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面影 5

 ドアの開く音に、短髪の女性看護師は、顔を向けた。

 

「神取先生……」看護師は、部屋へと入ってくる神取を認めると、申し訳無さそうな表情を浮かべた。「担当の先生も今、病院棟の方へ行ってしまってて……すみません」

 

「いえ、様子はいかがですか?」神取は、目を細めて、微笑を浮かべる。

 

「さっき、お伝えした通りです。いつもなら、この時間帯は何とか起きて、少しは朝食も食べられるようになっていたのですが……何度呼びかけても、起きないんです……」

 

 熱を失った朝食が、運ばれてきた状態のまま、ベッドテーブルに置き去りにされていた。

 

 亜夢の起床時間は、八時から九時頃。療養棟の、他の入居者の、決められた起床時間から一、二時間遅れであるが、長年の昏睡状況からようやく回復したばかりであり、今は、亜夢の起床サイクルに合わせながら、ゆっくりとリハビリさせる方針であった。最近は、起床時間も少しずつ早まり、療養棟のタイムスケジュールに徐々に合わせていく事も、検討され始めている。

 

 配膳は、通常、看護アンドロイドが、定時間で各部屋を巡回するが、起床、食事時間が不規則な亜夢に関しては、担当看護師が様子を見つつ、配膳も行なっている。看護師は、三十分前ほどに一度、食事(意識の活動が低く、咀嚼が難しいため、流動食やスープとなっている。量も多くはない)を運びに、亜夢の部屋に訪れていた。その時、彼女は、まだ起きてはいなかったが、じきに目を覚ますだろうと、食事を置いて部屋を去り、今は、食器の片付けにきたところであった。

 

 だが、食事にはまるで手をつけず、三十分前と変わらず、亜夢は、細い寝息を立てているばかり。何度か起こそうと試みたが、眠りは深く、目を覚ます気配すらない……

 

 他の患者であれば、そのままにもしたかもしれないが、亜夢はいつまた、昏睡に戻ってしまうかもしれない。

 

「亜夢さん、亜夢さん!」

 

 神取は、亜夢の頰を軽く叩くなどして、呼びかけるが、まるで反応がない。脈を取り、呼吸を確認する。肉体の異常は、特にないようだ。

 

「……先生……」「……オーラスキャナーを」

 

「は、はい」看護師からスキャナーを借りると、亜夢の身体の上空を、静かに滑らせていく。

 

 ……この意識の落ち方……もしや、神子か? ……

 

 亜夢のPSI パルスをチェックしつつ、神取は、精神を研ぎ澄ませ、亜夢の無意識に、自分の意識を重ねようと試みる。

 

 看護師に悟られぬようにして、軽く目を伏せ、再び開く。そこには、この世と重なる、霊界……異世界が、彼の次元を超えた視界に飛び込んで来る。

 

 不意に、看護師が左手を拡げ、自身の電話を受けた。

 

「わかりました。……ええ、すぐ行きます」

 

 電話を切ると、看護師は、他の部屋を巡回している、別の看護師のヘルプに呼ばれたことを告げた。「すみません、先生……」「構いませんよ。こちらは私が診てましょう」

 

「お願いします」と言い残し、看護師は、亜夢を神取に託すと、足早に部屋を後にした。

 

 神取は、再度、呼吸を整え直し、霊視を深めていく。

 

 亜夢に重なるようにして、"そこに居る"存在。それを感じ取った神取は、その存在にフォーカスを合わせるように、意識をコントロールしていく。

 

 亜夢に良く似た、もう一人の少女の姿が、神取の視界に浮かんでくる。

 

 ……神子……

 

 静かな湖の、水面のように見開かれた、霊体のその瞳。瞬きもなく、天井を見上げている。否、彼女は、天井を見つめているのではない……この世界とは別の次元の先に、何かを見つめていることを神取は直感する。

 

 ……何を見ている? ……

 

 神取は目を閉じ、彼女の見つめる次元へのアクセスを試みた。

 朧げに浮かんでくる、扁平な白い塊……

 段々とその塊は、形を結んでいく……

 

 機械? ……翼のようなものが見える……航空機?

