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残滓 3

「それじゃあな、貴美子。明日、会えるのを楽しみにしてるぞ」

 

 愛想の良い、好々爺の笑みを浮かべながら、勇人はディスプレイの中で、軽く手を振っていた。

 

「ええ、気をつけていらしてくださいね」

 

 貴美子は挨拶を返すも、藤川は、無言のまま微動だにしない。

 

「コウ……おい、コウ!」

 

「……ん?」「よろしく頼むぞ」

 

「あ……ああ」真顔で念を押す勇人に、藤川は、心ここに在らずと言わんばかりの生返事で返す。勇人は、旧友が既にこの一件に片脚を突っ込んだ事を確信する。

 

「もう、コウ!」貴美子は、夫の非礼を詫びるように勇人に二、三度頭を下げる。

 

「いい、いい。それじゃあな」気にする風もなく、勇人はディスプレイから姿を消した。

 

 娘と孫娘の変わらぬ笑顔が、画面に再び現れる。勇人の消えたディスプレイを、ずっと凝視し続ける藤川。決して、娘らの笑顔に見入っているわけではない。

 

「……『神隠し』……か……」

 

「コウ……」夫の呻くような呟きに、かける言葉は無い。

 

『神隠し』

 

 この言葉は、藤川、貴美子、勇人にとって、未だに重石のように残っている、過去のある事件を想起させる……貴美子は、その事を噛み締めたまま、静かに昼食の後片付けに取りかかった。

 

 

 ****

 

 入り口を抜け、間接照明の灯る、薄暗い四畳ほどの部屋に足を踏み入れる。ヒーリングミュージックと、イングリッシュガーデンを想わせる庭園風のホログラム映像が、直人とサニを迎え入れた。ホログラムは、オモトワの受付時の心理チェックにより決まり、数パターンあるようなことを、サニが解説した。

 

 部屋の中央に目を向けると、ちょうど二人で腰掛けられるベンチ(部屋のグラフィック、利用人数に合わせて選択される)が薄明るく照らし出されている。

 

『直人さん、サニさん、どうぞこちらへ』

 

 低く落ち着いた、紳士風の音声案内に従って、直人とサニは、ベンチへ並んで腰掛けた。

 

『……ようこそ直人さん。サニさん。直人さんは初めてのご利用ですね?』「は……はい」

 

 自律思考型AIでコントロールされた音声は、対話形式で利用説明に続き、直人の生い立ちや近況などを話題に出し、コミュニケーションを深めていく。サニとの関係を訊かれると、しどろもどろになる直人に対し、サニは平然と二人の"秘密の関係"まで暴露。

 

「どーせ相手はAIよ」と、あっけらかんとしているサニ。顔を赤らめて俯く直人に、『大丈夫、秘密は守りますよ』とAIの音声は、優しく宥めてくる。

 

 どうやらこの流れは、いわゆる『ラポール』の形成過程のようだと、直人は理解していた。また同時に誘導催眠も施されている。職業柄、こうした心理操作に対して、知見と防衛訓練を積んでいる直人は、反射的に警戒体制をとっていた。

 

「センパイ、そんなにガード固めてるとうまくいかないよ。大丈夫、アタシが付いているから」同業者のサニには、直人の反応はよくわかる。直人が固く握り締めている手に、サニはそっと手を乗せ、宥めるように「大丈夫……」と何度か囁く。

 

 ……そうだな、サニが一緒だし……

 

 サニの声に、直人は、次第に心のガードを解いていく。

 

『……では、直人さん。参りましょう。……目を軽く閉じ、貴方が今逢いたいその人を、思い描いてください……』

 

 AIの声が、だんだんと遠退いていく。

 

『……貴方の、無意識の中に息づくその人……』

 

 意識のまどろみを感じ始める。

 

『……心の底に沈んでいた記憶……いま……それが、貴方の目の前に現れます……』

 

 身体の感覚が、一瞬途切れたかと思うと、次の瞬間、足元からグッと引き寄せる引力が、全身を包み込む。

 

 地に足がつく感覚を覚えると、いっとき奪われた五感が、急激に回復していくのを感じる。

 

『さあ……眼を開けて……』消え入るようなAIの音声に従い、直人は静かに目を開ける。

 

 開けた視界に飛び込んで来たのは、直人にも朧気に記憶のある場所……

 

「こ……ここは……」先程まで座っていたベンチは、クッションのついた、背もたれのない長椅子に変わっている。待合室のような場所だ。

 

