闇の中で光るもの 2
「……真世さん……真世さん」
穏やかな、優しげのある声だ……。
「真世さん!」
でも……どこか乾いている声……真世はそう感じながら、ゆっくりと目を開ける。
「……神取先生……わ……わたし……どうして……」
「大丈夫ですか? 軽く意識を失っていたようですよ」
「あ、亜夢ちゃんは?」ハッとなり、あたりを見回す。
「ああ、彼女なら大丈夫……今、部屋で寝かせてます」
「館内警報が感知していたので、来てみたら、貴女とあの子が、意識を失って倒れていたんですよ」
神取は、そっと、真世のオーラキャンセラーを手渡す。
「あの子、有能力者らしいですが……もしや発作を?」
「え……えぇ……そうみたいです」真世は立ち上ががりながら、受け取ったオーラキャンセラーをまじまじと見詰める。
「これでは、全く抑えられなかったみたいだけど……神取先生が?」
真世は、神取の瞳を覗き込む。無言で神取に問いかける。
……襲われそうになったわたしを、守ってくれたのは……神取先生、貴方はいったい何を……
「いえ……私は何も……」
「……そうですか……」真世は、腑に落ちない気持ちを抱えたまま、言葉を続ける事が出来ずに俯く。
「亜夢さんの事は、私が診ています。真世さんはお母様のところに……今日も泊まり込むのでしょう?」
はっと我を取り戻す真世。そうだった……。
「どうしてそれを?」
「ああ、看護師さん達から聞きました。ここは私に任せて、さあ……」
「すみません、ありがとうございます」
「いえいえ、困った事があれば、医局へ連絡ください。私も宿直ですので……」
施設内は、様々な結界防御機能があるとはいえ、先ほどのPSI 現象化の影響が、母親に出ていないか、にわかに気になり出した真世は、神取に軽く会釈で挨拶すると、踵を返し、足早に母の部屋へと向かった。神取はそのまま、真世の後ろ姿を見送り、彼女が母の部屋へと戻っていくのを確認する。
それを見計らったかのように、神取の背後の影が伸びる。
……首尾は? ……
……上々だ……この一件、記録に細工を加えた……お頭の関与には、誰も気づかぬだろう……
……うむ……
元、忍びの怨念である神取の式神、玄蕃は、敵陣への潜入、警戒システム、防御兵器の無効化、味方の手引きといった、拠点攻略の技術に長けている。彼の存命した時代から六百年ほど経ったこの時代のシステムにも、類い稀な学習能力と洞察力によって精通している。仕組みは変れど、設計理念、思想のパターンは、時代を経てもそう変わる事はない……その"勘所"を玄蕃はよく抑えていた。
亜夢のサイキック能力の発現に対して、通常であれば、施設の警報が発生する。亜夢の異変にいち早く気づいた神取が、彼女の能力を確かめようと、警報を一時止めておく事ができたのも、玄蕃の調査があればこそ可能であったのだ。
……この城のカラクリも、ほぼ全容を把握した……全てを無効化するのは至難ではあるが……抜道はいくらかある……
……抜道か……ふっ……堅牢なシステムほど、網の目の警戒は疎かになるものだな……
神取は、微かな笑みを、口元に浮かべる。
……引き続き頼むぞ……
……御意……
影は、再び何処かに姿を消す。神取は、振り返ると、亜夢の部屋の扉をそっと開けた。
照明が落とされ、窓とカーテンも閉め切った暗闇の中で、亜夢の寝息だけが、静かに繰り返されていた。
先刻、この部屋へと亜夢を戻し、玄蕃に施設の警戒網に感知されない結界工作を、施させておいた。この施設の結界効果と併用すれば、先程のような発作的な能力発現も、ある程度抑制できるであろう……
神取は無言のまま、亜夢の安らかな寝顔を見据えていた。神子は、確かに目の前にいる。だが、先程神取が感じ取った、「あの気配」を今は感じる事はできない。
彩女の報告によれば、この娘、どうやら二つの異なる意志を持つらしいが、今この娘に"居る"のは、はたして神子か……それとも……
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IN-PSID中枢施設、六角錐台状の二階〜三階部は、多様化するPSI災害『PSID:PSI DISASTER』への対策研究統括室が、テクノロジー、医療、心理、生物、自然環境などのセクションに分かれて置かれている。各研究統括室は、更にIN-PSID附属大学内に研究施設を持ち、大学と連携して、刻々と変容するPSIDを克服すべく、日夜研究を重ねていた。
そのうちの一つ、『PSIテクノロジー安全対策課』のラボには、日曜日の夕刻にもかかわらず、数名のスタッフが、藤川の招集に応じて詰めていた。
六十代ほどの中肉中背の男が、若い研究員を伴い、解析端末のパネルに、幾重にも表示された解析コードのウインドウに向かいながら、その検証を進めている。
彼の名は、片山徹。藤川の出身大学の後輩にあたる男で、IN-PSIDの副所長と、附属大学の学長を兼任している。IN-PSIDきっての堅物と評され、頑固で融通が利く男ではないが、彼の実直な仕事ぶりには、藤川も信頼を寄せている。インナーミッションに直接関わる事は、殆ど無いが、日常的な外部機関や民間からの対PSID対策依頼の処理も、ほぼ彼が一手に引き受けており、実質、IN-PSID本来の災害対策機関としての機能は、彼によって動かされている、とも言える。
