生と死の狭間で 4
「何!?」カミラの脳裏にも、前回のミッションで遭遇した、あの『手』が瞬時にフラッシュバックした。
「ティム、回避!」「ムリです!」
インナーチャイルドを吊り上げている<アマテラス>は、姿勢制御が精一杯の状態だ。
警報が 鳴り響き、モニターを警告灯が赤く染めてゆく。二つの『手』が<アマテラス>の両側面から迫り、その様子が、モニターにもはっきりと映し出される。
「来ます!!」サニが悲痛な叫びをあげる。
「くっ!」カミラも、モニターを睨みつけるのが精一杯で、指示も出せない。反射的に目を閉じて、身構えるインナーノーツ。
——やられた! ——
皆がそう思った瞬間、ブリッジはフンワリとした暖かな温もりに包まれる。
「……? ど……どうなってんの?」目を開けたサニは、予想外の光景に、目が点になっていた。
全てのモニター類は、黄白色の柔らかな光彩に彩られ、各席のPSI-Linkシステムモジュールが、暖かな光を放っている。ブリッジ中央のマルチ投影ホログラムが反応し、丸みのある像を映し出す。
「赤ちゃん……? ……インナーチャイルドなの……?」
目の前に現れたホログラムに驚きを露わにするカミラ。何かを求めるように、腕を伸ばしている。
「同調率が飛躍している……七〇……八〇……九〇%を超えるぞ!」アランも同調率の急増に、驚きの声をあげる。
「この船自体が、インナーチャイルドと一体化している……」
カミラの目は、前の赤ん坊を慈しむような目に変わっている。その映像の赤ん坊は、以前遭遇した『サラマンダー』の面影は無く、引き揚げかけた"消し炭"のような塊でもなかった。
思わずその映像に、カミラが手を伸ばした瞬間。
赤ん坊は、何かに怯えるように身を捩り始める。それと同時に、船体が大きく揺れ始めた。
直人は、PSI-Linkモジュールから逆流してくる、凍りつくような気配を僅かに感じ取った。
……亜夢! ……
<アマテラス>とインナーチャイルドを、ここに叩き落としたあの気配——
……来る! ……
「隊長! 時空間転移を!」
「ナオ?」直人の焦り混じりの声音に、カミラは一時の安穏から引き戻された。次の瞬間、サニのレーダーにも、新たな反応を示す警告アラームが表示される。
「<アマテラス>上空にも、新たな収束反応! 直撃コースです!! 接触まであと二〇秒!」
「急いで!!」直人は、切羽詰まる声でカミラに指示を促す。
「アラン!?」「この同調率だ、すぐに行けるぞ!」
「緊急転移!!」カミラの発令と共に、アランが時空間転移をスタートする。ブリッジのモニターの像が捻じ曲がり、急速に空間移動の様相を映し出す。
モニターの中を、巨大な水柱のようなものが、突き進んで行くのが見えた。間一髪、<アマテラス>は、その直撃を逃れたようだ。しかし、その衝撃波は、時空間転移中の<アマテラス>の船体にも軋みをもたらし、ブリッジの振動となってインナーノーツを揺さぶる。
映像が乱れ始めた、ホログラムのインナーチャイルドは、何かにしがみ付こうと必死にもがく。
……大丈夫、オレ達が必ず! ……
直人は、PSI-Linkモジュールを強く握りしめながら、インナーチャイルドへ呼びかける。
……おいで! ……そう語りかけると、直人は心象に浮かぶインナーチャイルドを、心の中でそっと抱き寄せた。
生身の赤子のような温もりを、全身に感じる直人。<アマテラス>は、嵐の海の只中にあるかの如く、揺さぶられていた。直人はその子を離すまいと、一層力強く抱きしめる。
「動き出しましたね、所長……」
「うむ……」
IMCの大型モニターに映し出された、大渦の図表にも変化が現れ始めた。大渦を形成する外縁部の一角が、原始の惑星を形作るかのように、徐々に一つの塊を形成し始めている。
「彼らでしょうか?」東はそれが、インナーノーツの脱出によるものでは、と結論を急ぐ。藤川は黙ったまま、モニターの動きを追い続ける。
「表層無意識域に波動収束反応‼︎ これは……<アマテラス>です! <アマテラス>のシグナル確認!」田中が満面の喜びを浮かべながら声を弾ませて報告する。
「よし!」東はその報告に思わず拳を握りしめ、小さくガッツポーズをとる。アイリーン、真世、そして、モニター越しの貴美子にも笑顔が戻った。
……よかった……
真世は心の中で、安堵のつぶやきを漏らす。
「現在位置、誘導ビーコン送信座標を起点に、相対座標4-2-1!」田中が続ける。
「<アマテラス>との通信はどうだ?」一刻も早く、状況を確認したい東。
「空間中のPSIパルスが乱れています。通信回復まで、しばらくお待ちください」アイリーンは、通信確立を試みながら返答する。
藤川も自席から立ち上がり、卓状モニターに視線を落とした。
「東くん、モニターを心象ビジュアルに切り替えてくれ」
「はい」東が応じると、図表プロットの渦に、色彩と質感が吹き込まれ、命を得た生き物のように蠢く、時空間の様相を描き出していく。
先程から現れ始めた塊は、さらに肥大化し、ほのかな赤みがかった黄白色の発光を示しながら、ゆっくりと明滅を繰り返す。その周期は、亜夢の鼓動(卓状モニターにはバイタル測定のグラフも表示されている)と完全に一致している事に、藤川はすぐに気づいた。
光の中に<アマテラス>らしき影が見えるが、まだ判然としない。
刻一刻と風景は移り変わっていく。藤川は、しばらくその変化を観察していた。
「……ん? 見たまえ、東くん」藤川の促しに、東も卓状モニターを覗き込む。
「こ……これは! 所長!?」東の驚きの声に他の3人のオペレーター達も思わず立ち上がり、卓状モニターを覗き込んだ。
「割れている……心が……二つに?」真世が、手を口元にあてながら呟く。
新しく生まれた塊を核とする渦の一角が、渦の回転による遠心力に従うかのように、徐々に分裂し始めていた。
分裂した、新たな暖かな発光を伴うエネルギー流の塊と、先程まで表層を占めていた仄暗い水流の塊は、それぞれがまた小さな渦を巻き、二つ巴を形作りながら、ゆっくりと回転している。回転が進む度に両者は、中央の目となっている時空間断層ホールを境に別れていく。
「先程までの時空間断層も、この分裂の始まりだったのか……」「うむ……」藤川は短く同意する。
無意識の分裂、それが時空間断層を作り、今やその断層から、亜夢の心象世界は、二つに引き裂かれつつあった。
「東くん……もしかすると我々は、検討違いをしていたかもしれん……」




