眩惑 1
「あ、神取先生ですか?」
病院棟の方から駆け寄ってくる人影が呼びかける。
直人はその声に反応し、振り向いた。声の主が誰かはすぐにわかった。真世だ。
「あれ、風間くんも?」
「や、やあ……」
真世は、意外そうに直人を一瞥するが、すぐに神取の方へ向きなおる。
「遅くなってすみません。案内をさせて頂きます、藤川です」軽く会釈をしながら、神取に挨拶をする。
「神取です。藤川さん……もしや医院長先生の?」
「ええ、医院長は祖母です。さ、どうぞ中へ」
真世は神取を先導し、病院棟の入り口の方へ歩み出す。神取は、直人に軽く会釈しそれに続いた。
「あっ」ふと真世は立ち止り振り返る。
「風間くんもどうぞ。お見舞いでしょ? 案内するよ」
直人の手土産から誰かの見舞いに来たと察したらしい。
「あ、うん」
直人は言われるまま、真世と神取の後に続いた。
病院棟の中は、外来の受付時間も回り、受付のスタッフらも帰り支度を始めていた。
神取は、もう少し早く来るつもりだったが、引っ越しの対応に手間取ったなどと、たわいもない話をしている。見た目の印象より気さくな話しぶりに、真世も緊張がほぐれたようで、笑顔を見せながら応対している。直人は、二人の会話を後ろから黙って見守りながら、ついて行くしかない。
吹き抜け構造でガラス張りを多用した開放的なエントランスには、傾いた陽の光がいくつかの光条を作り、壁面をキャンパスとして黄金のアートを描いている。3人はその吹き抜けのフロアを見渡せるように設置されたエレベーターに乗り込む。
慣性コントロールされたシースルーのエレベーターは、揺れもなく階下を見下ろしながら昇っていき、すぐに三階に達すると静かに停止した。五階建の病院棟の中間、三階が事務フロアとなっており、医院長の貴美子の部屋もここにある。
迷う事なく医院長室に神取を案内する真世。部屋の前に設置されたインターフォン越しに貴美子を呼び出す。
「医院長。神取先生をお連れしました」
少しの間をおいて返事が返ってくる。
「どうぞ、お入りになって」
ドアが開く。真世も「どうぞ」と神取を促す。神取は真世に礼を述べると入室した。
「神取です。この度はお世話になります」
神取は貴美子に一礼しながら挨拶をする。
室内には貴美子と、もう一人、神取の研修を担当する医師が待機していた。
「ようこそ、神取先生。……あら?」
貴美子は、神取の後ろから部屋を窺っている、真世と直人の姿が目に入った。
「直人君も? こちらに来るなんて珍しいわね」「え……えぇ、まあ……」直人はそのまま顔を俯ける。
「お見舞いみたいなの。風間くんも案内するから、私達はこれで」
「そう。真世、ありがとう」
貴美子が案内の礼を言うのに合わせて、神取も二人に軽く会釈を送る。
一瞬、神取と目が合う直人。ふと妙な気配を感じた気がした。真世の方は、何も感じていないようだ……
気のせいだろうか?