「どうかね……片山くん」
藤川は、モニターに向かう片山の、丸まった背中に語りかける。片山は、無言のまま、短く切り揃えた、白髪混じりの頭を雑に掻く。
今、巷で噂になっている『神隠し』と、それに関連していると目される、『オモトワ』の関連性を明らかにし、関連があればその確固たる証拠を挙げる……それが例の、勇人からの依頼であった。いや、勇人が言うには、元は警察からの捜査協力依頼、という事らしいが……
藤川は、片山とインナースペースドライブのスペシャリストの研究員を召集し、「オモトワ」のシステム解析を頼んでいた。
データソースは、調査協力機関として、警察のヴァーチャルネットセキュリティ課から提供を受けている。高度な解析技術をもつ警察でも、決定的な証拠を挙げる事はできていない。IN-PSIDの技術をもってしても、この数時間で成果を出す事は、困難を極めた。
「それなりです……」片山は、短く答えた。
片山が言うには、IN-PSIDの実験用インナースペースサーバーに提供されたデータソースから、実機と同様の環境を構築、また、同じく警察から提供された、エミュレータのセットアップ、動作確認まで完了させており、検証環境は整ったらしい。現在、ダミー意識プログラム(実機のように、IN-PSIDのヴァーチャルアクセスルームを使って、生身でアクセスすることもできるようにしたが、研究員に何らかの被害が出るとも限らないため、藤川は、心理課の協力も得ながら、アクセス用の、ダミー意識プログラムの作成を指示していた)を使ったアクセス試行を、何通りか試行しているところなのだが、特別変わった事はない……といった内容を、画面をいくつか切り替えて見せるだけで、言葉少なく説明する。
片山は、非常に優秀な技術者でもあるが、何事も、言葉に表わすのを不得手としていた。大学の学長挨拶も、必要最低限の言葉で綴られた原稿をきっちりと読み上げるだけという……学長らしからぬあり様であるが、そのシンプルさはかえって学生たちの間では、好評であった。
「そうか……」藤川もまた、言葉少なく答えた。長年、後輩として藤川の研究を技術のみならず、実務的な面からも、影ながら支えてきた彼とは、その短い言葉のやりとりだけで充分であった。
「……失踪事件に繋がるようなものは、今のところ何も……ただ……妙なPSIパルスが、断続的に利用者の無意識層に送られているようです」
片山は、解析中のグラフ化されたデータを、モニターに投影して見せる。説明の言葉はない。
「何かわかるか?」
「いえ……念のため、データベースのPSIパルスデータと照合したところ、二十年前の震災前後に、似たようなPSIパルスが、観測されていたようです。地震波のインナースペース次元情報の類でしょうが……」
「……これも……二十年前か……しかし、なぜそんなものを……」藤川は顔しかめる。
「震災二十周年キャンペーンらしいので、その絡みかと……ですがダミーでは、このPSIパルスに、何ら反応を示しませんね」
警察でも捜査員の安全を考慮し、捜査員のアクセス検証は避け、プログラム解析や、実機端末の分解調査等、技術的なアプローチのみであったため、IN-PSIDの技術による、ダミー意識プログラムでの検証は、解決の糸口を見いだす期待を、警察からも寄せられていたのだが、一筋縄ではいかないようである。
片山は、淡々と続けた。「即席のダミープログラムでは、無意識領域の情報量が乏しいので、どうしても……」「これが限界か……だが、研究員にアクセスさせるのは避けたい……」
片山は、藤川の言葉に、大きく頷いてみせた。
藤川は、左手の杖に体重を持たれかけるようにしながら、しばらく思索を巡らす。片山は、必要なことは話し終えたとばかりに、モニターに向き直り、作業を再開する。
静まり返ったラボには、研究員らの操作するコンソールの操作音、機材から発せられる確認音が、あちこちで無機質な声を上げていた。
藤川は、ふと顔をあげた。
「片山くん……メインサーバーにアクセス……このファイルを呼び出してくれ」藤川は、自身の小型端末を脳波コントロールで操作し、アクセスパスを片山の端末へと送信した。
片山は、怪訝に思いながらも藤川の指示に従い、彼の指定したファイルを呼び出す。
『PSIパルス照合:藤川弘蔵……ファイルアクセス権レベル1確認…………ファイルを展開します』
ファイルへのアクセスを許可する、合成音声が消えると、片山の端末モニターに、数百件に及ぶデータファイルが、次々と展開されていく。
「これは……生体記憶データ? ……しかもこの膨大なデータ量は……」
「これなら……どうかね?」
「ええ、この情報量ならもしや……しかし、これは?」
藤川は、片山の端末と連動する、大型モニターに展開されるファイル群を、じっと見つめたまま呟く。
「私の……大切な友人の記憶だ……」




