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蘇る神 2

「な……なんだ?あれ……」


 患者を乗せたストレッチャーを転がし、グラウンドへ出た秦野は、守屋山の中腹に蠢く暗雲を目撃する。どう見ても、普通の雲ではない。蛇腹が蠕動する動きを見せながら守屋山中腹へと流れ込んでいるのが分かる。避難所に集まった人々も異変に気づき、グラウンドに出るや、騒然となり、また物珍しさから皆、通信端末のカメラで撮影に忙しい。


「……大丈夫か、神取先生……」


 秦野は、何度か神取へ、メールを送っていたが返事はない。


「秦野、行くぞ!」「あ、はい!」


 秦野らは、患者を<イワクラ>との連絡ヘリへと搬送する。諏訪湖の結界は持ちこたえているが、避難所でも俄に、体調の悪化を訴える避難者らが増えつつある。今は、他所の安否を気遣っている余裕はなかった。



 ————


 澄み切った湖面も、街も、郷の住民、父母の笑顔すらすべてが色褪せ、灰色に渦巻く暴流の中に飲み込まれていく。


 "目を覚ませ"と何かが語りかけているような気もした。


 ……目を……覚ませ?……


 …………こんな……こんな世界で?……


 ……とぉ様を散々苦しめ……傷付け……


 ……そんな世界に……僕はもう……


 生贄の柱に一人取り残された咲磨の虚な瞳が、徐に開かれてゆく。その瞳は、この世のあらゆる虚無を受け入れていた。


「そうか……僕は……僕こそが……」


 咲磨を縛り付けていた縄が、ちぎれ落ち、蛇体の雲が、一体となった咲磨の身体を持ち上げる。


「…………そうだった……僕は……こうなるために……この……湧き上がる……ものを……生きる……モノ……スベテ……ニ……ムクイヲ……」


「……ワガ……タマ…………シセイ……テンジテ……イキル……ナリ………」


 雲の蛇体の頭となって、境内高く浮遊する咲磨の身体。はっきりと蛇体の姿を表した雲が、境内で渦を巻くのを咲磨はただ静かに見下ろしている。いずれ、蛇体は、郷へと流れ、諏訪の街を呑み、龍脈を伝って日本列島、いや世界へと広がってゆく事だろう。


 ……たま……ゆれ……ふるべ……


 ……ゆら……ゆら……とぉ……


 何かが呼ぶ声が聞こえる。


 咲磨は、その声に引き寄せられ、浮遊したまま、声の聞こえる方、社殿の方へゆっくりと移動した。蛇体がそれに伴って畝りを見せ、巻き込まれた生贄の柱をいとも簡単にへし折り、薙ぎ倒す。


「僕ヲ……呼ブノカ……オモシロイ……」


 咲磨は、拝殿入り口から侵入する。咲磨に引かれた蛇体は、その入り口に収まりきらないほど膨れ上がり建物を破壊して進む。



 ……急げ、お頭。後一つだ……


 玄蕃の指し示す箇所に、小型円筒状の装置が隠されていた。


 拝殿と本殿の間の中庭で、火雀衆の仕掛けたPSI感応増幅干渉装置を四つ、玄蕃は見つけていた。これによって彼らは自分たちの法術を増幅してこの境内の結界に念じ込み、神子の呪縛結界とする段取りであると、玄蕃は見抜いている。


 彼らの術を崩すには、この増幅器をいくつか撤去すれば良いが、術の完成前では、勘付かれる可能性がある。そこで、玄蕃は、この感度を最大まで上げておく事を提案していた。彼らの法力が流れ込めば、装置が耐えきれず、破壊される。ここ以外も数カ所仕掛けられてはいるが、この四つを狂わせるだけで、十分であろう。


「これでよし……」神取は、ツマミを回し、最後の一つの感度を上げ終える。


 ……お頭、あれは!?……


 拝殿とその背後、中庭の方に連結して立つ幣殿を抜け、浮遊して本殿と幣殿を繋ぐ渡り廊下へと出る咲磨。咲磨はそこを抜けて、本殿へと向かっている。その後から、建物を内側から破って、蛇体が溢れ出す。中庭の樹木に隠れた神取は、破邪の結界を張ってやり過ごした。


「なんという……神子とは……蛇の化身だという事か?」


 咲磨の後ろを追うように、蛇の頭らしきものがいくつも連なり、中庭にも溢れ出す。


 ……お頭!もはや長居は無用!……


「うむ……」中庭を囲む塀は、電磁場結界だ。生身で乗り越える事はできない。脱出には、幣殿、拝殿を抜ける必要がある。境内の方から途切れる様子無く流れ込み続ける、いくつもの蛇体の脇をすり抜けるしかない。


 神取は、覚悟を決め、全身に霊力を張り巡らせ、結界とする。


「死中に活を求める他無し……か。玄蕃、援護せよ!」


 ……御意!……



 外の騒ぎから隔絶された、森部の聖域である祈祷場。洞窟内で焚かれた護摩の煙が、半実体化した蛇体雲を生み出している。その煙は洞窟への横穴に設置された換気扇に誘導され、境内の方へと滔々と流れ出ていた。


 護摩を囲んで、車座になった火雀衆は、御所秘伝の『魂振り』の祝詞を瞑目したまま延々と詠い上げている。


 十種神宝の祓祝詞とほぼ同じであるが、御所の幹部らは、異界=インナースペースへと繋がる能力開発と共に、この秘奥義の神髄を代々継承する。この術によって、『魂』、或いは『想念』などと呼ばれる情報場にアクセスし、この現象界へと引き寄せ、コントロールし、また逆にこれらの情報場を集合無意識の世界へと送ることを可能とするのである。


 一歩間違えれば、術者の魂をも損いかねないが、『魂』を瞬時に現象化させることも可能にするこの術は、およそ起こり得ない奇跡のような事象すら引き起こす。


『ヤマタノオロチ』の現象化が、急速に進んだのは、咲磨の魂の作用だけではなく、彼らの術との相乗効果によるところも大きい。


「来たぁ〜。来たぜぇ〜〜」


 瞳を開けた飛煽は、人間離れした角度に首を傾け、祈祷場の入り口の方を見やる。その声に火雀衆は、瞑目を解く。


 虚な表情を浮かべ、咲磨はふわふわと浮遊していた。その背後に、膨れ上がった蛇体が蠢いている。


「森部も、烏衆も……やはり"神"は手に余ったようだな」焔凱は、含み笑いを浮かべながら呟いた。


「ここまでは想定内だ」


 煌玲はすくっと立ち上がり、咲磨に呼びかける。


「さあ、神子……いや、贄を喰らう『大蛇神(おおかがち)』よ!ここが、貴方様の神座に御座いますぞ」


 火雀衆は再び、呪詛の詠唱を始める。


 咲磨の視界は揺れていた。耳煩わしい、それでいて心地の良い唄に、僅かばかり残っていた意識が沈み込んでゆく。自分の意志とは無関係に、身体が蛇体によって、護摩の炎の上に持ち上げられる。目の前の蛇の剥製が、語りかけるように咲磨を見据えていた。


 煌玲の合図で、呪詛から結界術に切り替える。この場にしばし、咲磨を足留めするつもりだ。


「おい、飛煽!『異界船』は、本当に来るんだろうな!?」結界の印に念を込めながら、熾恩は確認する。


「へへっ、心配すんなぁ〜〜。ちゃんと見えてるぜぇ」


 飛煽の漆黒の瞳が、燃え盛る護摩の炎の中央を見据えていた。

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