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残滓 2

 天頂へと至った夏の陽は、この日も燦々と照り輝いている。

 

 藤川は、所長室のバルコニーで、水平線の先に立ち昇る積乱雲を眺めながら、妻、貴美子と共に遅めの昼食をとっていた。休日の、夫婦水入らずのランチタイムは、所内から出かける機会が少ない二人にとって、ささやかな楽しみであり、お互いの時間が合う時に、所長室や病院棟の医院長室、食堂やプライベートガーデンなど、IN-PSID施設内の各所で、ランチタイムやディナータイムの時間を作っていた。ランチタイムは時々、貴美子が弁当を準備してくれるので、藤川も特に、この時間を大切にしている。

 

「貴美子……これは?」神妙な面持ちで問う夫。食には少々小うるさい。

 

「この間貰った小鯛、味噌粕漬けにしてみたのだけど……どう?」

 

「……うむ……」夫は静かに味わっている。口に合わなかったのかしら、と様子を伺う。

 

「いや……これは絶品だ。いつもの塩焼きもいいが、なるほど、これはいい」

 

「よかった……ここでは昔からある料理みたいよ。この間、郷土料理復興会で教えてもらったの」

 

「合成食材の普及が進んで、忘れかけられている料理も、まだまだ沢山あるのだろうなぁ」藤川は小鯛の味噌粕漬けをもう一切れ頬張ると、先ほどより丹念に味わう。

 

 部屋の方で、電話のコールがなる。藤川の小型端末も、連動してコールを繰り返していたが、この時間を邪魔されたくない藤川は、構わず箸を進めた。

 

「電話、いいの? 誰から?」貴美子は心配そうに伺った。

 

「風間だよ。これで三度目だ。どうせ面倒ごとに決まってる」ランチタイムの直前に二回、電話があったが、藤川は、貴美子との時間を優先したのだった。

 

「もう、出てあげなさいよ」

 

「後で折り返すから……お、おい」藤川がそう言う間に、貴美子は席を立ち、藤川のデスク上の端末で応答する。

 

 端末の光ディスプレイが形成されると、着崩した柄物のオープンシャツに、サマージャケットを羽織った、細身の男性が現れる。

 

「やあ、貴美子。元気かな? コウは?」

 

 ——風間勇人はやと——

 

 全日本PSI開発推進機構(Japan PSI-development and initiatives Organization 通称:JPSIOジェサイオ)の理事長であり、直人の祖父にあたる男だ。

 

 藤川と同い年ではあるが、後退した頭髪を短く刈り上げ、薄っすらと髭を蓄えた精悍な顔立ちと、すらっと伸びた長身の立ち姿は、五十代でも通りそうだと、貴美子は思う。

 

「風間さん、お久しぶり。コウは……」

 

 貴美子が、バルコニーのほうへ振り返ると、勇人を映すディスプレイに向かって、藤川は睨め付けるような視線を送っている。

 

「こりゃ、水を差してしまったようだな」柔和な笑顔は、どこか少年のようで可愛らしい。

 

「いえいえ、コウったら……ごめんなさいね。あ、そうそう。この間紹介していただいた神取先生。優秀な方ね。とても助かっているわ」間を繋ごうと、貴美子は、話題を提供した。

 

「こちらも、無理を頼んで申し訳なかった。どうしてもそちらで研修させたいと、病院側の強い希望でな……だが、お役に立っているようで何より」「ええ、本当に。このままうちに来てもらいたいくらいだわ」

 

 藤川は、箸を休めると、おもむろに席を立ち、ディスプレイへと近づく。

 

「そんな世間話をしに、わざわざ電話して来たのでもあるまい? 今度は何だ?」

 

 袂を分かったJPSIOとは、なるべく距離を置きたい藤川は、最近ちょくちょく連絡してくる勇人に、抗議するかのような口調で問いかける。

 

「おいおい、そんな怖い顔するなって。この話、お前も絶対に、興味を持つから」

 

 勇人の顔から、笑みが消える。こういう勇人の表情には、嘘がない。藤川は、しぶしぶ机の椅子に腰を下ろし、両ひじを机に乗せ、顔の前で両手を組み合わせると、目配せで続きを促した。

 

「コウ。今、巷で、ある噂が拡がっている」

 

