眠れる少女 2
「よーし! いいぞ! ゆっくり回せ、ゆっくりとだ」
「はい!」
<アマテラス>機関部のメンテナンスハッチより、エンジン下に潜り込みながら部下に指示を出しているのは、技術統括部長のアルベルト。
昨日の有人試験中のトラブルから、辛くも生還した<アマテラス>であったが、特に制御システム系統や機関部のダメージは大きく、復旧には丸々一晩を要した。
ようやく復旧作業が終わり、エンジンの火入れへと漕ぎ着けている。
「おやっさん! 上から電話!」
開け放たれた機関区入り口の先、ブリッジの方から呼び出しがかかり、アルベルトはモゾモゾと這い出てくる。
「あと見とけ。目離すなよ」
そう言いながら、エンジン出力を計測していたモニター端末を側にいた部下に託し、ブリッジへと向かう。
「おやっさん!」
ブリッジのパイロット席から声がかかる。
メインパイロットのティムの姿がそこにあった。昨日のトラブルから間もないが、何事もなかったかのように自分の持ち場の調整を行なっていた。
エンジンの出力調整を自席からモニターしながら操縦桿の体感調整をしていたティムは、アルベルトに向け親指を立て、彼の満足感を表した。
"ざっとこんなもんさ"とでも言わんばかりの澄ました顔で、ポケットから取り出した愛用の柄物のスカーフを首に巻き付けながら、アルベルトはティムに応えた。
可愛い気のないオヤジ……と内心苦笑するティム。いつもながらのやりとりだ。
その可愛い気のないオヤジ、アルベルトは、可愛いらしい細身のリボンで結んだ、長い顎髭を撫でるようにして整え、キャプテンシートでシステムチェックを進めていた部下に、メインモニターへ通信を切り替えるよう指示。
変なスカーフにリボン……彼のファッションセンスは、やっぱり理解できないとティムは思う。
メインモニターには、アルベルトとは対照的な生真面目な男が現れた。
「部長、作業の進捗はいかがですか?」
相変わらず深刻そうな面持ちの東がモニター越しに問いかけてくる。
「あらかた終わったよ」
その言葉を聞くと東の表情は幾分和らいだ。
「あとはエンジンをしばらく回して、システムの最終チェックするくらいだ」
アルベルトは続けた。
「テストで報告された問題点は、できる限り解消したが……」
「やはりデータは……」
「うむ……船のレコーダーにいくらか残っていたがトラブルの起きた直後からはほとんど消失していた。そっちは?」
「復旧は試みましたが、こちらも……」
「……まぁ止むを得まい」
東は後ろから入り込んできた声に振り返る。
「あ、おはようございます、所長」
「おはよう、東くん」
「コーゾー! お早いお出ましだな」
「他に用があってな。アル、無理をさせてすまん」
藤川は長年の親友の労をねぎらう。
モニターに映るアルベルトは、左手で何かを欲している。彼の部下が即座に対応し、コーヒーの入った彼のマグカップを差し出した。それを受け取りながら、アルベルトは口を開く。
「完徹だったんだ。今日は早くあがらせてもらうぞ〜」
「うむ……」
藤川は、顔を曇らせ、その言葉に対しての返答を保留した。
長年の親友は、まだしばらく帰れなそうだと覚悟を決め、コーヒーを一口啜る。
「シフトの連中は帰すぞ、いいな」
「ああ、そうしてくれ」
アルベルトは静かにコーヒーを楽しんでいる。ブルーマウンテンをベースにしたオリジナルブレンド——温暖化が進行したこの時代、コーヒー豆も天然栽培が可能な地域はごく僅かであり、入手は極めて困難であった。絶滅した品種も多い。一般に普及している豆は、インナースペースに蓄積された過去の情報から復元され、人工環境で栽培されたものが殆どである。(コーヒー豆に限らず、こうした食品は数知れない)最近の復元豆の味は非常に良くなってきている。だが「揃いすぎている」とアルベルトは思う。若かりし頃、かろうじて味わうことのできた天然豆のコーヒーの個性豊かな風味……その再現を幾つかの豆をブレンドする事で再現しようとしていた——彼の好みは、若い彼の部下達に仕込まれ、作業場でもハンドドリップで準備させる。
彼曰く、技術の一手はコーヒーから。
アルベルトはブレンドレシピを作らない。弟子に伝えるのはざっくりした配分だけだった。だが、その『彼好みのコーヒー』の味(しかも、それは日々彼の体調や気分で如何様にも変わるのだが)をレシピに頼らず、完全に再現できる感性を養うことは、技術者としての感を鍛える事につながると考えているらしい。
部下達が修行と称するこの習慣は、兄弟子から弟弟子へと着実に受け継がれている。
今日の担当は、配属後三ヶ月の新米。コーヒーを啜るアルベルトの表情を不安気に見つめている。
味は……悪くない。が、控えめだ……。一人前になるにはもう少し時間がかかることだろう。
アルベルトは不安気な彼に軽く微笑み、及第点である事を伝えると、ホッとした彼は自分の作業に戻った。
「部長……一体何があったんでしょう?」
やや痺れを切らした東が切り出す。
「わからん」
アルベルトは率直に答える。不確かな事をあれこれ語る性分ではない。だが、話のコシを折られた東は言葉が続かない。
アルベルトはカップに残ったコーヒーに視線を落とす。軽くカップを振るとその漆黒の液面が静かに波打つ……それを見ていたアルベルトは思い出したように静かに口を開く。
「……ただ……」
東と藤川はモニターに映るアルベルトに引きつけられる。側で会話を伺っていたティムもアルベルトの方へ顔を向ける。
「船のレコーダーには、想定外の次元跳躍の記録が残っていた……」
「次元跳躍?」
「あぁ。ざっと七、八次元まで跳んでいた。ま、計器がイカれてたんで、記録ミスの可能性の方が高いが……」
アルベルトは間髪を入れず続ける。
「それともう一つ」
「ん?」
直人の席に設置されたemergency トリガーのカバーはまだ破られたままになっていた。
そこを撫でるように触りながらアルベルトは続けた。
「風間がトリガーを押す直前のレコードに、奇妙なPSIパルスが僅かにのっていた……」
「PSIパルス?」
「ああ。……ノイズみたいなもんだが……」
言いかけて、アルベルトは口をつぐむ。
試験中の外乱要因は徹底的に排除されていた……ノイズが入る余地は考えにくい。
あるとすれば……
「どうした、アル?」
怪訝そうに藤川が問いかける。
「……いや」
アルベルトは、頭によぎった懸念を振り払うように残りのコーヒーを一口で飲み干す。
「だがコーゾー。このテストで一つだけ実証できた事があるぞ」
深刻な二人の面持ちに気づき、アルベルトは明るさを取り繕った声で言う。
「PSI バリアの有効性だ。なにせ……」
ティムの肩にポンと手を置き、続ける。
「コイツらが、無事、帰ってこれたんだからな」
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