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 図書室を出た二人は、学校から一キロ弱ほど離れた一軒家へ向かった。

 ツクツクボウシやアブラゼミの鳴き声が響き渡る雑木林の近くに、彼の家は建てられている。そこは町外れの一角で、他にも数軒の住宅が見られるが、スイカ畑はない。

 白い木造の平屋建ての庭に自転車を停め、冴子は玄関の網戸を開けた。

「伯父さん、いる?」

 気の置けない口調で、冴子が家主を呼んだ。かなりの大声だったためか、家の奥から「ああ、上がってきてくれ」と返ってきた。

 慣れた反応なので、冴子と幸恵は土間へ入り、靴を脱いだ。何度か訪れたことがあるため、二人ともこの家の内装は知っている。

 冴子は埃っぽい廊下を歩き、奥の部屋へ向かった。途中、戸が開け放された洋室へ横目を向けると、長方形のテーブルの上に小さな鉢植えが並んでいた。鉢植えからは芽が伸びていたが、離れた位置から見たので、植物の種類は分からない。気に留めず、冴子は幸恵と奥へ進んだ。

 突き当たりの和室で、冴子の伯父である中村義之(よしゆき)が黙々とペンを走らせていた。どうやら、今日も大学の研究レポートを書いているらしい。

 姪とその友人に気付き、義之が二人へ顔を向けた。

「おお! 二人とも、久しぶり。あれ、今日は学校、早く終わったのかい?」

「今は夏休みよ。伯父さん」

「ああ、そうだったっけ。ずっと家にこもっていたから、曜日も日にちも分からなくなっていたよ。夕方から夜は大学にいるし、昼間はずっと研究漬けだし」

 もっさりとした髪を搔き、義之は気恥ずかしそうに笑った。義之とはひと月ほど会っていないが、不摂生な生活を送っていたらしく、小太りだった体型がよりふくよかになったように見える。いや、四十四歳という年齢のせいもあるのだろうか。

 冴子は室内をぐるりと見回して言った。

「部屋の中、すごい散らかってるわね。脱いだパンツとかそのままになってるし」

「うっ……申し訳ない」

 義之は少しだけ渋い顔をした。日当たりのよい六畳間は衣服やペン、鞄など、雑多な物が散乱し、机の片隅にも空の丼が置きっ放しだ。敷かれた布団も整っているとは言い難く、このままでは万年床と化してしまうだろう。

「それに、部屋の中もなんか汗臭いし、換気もちゃんとしないと……」

「ちょっと、サエちゃん。用件、忘れてない?」

 半ば呆れた顔で幸恵に小突かれ、冴子ははっとなった。そうだ、今日は伯父のだらしない私生活を指摘しに来たのではない。彼に付き添いを依頼するために訪れたのだ。

 冴子は「ごめん」と軽く謝り、義之へ向き直った。

「伯父さん。ちょっと、一緒に来てもらいたいのだけど、いい?」

 姪の頼みを聞いて、義之が不思議そうな顔をする。

「うん、どこだい?」

「私んちのスイカ畑です」

 幸恵が答えると、義之の瞳に好奇心の光が宿った。


 義之は新潟大学で農学を学び、現在は農学博士として長野県の大学で教鞭を執っている。この付近で家を借りて暮らしている理由は、スイカの栽培が盛んなこの町で土壌の調査をするためだという。

「今、僕はスイカを育てるのにどんな土が適しているのか、実験をしていてね。家で色々な土を比較して調べているんだ」

 冴子と幸恵に続いて畑へ入った彼は、自分の研究について語った。発芽の三要素は水分と温度、酸素であることは理科の授業で聞いて知っていた。しかし、義之によれば、発芽だけでなく成長まで考えるなら、土壌も重要な要素なのだという。

 そこでふと、義之の家の洋室に置かれていた鉢植えを思い出した。

「もしかして、伯父さんの家に置いてあった鉢植えって、スイカの芽だったの?」

「ああ、あの部屋のかい? そうだよ。この町で育ったスイカの種を使わせてもらったんだ。スイカは金がかかるけど、種はタダだからね」

 にこやかに話す義之に、冴子は一瞬疑念を抱いた。スイカの種を研究に使う必要があるなら、今回のスイカ破壊及び種の盗難は彼の仕業なのだろうか。

 いや、それはあり得ない。

 スイカの種は、一玉のスイカに相当な数が入っている。スイカ畑で種だけ奪い去るより、農家からスイカを買う方が安全で確実だ。そもそも、国立大学で博士号を取得する才子が、スイカ数個のお金を惜しんでリスキーな行為に及ぶはずがない。

 よほど長く黙考していたのか、突然幸恵の声が冴子の耳朶を叩いた。

「ねえ、ちょっと、サエちゃん!」

「っ……何?」

「いや、何かぼうっとしてたからさ。体調、悪いの?」

 熱中症を心配してか、幸恵がじっと冴子の顔を覗き込んでくる。とっさに冴子は首を横に振った。

「大丈夫よ。それより、何か手掛かりになりそうなのはあった?」

「いや、それっぽいのはなかったけど……こんなのが落ちてた」

 幸恵が差し出した物に、冴子は思わず目を見開いた。

 小ぶりな手には、シチズンの腕時計が載せられていた。ベルトは金属製で、少し泥が付いているが、規則的に秒針が動いている。おそらく、倉持が失くしたと言っていた腕時計だろう。

