混濁の柩 6
里へ敵軍が向かった事を察知した玄蕃は、山間の間道を急ぐ。
数日の潜伏の末、敵の布陣と攻略の要衝を掴んだが、里に入られてしまっては、その意味を失う。
いや、それよりも里には、生まれて間もない我が子と妻を残していた。忍びの家に生まれ落ちた赤子は、この世に生を受けた時より、死の宿命を背負っている。玄蕃自身もまた、その宿命に抗い、多くの仲間を失いながらも生を繋いできた。
……だとしても……
玄蕃は奥歯を噛み締め、その足を速めた。
間道を抜けたところで、小高い崖に出る。ちょうど、彼の帰るべき小さな里を見下ろせる、高台となった一角だ。里はまだ、夜の静寂に包まれている。
……間におうたか……
彼の足であれば、この崖を駆け下り、里へ危機を報せる事は可能だ。
彼が、崖へとその身を踊り込ませようとした、その刹那、背に一筋、鋭い衝撃が走る。身を仰け反らせながら、翻って腰の短刀を引き抜くと、咄嗟に臨戦態勢をとった。
……がはっ! ……
背を割り、身体のうちの熱が、迸り出ていくのを感じ、玄蕃は、堪らず膝を落す。闇夜の中の不意打ちとは言え、自身がこうも簡単に、背を取られるとは……。
その次の瞬間、左手側より、白刃が空を切る。すんでのところでそれをかわし、同時に迫る右手側からの突きを、短刀で受け流しながら、崖を背に退く。
……おのれ! 何者! ……まさか……
玄蕃の問いに、返答はない。
闇夜に紛れ、正確には判別出来なかったが、おそらく数は三人、無いし四人。
そのうちの一人が、容赦なく正面から袈裟懸けに、斬り込みをかけてきた。
頭巾で顔を覆っているが、その動きには見覚えがある。未熟さを残した太刀筋を見切るのは、容易かった。
紙一重でその切っ先を交わしつつ、相手の胴を払う。苦悶の呻きをあげながら、倒れゆく敵を横目に、玄蕃が来たる第二、第三波攻撃へ備えようと、剣を構え直したその時。
倒れかけたその敵は、あろうことか、玄蕃に正面からしがみ付き、その動きを封じる。次の瞬間、その敵もろとも、数本の刃が何度も突き立てられていく。
……がぁぁ‼︎ ……
間違いない……。仲間の命をも厭わず、確実に敵を仕留める。玄蕃もまた、幾度となく訓練し、習得した戦闘術の一つである。
……悪く思うな! ……
そう投げかける敵の声は、どこか聞き覚えがあった。
……う……うぬら……なぜ……
何度も刃を突き立てられ、玄蕃は彼にしがみ付いたまま、虫の息となった敵と共に、崖っぷちまでジリジリと押しやられていた。もはや、抵抗する力も残ってはいない。
……我らが織田に抗うなど……
……万に一つも、勝ち目はない……見ろ! ……
その声に呼応するかのように、里の方から、火の手が一斉に上がる様を、玄蕃の瞳が捉える。女子供らの泣き叫ぶ声、容赦なく射掛けられる火矢の風切り音と、無慈悲な射撃の号令が、玄蕃の耳に届く。
……お主の首だけでも、手土産にはなる……
……馬鹿な! ……里には……女子供が! ……
……我らは強き者に付く……それが我らの掟であろうが! ……
……うぬら……それでも人か! ……
……我らは忍びぞ……甘くなったな、玄蕃! ……
……さらばだ‼︎ ……
突き立てた刃を引き抜くや否や、敵は空かさず袈裟懸けに斬りつけた。玄蕃のうちにある全ての情が、念が、想いが血潮となって、吹き出していく。
前のめりに崩れた玄蕃は、薄れゆく意識の中で、里の上空へと舞上がる、数多の命の燃焼を見る。
……おりょう……へい……た……
そして、全てが暗黒に閉ざされた——
ズタズタに斬り裂かれた全身を、彼は一つ一つ手繰り寄せるように、再びつなぎ合わせていく。最初の一太刀を受けた背、何度も刃を突き立てられた胴回り、心の臓へ達し致命傷となった袈裟懸けの切創、そして最期に斬り離されたのであろう、首回り。
彼の魂にまで刻み込まれた傷を引き裂かれながらも、玄蕃は、自身の記憶と共に、在りし日の人の形の記憶を持つ霊体を何とか復元していった。
玄蕃は、霊体の頭を持ち上げると、辺りを見回す。あの異界船の翼の上である事を、彼はすぐに悟る。先刻、異界船が発した雷光が放たれ、時空間が急激に攪拌される中、追跡していた神子の気配を見失いながら、かろうじて異界船の力場に取り付いていた事を思い出した。
翼の下方から、強い熱を感じる。いや、この異界船の作り出す、仮初めの現象空間全体を激しい熱気が包んでいるようだ。そう、この熱気こそが、彼の霊体の回復を促進していたのだ。
玄蕃は、異界船の翼の上でゆっくりと立ち上がり、その翼の下方を見下ろす。
地獄の釜蓋が開いたが如く、燃え盛るマグマの滾りが迫っている。
……この熱気……
そう、あの最期の時に見た、数多の命の燃焼……死を目前にしながら、生きようともがく生の渇望……あの熱と同じ。玄蕃は、そう感じずにはいられなかった。
……お涼、平太……
……まだ……其方らの元へは、参れぬ……か……




