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書いたそばからアゲてますので、ちょくちょく追加されるか訂正されるかしてると思います。

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「ええ、私たちは悪者から街を隠蔽しているだけです。バクテリアの暖かい毛布で覆うだけです。悪者から安全に保護するための居心地の良い“細菌毛布”です。悪者とは、もちろん私たちではない他の連中です。現在の私たちのように、生物兵器であなたを攻撃していない人々です」(某国軍のスポークスマン)


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蒼い空は心に虚しさを募らせ、曇天は心に憂鬱を募らせる。

けれど窓の外の大きな菩提樹は、どんな天気でも葉をつけ続ける…


ナーシャは、今日も嬉しくて仕方なかった。

薄暗いが真っ白で清潔な病室から見える景色は、いつだって彼女を慰めてくれた。そして今日は、先日兄が持ってきた本を読み終えることができた。

それは、色々な困難に立ち向かう不幸な生い立ちの少女がネガティブな感情に陥らず、前向きに自分にとっての「よかった探し」を続けるお話で、今のナーシャにとても共感の出来る物語だった。彼女も、この真っ白な病室の中で、この物語の主人公のようにいつも喜んで過ごしたいとずっと願っている。


暗示は、いつか本心になる。


ナーシャは、今、幸せいっぱいだった。

彼女がこの忌まわしい風土病に侵されてからというもの、一度は落としかけた命を、治験目的とは言え最新の治療法で直そうとしてくれているチームがここにいる。ドクターは優しいおじさまだ。ナースは明るくて元気なお姉さんだ。そして何より、窓から見える美しい菩提樹の木に、毎日多くの名前も知らない小鳥が遊びに来る。

それを見るのは、とても楽しかった。


そして今日は、大好きな兄が来てくれる日なのだ。 


あと10分…あと5分…


待ち遠しい時間を、時計の秒針を見つめながら数え続ける。


不意にノックの音。


「ナーシャ、起きてるかしら?」


看護師のヴェータの声がした。


「ええ、準備万端よ、ヴェータ!」


少女は嬉々として答えた。兄がやって来たのだ。一言、二言会話を交わし、看護師は病室のドアを開けた。


「あれ…カシュー兄さま?」


ナーシャは、期待した兄とは別の、もう1人の兄の声を聞いて、意外そうに呼びかけた。その声のニュアンスには隠しきれていない少しがっかりしたような感じがあった。


黄色い花の溢れ落ちそうな花束を抱えて、1人の身なりの良い小柄な青年が姿を現した。彼はナーシャが他の人影を探しているのに気付きつつも、何事もないように言った。


「ナーシャ、元気そうだね。」

「カシュー兄さま…今日は…お一人?」

「うん。僕だけだ。…でもちゃんと(セルジュ)から預かった物を持って来たよ。」

「ありがとう…」


しばし沈黙。


青年は看護師に黄色い花束を手渡して言った。「この花は、心配要らない。消毒してあるし、なにより喉に良い植物だと聞いている。ドクターの許可も取ってある。」

「では、花瓶に生けて持って参りますね。」

看護師は、花束を手に、ドアを閉めて部屋を後にした。


また、沈黙。やがて、兄が口を開いた。


「ナーシャ。君が少しずつでも元気になってきていて、僕は嬉しいよ。」

「カシュー兄さま。私、早く退院したい。退院して、またみんなで一緒に暮らすの。」

「そうだね。」兄は、中性的な端正な顔に笑みを作った。「だからトマトを残しちゃダメだよ。」

「とっ、トマトは…いずれ食べれるようになるから…いいの。」


「ナーシャ…君の笑顔が見られて、僕は安心した。もう、聞いてるね?…君は、明日から特別室に入る。」


「はい、兄さま。」ナーシャは少し緊張した面持ちで答えた。「この日のために、たくさん、たくさん我慢してきたの。」


少女は、夢見るような瞳を窓の向こうの菩提樹の、さらに向こうの塀にまで届かせた。いずれ健康体になり、この病院から出れば、彼女は外の世界の全てを瞳の奥に焼き付けたいと思っていた。