 

 “A・M・A・T・E・R・A・S”

 

 神取の視界に、白い影の側面に刻まれた船名らしき文字が、飛び込んでくる。そのまま、彼女の意識の先を追っていくと、やがて、そのものの中に、引き込まれるような感覚を覚える。

 

 ……もしや、『異界船』⁉︎……

 

 だがそこで、神取の意識は、巨大な障壁のような感触に遮られた。

 

 ……くっ、結界か⁉︎だが、神子は、奴の中まで? ……どうやって⁉︎……

 

 神取は、素早く立ち上がると、部屋を見回す。その部屋の影溜まりに目を留め、念を送る。

 

 ……玄蕃‼︎……玄蕃はいるか⁉︎……

 

 

 暗闇に包まれた細長い空間を、滝の如く滔々と流れ落ちる水流。IN-PSID中枢区画の六角推台、及び六角柱状建造物の各辺には、PSI精製水の給排水管が通っており、各フロアのPSI設備への精製水供給と回収を行い、またそれ自体がIN-PSIDの、結界システムの一端として機能している。

 

『異界船』を制御しているであろう区画は、多重結界区画であり、外部からの霊的侵入を拒んでいた。この精製水の給排水路のみが、結界内への、唯一の侵入可能路であることを突き止めた玄蕃は、霊体感知されにくい、排水側からの侵入を試みていた。

 

 しかし、その水には、様々な使用済み現象化情報の断片が、未処理のまま刻まれ、その力場に捕まるものなら、玄蕃自身、霊体を損ない兼ねない、危険な水流である。

 

 配管の壁面にへばりつく影は、水流の動きを見極めながら、ゆっくりと上を目指す。彼の目指す先は、深い闇に覆われている。見上げる影の下スレスレを、強い引力を伴った水塊が、落ちてゆく。

 

 ……ぬぅおおっ‼︎……

 

 その引力に捕まり、滑り落ちそうになるが、玄蕃は、すんでのところで、踏みとどまった。

 

 ……ば! ……玄蕃! ……

 

 ……っ? ……かろうじて玄蕃は、主人(あるじ)の呼び声を聞き留めた。

 

 ……お頭……?

 

 ……玄蕃、戻れ……

 

 ……何事? ……

 

 ……『異界船』を捉えた……

 

 ……ま、まさか⁉︎……

 

 ……詳しい話は後だ、まずは戻れ! ……

 

 ……しょ、承知! ……

 

 

 ****

 

 歪曲した空間を映し出すモニターは、目まぐるしく、映像を入れ替える。時空間の狭間を、<アマテラス>は、導かれるまま進む。

 

 集中治療室らしい一室——保護カプセルに収容された、小さな肢体が見える。目立った外傷は無い。だが、その微弱な脈動を、生命維持装置が、かろうじて支えている。

 

『急性PSI 中毒症……二日持つかもたないか……』

 

『そんな! 助ける方法は、無いのですか⁉︎』

 

 音声変換された会話が、<アマテラス>のブリッジ内に響く。

 

『地震の被害も甚大だ……PSI医療器機も使えない状況では』

 

 映像は、途切れ途切れに切り替わる。

 

『……うっ……うっ……あなた……ごめんなさい……わたしが目を離さないでいたら……うぅ……う……』

 

『ふぇぇぇん……ふぇぇぇん…………ふぇぇぇん……』『うっうっうぅぅ……』

 

 泣きじゃくる赤ん坊の声と、悲痛な嗚咽が入り混じる。

 

 病院の、待合室のような場所だ。大勢の人でごった返している。皆、怪我を負っているようだ。

 

『きみのせいじゃない……俺が……俺が……すぐに迎えに出ていれば……』

 

 悲痛な心の叫びが、響いてくる。

 

『何か……何か手はないのか! ……何か‼︎』

 

『ナオ……もう一度、目を覚ましてくれ! ……ナオ! ……直人‼︎』

 

 ブリッジを貫くその叫びに、直人は、目を見開き、顔を上げた。ブリッジの、一同の視線が、直人に注がれる。

 

「と……父さん……」震える直人の唇が、いびつな言霊を形作っていた……

 

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