「神取先生、こちらへ……」貴美子が神取を部屋の奥へ招き入れるのを見届け、真世と直人は、部屋を後にした。
来た廊下を戻るように進む真世の後に、直人は続く。
「神取先生ね……」話し出すきっかけを掴めずに無口になっている直人に、真世は歩きながら話題を提供する。
「風間くんの、お爺さんの紹介らしいよ」
「えっ!?」藤川所長と祖父が、旧知の仲なのは知っていたが、祖父とも疎遠になっている。もちろん、そんな話は露ほども知らない。
真世のことといい、身内のことといい、いつも自分の預かり知らないところで物事は進んでいく。直人にとって世の中は、自分とは全く異なる別の時間軸で進んでいるもののように、思えてしまう。
「私も、詳しいことはよく知らないけどね。うちの最先端PSI 医療の研修なんだとか……」
「ふぅん……」直人には、あのどこか得体の知れない神取という男の事より、真世ともっと話したい事が沢山あった。……最近、どうなの? ……お母さんはいつから? ……話かけようとする言葉が浮かんでは、水泡のように頭の中で消えていく。
二人は先程降りたエレベーターの前に戻ってきた。真世はスイッチを押し、エレベーターを呼んでいる。
「ところで……誰のお見舞い? お友達?」
真世は直人の手土産に視線を落としながら尋ねる。
「あ、これ。その……」
エレベーターの到着音が鳴りドアが開く。
「キミの……お母さんのところに……」
「え?」意外な直人の返答に、キョトンとなる真世。
「さ……さっき訊いたんだ。お母さんのこと。む……昔良くしてもらったし……それで……」それ以上の言葉が出ない。視線を自分の手土産に落とし、俯く。
エレベーターのドアが閉まりかける。それに気づいた真世が素早くスイッチを押し直すと、扉が再びゆっくりと開いた。
「なんだ、そうだったの。それじゃ乗って!」
真世は先にエレベーターに乗り込み、直人を招き入れた。
直人は、エレベーターのパネルを操作する、真世の横顔を盗み見る。心なしか、先程までより微笑んでいるように見えた。
彼女の漆黒の髪は、夕陽に照らされ、赤銅色に輝いている。幼い日、初めて真世に出会った日……あの日もこんな夕陽の眩しい日であった。
病室で、ふと目覚めた直人をじっと見つめていた少女。まどろみの中見た、あの日の少女の髪の色。その頃の記憶はほとんど薄れているが、その時の印象だけはよく覚えている。あの時と同じ色だ……直人はそう思った。
間も無くエレベーターは、一つ下の階に到着する。このフロアから、真世の母のいる長期療養棟に向かうことができる。
「ママのこと……話してなかったっけ?」
廊下を進みながら真世は話を続けた。
「うん……」直人は俯きかげんに相槌を打った。
「ごめんね、話する機会がなくて」「そうだね……」
「でも……今日はありがとう。訪ねてきてくれて」
素直な気持ちで感謝を口にする真世に、直人の心は和らいだ。この時ばかりは、手土産と共に背中を押してくれた自称親友に、感謝せずにはいられなかった。
真世と直人は、病院棟から長期療養棟に続く、渡り廊下へと差しかかっていた。陽は姿を消し、ガラス張りドーム状の渡り廊下は、黄昏の色に染まっている。
二人は、渡り廊下を渡りきった療養棟の入り口のゲート前で立ち止まる。ゲートは二重の作りになっており、手前に改札口のようなフラップドアと、その奥に薄白く発光している重々しい扉がある。扉の発光は電磁結界の稼動を示していた。(安全を考慮し、視認性を付加している)
その時、直人は再び妙な気配を感じる。医院長室で感じた気配と同じだと思った。気配のする方に振り返るが、何もいない。
「どうかした?」直人の様子に気づいた真世が尋ねる。
「い……いや、何でもない」
「こっちに来て」真世に言われるまま、扉の前に立つ直人。カメラ状のセンサーが二人を捉え、スキャニングを開始した。人相などの身体情報や所持品検査だけでなく、固有PSI パルス情報まで感知し、登録者以外の人物から霊的存在の侵入まで検出する。
「ここの施設、結界があるの。それを抜けるためのセキュリティーチェックよ」
戸惑っている直人に真世が説明した。直人もIN-PSIDの中枢区画で、同様のセンサーは何度も見ているし、実際、IMCなどにも設置されており、入室時は毎回チェックを受けている。ただ、自分には中枢区画の入室権限はあるが、はたしてこの区画に入れるのか?
「大丈夫。ウチのスタッフなら特に問題ないから」真世が直人の疑問を察して答えている間に、スキャニングは完了し、フラップドアと奥の扉が開いた。
「ね、行きましょう」
二人は扉の奥に進む。
「そこにあるジャケット着てね。」「あ、うん」真世の説明によれば、対PSI現象化軽防護機能を備えたジャケットであり、長期療養棟内では着用を義務付けられているらしい。IN-PSIDスタッフユニフォームには、同等の機能が備わっており、ユニフォームを着ていればそのまま入館できたが、生憎、直人は私服だった。そうしている間に、二人を招き入れた扉は再び閉ざされ、瞬時に結界が張り直される。
その二人の去った扉を、姿なき視線が見つめていた。




