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涅槃の彼方へ 2

「けっけっけ!……粘る、粘るぅ〜〜」


 飛煽は、斜視の瞳を寄せたり開いたりと忙しなく動かして、時空を超える目で異界船の抵抗を監視している。


 彼の霊眼には、異界船と、それと一体になった『神子』の霊体が、彼らの法力で高められた結界場によって抑え込まれ、地中の土と一体化しつつあるように見えていた。辛うじて、船体を覆う皮膜のような水流状の光が、その進行を食い止めているが、次第に光は衰え、力を失いつつあるのが手にとるようにわかる。


「落ち着け。異界船も神子も、じき落ちる。気を平坦に保て。結界に我らの力を存分に馴染ませるのだ」抑揚を抑えた煌玲の声が、時折、僅かに乱れる焔凱と熾恩の集中を取り戻させる。社殿と聖域を囲い込む結界は、その色を次第に変え、さながら燃え立つ炎の壁の様相を示し始めていた。



 ……なぜ……あの子だけ……あの子だけ……おらぬ……なぜ、あの子だけ……死なねばならなかった……


 ……許せぬ……許せぬ……


 ……許せぬ、許せぬ、許せぬ、許せぬ、許せぬ……


 亜夢は、意識の中に濁流となって流れ込む、初めての感覚に、飲み込まれつつあった。


 ……さくま、さくまを返して!!……



 幾年が流れたのであろう。


 亜夢は、大きな神殿のような屋敷に居た。腕の中に生暖かい温もりを感じ、胸を吸われる痛みにハッとなって覗き込んだ。


 ……これは……なに?……小さい子?……赤ちゃん??……


 ……大事無いか?……声がした方を向くと、長身で細身の男が微笑みかけていた。


 あの異国の顔立ちの一族のものであろう。


 ……愛い子じゃ……この子は我ら湖畔の民と其方ら山の民の血を継ぐ者……この地の王となるのじゃ……


 ……はい……



 だが、それからしばらく、今度は日照りが続き、作物は不作。山の収穫も乏しい。山の者らは作物の融通を迫ってきた。


 ……姉様!どうかお取りなしを!……


 山の実家から、もう一人の弟が交渉に来ていた。"あの子"の兄だ。狩りもままならず、ムラを旅立っていくこともできなかった落ちこぼれ。その男が、今は山の民の代表なのだ。いっそあの子の代わりに、この男が死んでくれればよかったものを……


 ……亜夢!……気付いて、亜夢!……直人には、目の前に座る、かつて生贄を迫った湖畔の民へと嫁いだ、シャーマンの女性の中に亜夢の影を見て、必死に呼びかける。


 シャーマンが放つ、どす黒い紫のような色味のエネルギーが、亜夢の炎の色を変色させていた。


 ……だめだ!亜夢!……その人の憎しみに飲まれては……咲磨くんは、そんなの望んでいない!……


 シャーマン、いや、今や湖畔の民の后妃となった目の前の女は、立ち上がると、血を分けた弟であり、かつて同胞であったその男を見下ろす。


 ……食すものが足らぬのは、"我ら"湖畔の民も同じ……其方らに分ける糧など無いわ……


 ……そんな!……郷は飢え、日に日に死者が出ている……痛ましいのは幼き子らだ……腹を空かせた子らの泣き声と、苛立つ親の声……せめて……せめて……子らだけでも何とか食べさせてやりたい……


 その男に意識が重なった直人には、女の心象世界が見える。


 清らかな空を映す湖面に、紫の色味を帯びた火焔流が流れ込み、激しい激情の熱が、清き水を干上がらせてゆく。


 ……御裂口(ミシャクジ)さまは、なぜこのようなことを我らに……"あの子"が救ってくれたのではなかったのか……


 不甲斐ない弟がうめく様に呟いた言葉に、湖は暗黒に染め上がり、業火が女と一体となっていく。


 ……勝手なことを……この期に及んで御裂口(ミシャクジ)などと!……ミシャクジは……我らが神『モレク』と一体となったのだ!"あの子"と共に!……


 ……『モレク』!?……


 ……『モレク』は、幼な子の血を好むという……そうじゃ!その方らの子らを『モレク』に捧げよ。さすればこの焼かれしこの地にも、再び恵の雨が降ろうぞ……


 ……な、何ということを!?姉様!!……


 ……たわけ!!子など、クニが富めば嫌でも生まれてくるわ!……食えぬなら口を減らせ!……働けぬ子などこのクニには要らぬ!……


 ……ばかな……古より、子は何よりの宝……我らは、皆で子を産み育て……そうして生きてきたではありませぬか?……子らを捧げるなど!……


 ……では何故!!……


 ……何故……あの子は死なねばならなかった……


 追い詰められた山の民は、作物の融通と引き換えに、湖畔の民の言うがまま、幼な子らを『モレク』となった(ミシャクジ)へと捧げていった……


 深い悲しみは、怒りを、報われぬ想いは憎悪を生む。『モレク』はその憎念を呑み込み、古来からの自然の神々へと忍び込みながら、周辺のクニにも浸透してゆく。これまで畏怖の対象として崇められていた蛇神は、まさに『モレク』の姿形として、人々に想起され、渾然一体となった『大蛇(オロチ)』へと生まれ変わる。


 ……生贄じゃ!!生贄を捧げよ!!……


 ……大オロチよ!!……クニを富ませ給え!……


 かつて、日本海沿岸に栄えた、海人・縄文人らの生活圏、『高志』と呼ばれた一帯にも入り込んだ『モレク』の信仰は、得体の知れない恐怖の象徴となって、クニの礎となってゆく。


 ……逃げてはならぬ!……血の掟から!……


 ……人身を差し出し、クニを支えよ!……


 連綿たる時の流れが直人に流れ込む。穢れを知らぬ湖、水、そして畏敬の蛇の表情が、澱み、数多の血を呑み込み、内に憎悪と激情の炎を宿す怪物へと変貌していく様を、直人の心象は捉えていた。


 その怪物の名は、後の世に高志の八俣遠呂智《やまたのおろち》として伝わっている。


 そして、八俣遠呂智を信奉した国々は、「ヤマタイコク」と呼ばれた。


 ……これが……『ヤマタノオロチ』……



     ……そう………


 ………我こそ……八俣遠呂智……

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