「きゃ、やだ! センパイ可愛い〜!」隣に腰掛けていたサニの声が、やや上の方から聞こえ、反射的に顔を上げる。

 

「サ……サニ? あれ?」こんなに身長差があったろうか? いや、むしろ自分の方が、背丈はあったはず……慌てて自分の身体を見回す直人。

 

 すぐに、自分の身体がずいぶん縮んでいる事に気づく。

 

「ナオくん? どうしたの?」

 

 サニの反対側から声がする。聞き慣れた声だ。

 

「か……母さん?」

 

「母さん?」ずいぶんと若返ってはいるが、紛れもなく、自分の母親に違いない。直人が思わず発した「母さん」という呼びかけに、その女性は、幾分困惑した表情を浮かべた。

 

「ねぇ……ナオくん。今、誰かとお話ししてた?」

 

「ハロー! サニです!」サニが愛想よく挨拶するものの、母親は、直人の方をまじまじと見つめるのみ。「……って、あれ?」困惑するサニは、直人の後ろで、大振りのジェスチャーを交えながら何度か、呼びかけるが、まるで気付かれない。

 

『サニさん……今は、直人さんの記憶を再構成しています。ここにいなかった貴女は、直人さん以外には、基本的に認識されませんよ……。幽霊みたいなものです』AIのガイド音声が、見兼ねかたように説明する。「えー、そうなの……」サニは、不満げに呟いた。

 

「オレの……記憶……?」なるほど、身体が縮んだ、いや幼い頃の自分が、アバターとなっているのだ、直人はそう理解した。

 

 直人は母に、首を横に振って、素知らぬ顔をしてみせた。「そう……」母が直人から視線を外したその時、胸元の抱っこ紐の中から、泣き出す赤ん坊の声が漏れてきた。「沙耶?」

 

「沙耶! あぁ……よしよし……ナオくん、ママ、ちょっとオムツ変えてくるから。ここでパパ待ってて」「う……うん……」

 

 直人の返事を待つまでもなく、母は生まれて間もない妹を連れ、化粧室へと駆けて行った。

 

 若い母親に、幼い妹……待合室……

 

「そうか……これは、あの日の……」

 

「あの日? ……もしかして、ここは?」

 

 サニは、昨晩聴いた話を思い返していた。直人は頷いて応える。

 

「ああ……震災のあった、あの日……JPSIO……」

 

 その事を、直人が認識した瞬間、風景が目まぐるしく入れ替わっていく。どうやら、直人の無意識の記憶をスキャンして、直人の一番強い、父親との記憶を捜索しているかのようだ。

 

 風景は飛び飛びで、表層記憶には残っていない、たわいもない、幼い日の父親と遊んだ事、悪戯して叱られ泣いた事、妹が産まれる前、家族で旅行に行ったらしい思い出、妹が産まれる瞬間に、父親に抱っこされながら立ち会った事……その時の感情まで呼び起こされながら走馬灯のように流れていく。

 

 しばらくすると、再びJPSIOの待合室の風景に戻ってきた。自然と流れ落ちる涙が、頬を伝う。

 

「幸せ家族じゃん……」瞳を潤して、声を震わせるサニ。直人は、声も無く頷く。

 

『……意識の奥底に埋もれてしまった、お父さんとの記憶……だいぶ想い出してきたかな?』

 

 どこからともなくAIが語りかけてくる。

 

『……さて、ここまではほんの入り口。直人さん……ここからは、お父さんとの、本当に想い出したかった記憶を、呼び起こしていくよ……場合によっては、辛い想い出に直面するかもしれない……それでもここから進みますか?』

 

 AIは声のトーンを落とし、問いかけてくる。直人は、目を閉じ、昂ぶった感情を鎮める。

 

「センパイ……?」心配そうに、覗き込むサニ。

 

「……大丈夫。行こう。それを知るために来たんだから」直人は、涙を拭って目を開くと、覚悟を決めて顔を上げた。

 

「付き合うよ、センパイ」「ありがとう……サニ」正直、不安は感じている。今となっては、サニが一緒に居てくれるのは心強かった。

 

『……では、直人さん、サニさん。ゆっくり立ち上がって』

 

 二人が長椅子から腰を上げると、深いトンネルのような口が、ポッカリと口を開ける。その中で、二人を導くように、小さな灯りが微かに灯った。

 

『……その灯りが、あなた方を導きます……さあ、どうぞお進みください』

 

 直人は、サニの手をとり、トンネルの中へと足を踏み入れていった。


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