初夏のプレリュード 5
パーティーは解散し、各人の研究課題取り組みや、大学講義出席などのため、インナーノーツはラウンジを後にしていた。東も今朝、インナーノーツが採取してきたデータの解析に、事務所へと戻る。残った貴美子、アイリーン、田中は、食堂のスタッフらと共に、片付けをしていた。
「ところで、例のは……今日だったか?」
片付けを手伝っていた貴美子に、藤川は問いかける。
「えぇ。夕方頃の到着らしいから、間も無くね」片付けの手を止めずに貴美子は答えた。
「無理を言って、すまんかったな……」
「『風間さん』の頼みですもの……貴方も断りにくいのはわかってます」
「うむ……」
一週間ほど前のことである。
藤川は全日本PSI開発推進機構(Japan PSI-development and Initiatives Organization 通称:JPSIO)の理事長を務める旧友であり、直人の祖父でもある風間勇人より突然の連絡を受けた。
藤川は古巣であるJPSIOとは、二十年前の大震災を機に理念の不一致により袂を別っており、旧友とも連絡を取り合う機会は未だに少ない。嬉しさ反面、戸惑いを覚える藤川に、勇人は要件を一方的に伝えてきた。
PSIの利用推進を進めるJPSIOは度々、世論から批判を受け、それをかわすための様々な取り組みをしており、その中でも日本各地のPSI医療機関への助成や、一部の運営は、最大の目玉となっている。その一環の取り組みとして、ちょうど関西方面に、新たにPSI医療に特化した総合医療センターを立ち上げているらしいのだが、その医療スタッフの育成を各専門機関に要請しており、中でも優秀な人材を一人、IN-PSID附属病院で、センター開業までの半年ほど面倒をみてもらえないか? との申し入れであった。
袂を別ったとはいえ、勇人はIN-PSID立ち上げに際し、裏で政府への根回しなど協力を惜しまず、その後も主に資金面で陰から援助を続けてきていた。藤川としても、その恩は忘れてはいない。何より、旧友の頼みとあっては、何とかしたい話ではあった。
貴美子は夫の心情を汲んで、何とか便宜を図った。医療スタッフ、特に医師は慢性的に人手不足でもあるので、まずは研修枠で受け入れる事で内定し、三日前にバーチャルネットでの面接までは終えている。経歴や人柄は問題無いようだったので、早速来てもらう運びとなっていた。
「何と言ったかな?」と藤川は貴美子に尋ねる。
「え?」「いや、その医師の名前は?」
「ああ、えっと確か……神取先生よ」貴美子はまだうろ覚えの名前を思い出し答えた。
「神取君か……」藤川は胸に刻み込むようにその名を繰り返した。
夕刻——陽はだいぶ傾いているが、夜の帳が下りるにはまだ時間がある。
直人は、インナーノーツとしての活動時以外は、IN-PSID附属大学院の研究生として、インナースペース工学の研究に従事している。彼の研究室は<アマテラス>建造にも携わり、現在では、高次元時空間における、結界構築プログラムの実用化の研究を進め、<アマテラス>への実装目前まで来ている。その発案者は、直人の特科時代の同期であり、現在では大学の助教授も勤めている男で、直人はその研究グループに所属し、<アマテラス>実装の方面から、アイデアや課題を提案、開発の一端を担っていた。直人自身も研究グループに熱心に参加し、夜遅くまで研究室にこもる事も多かったが、この日は、早々に切り上げ研究室を出た。
——昼食パーティーの直後——
「これ、真世に持っててやれよ」
研究棟に向かおうとしていた直人を呼び止めたティムは、そう言うと調達してきた菓子折りと、メロンを直人に押し付けた。パーティーの残り物を、食堂から貰ってきたという。
困惑する直人に、「お母さんのこと訊いて、見舞いに来た」とでも言えばいいだろうとアドバイスすると、直人に反論の余地を与えず、ティムそのまま足速に去ってしまう。「サニには嗅ぎつけられないように」とだけ忠告を残して——
仕方無しに直人はティムに言われたまま、手土産を手に、病院区の入り口前まで来た。
……昔、良くしてくれたお母さんのお見舞い……なら、別にいいよな……うん……
と思いながらも、入り口の前で足踏みしている直人。本心は、真世に会える期待と不安でいっぱいだった。
そうこうすること数分。
「よし!」と己を鼓舞するように声を出し、直人が入り口へと歩みを進めたその時。
「失礼。IN-PSID附属病院の、職員の方ですか?」
背後から落ち着きのある、物腰柔らかい男の声が、直人の足を止める。
直人が振り返ると、長身、細身の男が和かな笑みを浮かべて立っていた。長い髪をオールバックにして、後ろで束ねている。
「今日からお世話になります、神取司です。お迎えに来て頂いた方でしょうか?」神取は、直人を観察するかのように、目を細めた。
口元の笑みとは対照的に、その細い切れ長の目は、感情の起伏をまるで感じさせない。一瞬、直人は、全身が蛇に睨まれた蛙のように硬直していくのを感じる。
神取は、決してその微笑みを絶やさない。
夕刻の風が、サラサラと樹々の葉を揺らす音のみが、二人の間の沈黙を取り持つ。
日本海の水平線へと降る陽は、いっそう黄昏の光を放ち、二人の横顔を赤く染め上げていた。




