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遺されしものたち 3

「ほら、お口開けて!あ〜ん!」若い女性看護師の優しげな声の中に、次第に刺々しいものが見え隠れしていた。丸く大きな瞳がそれを見透かすと、亜夢は顔を大きく横に逸らし、口をへの字に固く結ぶ。


「はぁ〜」根負けした看護師は、ほうれん草のお浸しを小鉢に戻すと、放り投げるように箸を置いた。


亜夢は、ここ2日、急に食欲が増してきたのか、これまで殆ど手を出さなかった食事を少しずつ摂れるようになってきていた。


亜夢の食欲と咀嚼力の回復を認め、昨日からは量は少な目であるが、通常メニューに切り替えられてきていた。だが、食べられるようになってきたのは良いが、同時に彼女の困った偏食ぶりも明らかになってきていたのである。


この日の昼食メニューは、庄内豚の生姜焼き、ほうれん草のお浸し、味噌汁、白米、サラダ、デザートのスイカ。肉は既になく(付け合わせのキャベツはそのまま)、スイカも最早、皮だけになっていた。


ご飯と味噌汁は、幾分手を付けた形跡があるものの、ほうれん草とサラダは出された時の姿そのままだった。この傾向は、食べ始めた時から既に出ており、食事の様子を見に来るたびに、この担当看護師は何とか野菜類も食べさせようと亜夢に挑んでいた。


問題は他にもあった。


亜夢は箸をまともに使えない。昏睡に陥る以前、箸の使い方は何処かで教えられた形跡はあるものの、その持ち方はほぼ握り箸。利き手の左手を槌のように奮っては、哀れな"獲物"に箸を突き立てる。茶碗のご飯は、まるで蟻塚をほじくるようにして、こぼれ落ちる米を気にもせず、口の中へと押し込む。


その有り様は、幼児の食事より酷い。


漆黒の黒髪に丸く大きな瞳、ぽってりと膨らんだ血色の良い唇と、見た目はどこか南国的な美少女なだけに、看護師は


「"眠り姫"改め、"美女は野獣"ね」


と残念そうに呆れるばかりであった。



「ということは、つまり亜夢さんは…」「ええ、少なくとも、再び長い昏睡に陥る危険性からは脱したと、見て良いかと思うわ」貴美子は、カミラの問いかけに答える形で、亜夢の心身が回復傾向に向かい始めていると見解を示した。


昼下がりのIN-PSID中枢区画の集会室には、藤川夫妻とインナーミッションに携わる主だったメンバーである東、カミラ、アランが集っていた。ここ2日ばかり、亜夢の生体機能に急速な活性化が見られる事を受け、藤川夫妻は彼らへの報告の機会を設けたのである。


貴美子の言葉に、一同の表情も明るい。


「それにしても、何故ここ2日ほどの間に、急に変化が?」東が皆の疑問を代弁する。二度のインナーミッションにより、何とか命を繋いだ亜夢であったが、その後4週間近く、1日の大半は眠って過ごす日々が続いており、目を覚ましたところで、半分は微睡の中のような状態が続いていた。ところが、亜夢はここ2日ほど、食事量が増えると共に、日中の睡眠時間が徐々に減少している。


「うむ……その事なのだが……見てくれ」藤川の言葉で貴美子は、用意していた資料を集会室のディスプレイに表示した。ここ数日の亜夢のバイタルデータをグラフ化したものである。(療養棟入居者のバイタルデータとPSIパルスデータは、入居者用衣類のウェラブル健診器によって1時間おきにデータが採取されている)


「明らかにこの2日前の午後を境に身体活動の総合値が上向きになっている……2日前、いったい何があったか?」藤川は一同の顔を見渡しながら答えを求めた。


「2日前……あの『オモトワ』のミッション……」カミラの脳裏に2日前の記憶が鮮やかに蘇る。「ああ、あの時の『メルジーネ』と『サラマンダー』……あれはやはり」アランもカミラと同じ記憶を呼び起こしていた。


「そうだ。ミッションの後、改めてデータを検証したが、あれは亜夢のインナースペースで遭遇したエレメンタルと同じ存在であった。因果関係は明らかではないが、彼女の魂は、20年前のJPSIO水織研(みおけん)センター(水織川研究センター)で、幼い日の直人と接触していた可能性がある。もっともミッション時の時空間は直哉の記憶を基にした再現でしかない。『メルジーネ』も『サラマンダー』も直哉の生体記憶に残されたデータだ……だが」


藤川は自身の端末を脳波コントロールで操作し、準備していた別の資料をモニターに展開する。


「『オモトワ』ミッションの際、そのデータとは別に、何故かリアルタイムに亜夢の固有PSIパルスらしきものが感知されていた」


「そ、そんなはずは!ミッション時空間は<アマテラス>とミッション対象の相互リンクによって一時的にインナースペースの中に構築される空間です!リンク形成されていない外部のものが介入できるはずが!」そこまで言いかけて、東はハッとなる。


「まさか……」


「そう、リンクは形成されていたのだよ。20年前既に。亜夢と直人の魂の間にな」


藤川は、一同が彼の言葉を咀嚼するのを待って、再び口を開いた。


「直人とのリンク……これに導かれて彼女の魂はミッションに入り込んでいた……その事で、彼女の魂に何らかの変化が起こった……そう考えるのが妥当だろう」



「あっ!ちょっと!!」意地になった看護師の挑戦の隙をついて、亜夢はテレビのリモコン(通信機器と同じく、脳波操作できるテレビも普及しているが、療養棟には患者への影響、逆に機器への影響を考慮し、テレビは昔ながらのリモコン操作タイプ、もしくは音声認識操作タイプのものを設置している)を掴み取るや否や電源を入れた。


この2日の間に亜夢は、自室のテレビの存在に気付き、リモコンで操作できる事も既に学習していた。


看護師は、あの手この手で亜夢に野菜を食べさせようとしていたが、戦果は結局、サラダのトマト一切れのみ。亜夢は、食事と看護師に包囲されたベッドを抜け出すと、テレビの前にかじり付く。看護師が箸を叩きつけるように、食器トレイに戻したその時、個室のドアがおもむろに開いた。


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