「これ、本当に畑に落ちてたの?」

「そうだよ。もしかして、サエちゃんの?」

「いや、それは倉持先生のだと思う。後で私が返しておくよ」

「そう? じゃあ、お願いしちゃうね」

 冴子が受け取った腕時計をハンカチで拭き、スカートのポケットに入れたときだった。

 ふと、視線の先にあった雑木林の木陰で、何かが動いたように見えた。その人物は冴子たちに背を向けていて、その場を離れていくところだった。麦わら帽子と農作業着を着ていたが、顔を見ていなかったため誰なのかは分からない。

 友人の異変に気付いたらしく、幸恵が再び冴子の顔を見る。

「サエちゃん? どうしたの? やっぱり具合悪いの?」

「いや……大丈夫。何でもないわ」

 平静を装って返したものの、幸恵は依然として不安そうな顔をしている。義之も姪の様子を心配するような目を向けていた。

 二人を心配させてしまったことに幾ばくかの罪悪感を抱き、冴子は笑みを作って見せた。

「本当に大丈夫だから。とりあえず、今日はもう帰りましょう。あまり長引かせると、伯父さんにも迷惑だし」

 幸恵は食い下がることもなく、素直に従って畑を出た。

 冴子たちを見ていた相手は、きっと幸恵の父だろう。おそらくスイカ畑にいた三人組が何者か気になって遠目に覗き、顔が確認できたから身を翻したのだ。視線が合わなかったのも、きっと偶然に違いない。冴子はそう自分に言い聞かせ、幸恵や義之とスイカ畑を後にした。

 幸恵の家の近くまで歩き、義之は二人の顔を交互に見た。

「じゃあ、僕は家に帰るけど、いいかい?」

「はい。今日は私たちに付き添ってもらって、どうもありがとうございました」

 礼儀正しく頭を下げた幸恵に、義之が笑って返した。

「いや、いいんだよ。僕もここのスイカを観察したかったから。それじゃあね」

 手を振る義之と別れ、スイカ畑に面した脇道に冴子と幸恵が残された。おもむろに、幸恵が口を開いた。

「そういや、倉持先生の時計なんだけど、どうして畑に落ちてたんだと思う?」

「多分、誰かのいたずらじゃないかしら」

「いたずら?」

 不審そうに聞き返した幸恵に、冴子は倉持の腕時計が何者かに盗まれた可能性があることを話した。それを聞いて、幸恵は納得したように笑みを浮かべた。

「そっか、そうだったんだ。そうだよね、倉持先生がうちの畑を荒らすようなこと、するわけないもんね」

 どうやら、倉持への疑いは晴れたらしい。

安堵して、今度は冴子が幸恵へ尋ねる。

「ねえ、幸恵。さっき畑で、腕時計が落ちてたこと以外に、何か変わった点はなかった?」

「うーん、なかったと思う……あっ」

 幸恵は曖昧そうな返答の途中で、何かを思い出したような声を上げた。すかさず、冴子がすっと顔を寄せる。

「何?」

「えっとね、腕時計のすぐ近くにあったスイカが割られてた」

「何で、さっき言わなかったのよ……」

 呆れて溜め息をつく冴子に、幸恵は苦笑したように言った。

「いや、もしかしたらこの間やられたときに、お父さんが見落としてたんかなーって思って。それで、あまり気にしなかったの」

「分かったわ。それで、新たに割られてたのは、何個だったの?」

「二個だけだったよ。中身が腐ってて、ひどい臭いだった」

「種は抜かれてた?」

 幸恵が頷き、冴子は確信した。

 やはり、犯人はあの後再びスイカ畑を訪れたのだ。そのとき腕時計を落とし、今日幸恵が発見するに至った。たった二個とはいえ、スイカが割られていれば幸恵の父が見落とす可能性は少ない。そのため、犯行時刻は昨夜、あるいは多くのスイカ農家が休憩している午後一時頃と推測できる。

 いや、もし犯行が昨日なら、ひどく臭うほど腐敗は進まないはずだ。それならば、犯人はスイカを破壊した後、どこかに隠していたのだろう。それなら、誰が何の目的でそんな小細工をしたのか。

 犯人の意図を探るべく冴子が黙考していると、幸恵が訝しげに顔を覗き込んできた。

「サエちゃん?」

「あ、いや……何でもないわ。じゃあ、またね」

 冴子は平静を装い、幸恵へ手を振った。幸恵もそれ以上は詮索せず、にこやかに「じゃあね」と返した。

 友人が自宅の玄関へ入るところを見送ってから、冴子はポケットから倉持の腕時計を取り出した。時刻は一時四十五分。今日、冴子は早めに昼食を済ませて学校の図書室で幸恵と落ち合い、義之も伴ってスイカ畑に赴いた。感覚的には三時間近く費やしたような気がしていたが、予想以上に早く用件が済んでしまった。

 冴子も体の向きを変え、自宅の方へ歩き出した。家の門を通ったとき、玄関の網戸からカレーの芳香が漂ってきた。

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