりあえず先に用を足すことにした。

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