5歳のときに重い灰病を発症してから、ナーシャは友達と遊ぶことも叶わず、外で駆け回ることもできず、ずっとこの真っ白な部屋に閉じこもっていなければばならなかった。

しかし、明日、彼女は特別室に入る。

そこでの治療は、今までにない最新の科学を駆使した先端医療で、本来なら大富豪でも全財産投げ打たなければならないほどお金がかかっているものだという。


ただし…実は今までにこの治療を受けた者達は…その後の消息がわかっていない。

一説では、この治療法は秘密の研究であるため、患者は秘密の土地に身柄を移されて生涯を医療の発展に捧げている、とも言われている。


「怖くはないわ」ナーシャは、キラキラした瞳でつぶやいた。そう。私、絶対に自由に外の世界で駆け回るの。でも、本当は…


「それで…大きなお兄様、セルジュお兄ちゃまは…今日は?」


ナーシャに尋ねられたとたん、急にカシューの端正な顔が曇った。


「あの男は…今日は別の人に会ってるよ。」彼は吐き捨てるように言った。

「あの男は…ナーシャの治療に反対してるんだ」


ナーシャは、少し寂しそうに笑ったが、その微笑みは、愛に満ちていた。


「知ってるわ。セルジュお兄ちゃまは…優しくて…心配性のお兄様なの。だから、今回の治療で、私に何かあったら、すごくお苦しみになるわ…でも私、そんなお兄ちゃまのために、絶対に元気になってみせるの。こう見えて私、強いのよ!気力は人一倍なの!…そしてセルジュお兄ちゃまと…また、一緒にお歌を歌いたいもの…」


可愛いナーシャは、小さな鈴のような声で口ずさんだ。


「慈しみ深き 友なるイェスは…」


それを聴くと、兄は胸がいっぱいになった。


「わかってるよ。おまえは優しい…あんな奔放な兄の事さえ、愛している…でも僕は、おまえに本当の喜びを、大きな世界を見せてあげたいんだ。だから、どうか勇気を出して…」


「わかってるわ…カシュー兄さま。セルジュお兄ちゃまは反対してるけど…私、治療を受ける。元気になって、二本の脚で走り回り…また、大好きなセルジュお兄ちゃまのオルガンで歌うの!…だからよ!だから、今回の実験は…もしもの事があるって聞かされても…やる気に…なったの。」


紙のように色素の薄い、儚げな、美しい妹が、ここまで健気に自分を奮い立たせることを見て、助けの手を差し伸べない男はいない。だが、本当は…


「でも、私…」

ナーシャは、消え入りそうな声で言った。

「でも私…特別室に入る前に…一目でいいから…セルジュお兄ちゃまに、会いたい…」


…はぁ。あの男に!…カシューはため息をついた。いつでも自分の仕事優先で、時々フラッとこの美しい妹の元を訪れては、彼より深い絆を妹と結んで行くという、理不尽で、いけすかない…あまり会ったことのない、兄。


「セルジュは…兄さんも、近いうちに、来るはずだ、多分。」

「…ねぇ兄さま…私、いっこだけ我儘言いたいの!…セルジュお兄ちゃまに会ってから…特別室に行きたい。」

「そうはいかない!全ての予定は、もう決まっている!」

「でも…でも…私にとっては…これが…」


最後!

最後かもしれない!

カシューは妹の言いたいことはわかっていた。

治療は、早く始めた方がいい。

だが、他ならぬ妹の切なる願い…一目セルジュに会いたい…それは、丹田が溶岩のように煮え繰り返るような毒々しい気持ちだが、なんといっても、愛する妹のためである。


「よろしい。」兄は言った。

「セルジュが来るのを待とう。でも、忘れちゃいけないよ?ナーシャの治療は、一刻も早く始めるべきものなんだからね?


「ありがとう、兄さま!」ナーシャの顔は、ぱぁっと明るくなった。

「私、治るはずだけど…どうなるかわからないから…セルジュお兄ちゃまにだけは、会っておきたいの!」


カシューは、窓の外を見た。大木から、木の葉が一枚ひらひらと落ちていった。


「わかった…」彼は、知らぬ間に奥歯を噛み締めた。

「セルジュを待とう…だが、明日…長くても明後日だよ?…それ以上は、待てない…わかるだろう?」


ナーシャは、満足そうに微笑んだ。

「十分だわ…ありがとう。愛してる、カシュー兄さま!」


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