サルベージ 3
卓状の模式図に<アマテラス>を示すオブジェクトが表示される。
「まずは前回同様、表層無意識のPSI パルスとリンクしながら、「サラマンダー」が潜んでいた深層無意識の座標へ向かう」東が手にしたポインターを動かすと、模式図内の<アマテラス>が移動していく。
「だが、おそらくここに『サラマンダー』はもう居ない。個としての形質を失いかけ、個体無意識域の更に高次元、集合無意識域に近い時空間を漂っているものと推測される」
「この宙域で、亜夢の生体反応から合成したPSI パルスを使って、誘導パルスを放射。これで『サラマンダー』を引き寄せる」
説明に合わせて、東はポインターで一手一手、模式図で示す。
「ヤツが喰らい付いたら、インナーチャイルドのPSI パルスのみを検出し、表層意識からこちらに同調をシフト。インナーチャイルドとの同調を維持したまま時空間転移で一気に表層無意識に引き揚げる」
東がポインターを上方に引き揚げる動作をすると、モニター内の<アマテラス>を咥え込んだインナーチャイルドが、表層無意識と表示されたエリアに跳ね上がった。
「まるで釣りだな、こりゃ……」その様子を見ていたティムが苦笑いを浮かべながら呟く。
「なに、それじゃアタシ達は餌ぁ?」と口を尖らせるサニに、東は「そんなところだ」と、ニコリともせず答える。
「ただし餌は獲物に喰い尽くされてはいかん。そして、同時に喰らい付いた獲物を守る"盾"ともなる必要がある」
「盾?」直人が呟くように訊ねる。
「現象界からでは、『サラマンダー』の状況が確認できない上、引き揚げの際に表層無意識からの何らかの抵抗も予想される。<アマテラス>は表層無意識に上がったインナーチャイルドが安定するまで留まり、表層無意識の抵抗からインナーチャイルドを守り通すのだ」
東はそこまで説明すると、質問を求めるようにインナーノーツを見据える。
「もし、安定しない場合は……?」
アランの問いに藤川が答える。
「そこは亜夢の心次第だ……。残念だがそれ以上、我々は介入できない。<アマテラス>の活動限界に達するまで、安定が認められない場合はインナーチャイルドとの同調を解除して帰投してくれたまえ」
インナーノーツに緊張が走る。
「わかりました」状況によっては非情な決断も下さねばならない……カミラは覚悟と共に短く答えた。
「よし、それでは直ちに出動だ!」
「はい!インナーノーツ出動します!」
カミラが復唱し終えると、インナーノーツは、<アマテラス>への直通エレベーターに駆け込む。
その時、直人はふと、また昨晩感じた奇妙な気配を感じ、思わずエレベーターの前で立ち止まった。
そちらに目を向けると、何やら白いモヤのようなものが翻った。着物だ……白い着物を纏った、髪の長い何者かの姿が一瞬目に留まる。
視線に気付いた其の者が振り返る。が、その顔は、真世だった。直人が見た白い着物の像は、もう見えない。真世は不思議そうに直人を見つめ返している。
「セ・ン・パ・イ」
背中に何かが突き当たる感触と、その冷ややかな言葉にハッとなる直人。
指で直人の背中をツンツンと突きながら、直人に行手を邪魔される形になったサニが、背後で目を釣り上げている。
「もぅ!見とれてないで早く!」
「ご、ごめん!」
その様子を微笑ましく見つめる真世。
直人には、その微笑みが「頑張ってね」と励ましを送っているように感じ、微笑み返す。
直人とサニを迎え入れたエレベーターの扉が閉まり、インナーノーツは地下の<アマテラス>へと向かう。その扉を見送る暗い視線には、IMCに残る誰も気づかない。
……まったく……感のいい坊やだよ……
其の者は真世に重なったまま、辺りを見渡した。
……だが、この娘に憑いて大当たり……
その視線は、モニターに映る亜夢に向けられる。亜夢は一見、安らかな眠りについている。
……ふふふ……見つけましたよ……旦那様……
神取の研修初日、その最初の仕事は、研修担当医について、入院患者の診察巡回から始まった。
附属病院の方にも、PSI医療対象者の為の病床がある。長期療養棟の患者とは異なり、非PSIシンドローム患者を対象とし、身体の外傷や疾患、癌などによる臓器の損傷、機能不全に対してのPSI物質合成特性を利用した再生療法、また体質改善、アンチエイジング、パーソナル・インナースペース診断を取り込んだ診療内科など最先端のPSI医療を施している。国内外から診察、及び施術希望が殺到しており、緊急性が高い患者以外は、2、3年の予約待ちというほどの盛況ぶりである。
神取の紹介も含めた朝のミーティングが終わり、担当医に続いて医局を出た神取はふと歩みを止める。
渡り廊下が同じフロアの先に見える。昨晩、医院長が何やら連絡を受け、急いで向かった先だ。僅かではあったが、一瞬、あの先から探し求める気配を感じたように思う。
……彩女のやつ……うまいこと忍び込みおった……
背後に忍び寄った影溜まりからくぐもった声が聞こえる。影の中から響く声は神取にしか届かない。
……そうか……あの娘、やはり霊媒体質だったか……
……そのようだ……あの娘の、魂の隙間に隠れ、結界を欺いた……
……なるほど……で、彩女からの連絡は?……
……お頭の見込みどおり……あの中でそれらしき気配を掴んだと……だが……
……?……
……先程からあやつの声が聴こえぬ……あの先にまだ二重、三重と結界があるようだ……
……よし、其方は引き続き彩女からの連絡を待て……
……心得た……
「神取先生?どうかされましたか?」
立ち止まった神取に気付いた担当医が、彼らの会話を遮った。
「いえ、あの先には何が?」神取は表情を変えずに不案内な新人を装った。
「ああ、あっちはPSIシンドローム専用のICU区画と長期療養棟ですよ。PSIシンドロームの多くの症例はじっくりと心身の問題と向き合う必要があるため、どうしても治療が長期化するのでね……」親切な担当医は神取の質問に対して、丁寧に説明する。
「あの扉、薄っすら光ってますが、結界か何か?」
「よくわかりましたね。その通り。ご存知のようにPSIシンドロームは、他者へも影響する可能性があり、羅患者も外部環境の変化に非常に敏感です。そうした相互影響を遮断する為に結界で建物全体を保護しているのですよ」
「なるほど……いや、以前にも似たようなものを別の施設で見た事があったもので……」
「まあ、どのPSIシンドローム患者受容施設でも、結界の施工が義務付けられていますからね。けど、ここの結界はそんじょそこらの比ではない程、霊的遮断特性に優れています」
「ほう……霊的遮断特性ねぇ……」神取は感心深そうにその扉を眺め続ける。
……なるほど……『式神』共が怯む訳だ……
「今、先生の登録作業を進めてますのでね、それが済んだら、あちらでの研修にも入ってもらう予定ですよ」
「それは有難い。PSI シンドロームへの取り組みは、我々にとっても大きな課題の一つですからね」
「さあ、参りましょう」担当医は、神取を促す。「ええ」担当医の後ろに続く神取の口元に微かな笑みがこぼれる。