「噂?」やや勿体つけた勇人の言い回しに、怪訝そうに相槌を打つ藤川に、勇人はディスプレイに顔をぐいと寄せて、神妙な面持ちで迫る。

 

「『神隠し』だよ……」

 

『神隠し』その言葉にはっとなって、体を硬らせる藤川。藤川は努めて冷静を保つが、貴美子はその素振りと裏腹な、夫の動揺を感じ取っていた。

 

 

 ****

 

 日差しの衰えない昼下がり、直人とサニは、鳥海まほろば市郊外の、ヴァーチャルネットカフェに居た。

 

 ヴァーチャルネット環境はライト、スタンダード、フルのランクがあり、ライト、スタンダードは家庭用でも普及しているが、フルは業務用限定となっており、専門機関(IN-PSIDにもあるが、利用制限が厳しい)、企業、公共施設やヴァーチャルネットセンター、ヴァーチャルネットカフェ、一部ゲームセンターなどでのみ利用が可能であり、ヴァーチャルネットインナースペースドライブ(インナースペースのアバターと完全同期するシステム)により、インナースペースに構築された仮想現実空間を、実体験とほぼ変わらない感覚で楽しむことができる。(同期しないのは『死ぬ事』(死ぬ間際を様々なシチュエーションで体験できるサービスはあり、かなりの人気を博しているが……)くらいなものである)

 

 ヴァーチャルカフェには、主にこの、フル対応の機種が設置されており、どの施設でも連日、ほぼ満席の盛況をみせていた。特にフル環境版のオモトワは、専用機種で、設置できるカフェは限られている為、非常に予約をとりにくい状況が続いている。ここも郊外のカフェとはいえ、オモトワの順番待ち利用客や、キャンセル待ちがたむろし、オモトワ以外のフル対応設備も、満室状態で賑わっていた。

 

 人気絶頂のオモトワは、予約を取るのが非常に難しいが、震災二十周年メモリアルキャンペーン中であり、二十年前の被災者である直人は、サニのサポートを受けながら、優先予約枠で、何とか予約を入れる事が出来ていた。

 

 カフェの混み合う受付ブースで、直人は、通常利用者登録の他に、被災者情報確認(予約の際は、社会保障制度番号の入力、照会のみであったが、受付機ではPSI テクノロジーを用いた無意識の記憶スキャンを何度か行う事により、被災者であるかの特定を行う。直人はこれにいくらか不快感を感じていた)に戸惑いながら、自動受付機で手続きを進めている。その直人の作業に、サニは終始、口出しする。オモトワに関しては、自分の方が『センパイ』なのだ。直人は、得意げなサニに、だんだんと煩わしさを覚えていた。

 

 震災キャンペーンの優先予約とはいえ、受け付けは予約確定から三時間待ち。その間、直人はオモトワの事前予約を手伝ってもらったことと引き換えに、サニのショッピングやら、食べ歩きのお供に引っ張りまわされ、いささかゲンナリしていた。

 

「で……いつまでくっ付いてくるわけ?」

 

 直人は、受付の操作にあれこれ口出しするサニに、幾分、嫌味を込めて言い放つ。

 

「だってセンパイ、これ使うの初めてでしょ? あたしが付いてた方が、安心できるでしょ?」サニは、ケロッとした顔で応える。

 

 直人に鬱陶しがられているのを気にもとめず、彼の操作に割って入る。呆気にとられている直人を横目に、複数参加を可能にする「グループセッション」の項目まで一気に進めた。

 

「あ、これ、『はい』にしてね」と戸惑っている直人を、急き立てるサニ。その勢いに言われるまま直人が『はい』の項目を選択すると、サニは空かさず「グループメンバー」へ登録を済ませてしまった。

 

「は? ……お……お前なぁ〜」時すでに遅し。

 直人がサニの同時参加に、同意してしまったことに気付いた頃には、受付は既に完了していた。ここでようやく、サニから解放されるという直人の期待は、淡くも崩れ去ったのだ。

 

「さっ。行きましょ!」平然と開き直っているサニに、ため息しか出ない直人。「はぁ……邪魔、しないでくれよ」「わかってるって」満面の笑みで返すサニ。

 

 最近、ヴァーチャルネットでよく見かける「オモトワ」利用者の「神隠し」の噂を、おそらく直人は知らない。単なる噂だとは思うけれど、直人を独りにしてはいけない……ふとそんな予感を、サニは感じていた。

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