試練 2
「とぉ様!ダメだよ、目を覚まして!そんなこと、してはいけない!」
咲磨は懸命に声を張り上げる。
よろけ、かがみ込み、頭を振りながら、乱れる足で命じられたまま、一歩、また一歩と足を進める慎吾。
死を覚悟していたとはいえ、実の父親に、大好きな父に、息子殺しの罪を背負わせるなど、咲磨には耐えられなかった。
必死に父を目覚めさせようと叫ぶ。さすがに、異様な状況である事に気づいた信徒らが騒めき出し、幹部らはそれを抑え込もうと必死に宥めている。
「ええい、騒々しい!!黙らんかぁ!」森部の狂気じみた一喝は、信者らを縮み上がらせ、口を封じる。
「御子神様もじゃ!この期に及んで!!」森部は、咲磨を睨みつけていた。
「森部!頼む……とぉ様だけには!」
咲磨の必死な叫び声に、慎吾が反応した。
「さ……咲……そこ……にいるのか……」
まだハッキリとしない視界の中に、ぼんやりと三本の縦に長いものが見えてくる。次第に、そこに縛り付けられているものが、人影である事がわかってきた。
「とぉ様!!」「……咲!?」
「何をしている、須賀!神の思し召しぞ。さあ、生贄を刺せ!!刺し殺すんじゃああ!!」
避難所の方も、俄かに人が集まってきた。PSI HAZARD警報が発令され、地域住民らは、最寄りの指定避難所へと避難する。諏訪湖の結界の効力はまだ失われてはおらず、大きな混乱はないが、案の定、かなりの人数だ。IN-PSIDの医療支援スタッフらも、避難所になっている体育館へと戻り、受け持ちの場所で誘導にあたる。
「もぅ〜〜、また神取先生。どこ行ってんだよ。また腹壊してんのかぁ?」秦野は、ボヤいている。朝方、IN-PSIDからの指示によって、受け持ちの避難所に来るも、神取の姿をずっと見ていない。
「神取先生なら森ノ部郷の方だ。なんでも、あの急患の子が戻ってきたようでな。往診に行くとか言っていた」チームリーダーの医師が、秦野のボヤきに答える。
「あ、ああ、あの子。もう退院したんですか?」「細かいことは知らん」チームリーダーは、誘導指示しながら、秦野の問いに面倒気に答える。
「で、でもこっちは?」「往診を禁ずる理由もないだろう?」秦野は、何か腑に落ちない思いを感じながらも、次第に増えてくる避難者の誘導に専念するしかなかった。
拝殿の扉に控える巫女二人は、儀式の進行を固唾を飲んで見守っている。
「っと!キミ、可愛いね」聞き慣れない声にハッとなり、そちらに目を向けた瞬間、巫女の意識は途端に微睡む。
「目が覚めたら、ゆっくり可愛がってやるよ」軽口を呟きながら、熾恩は、巫女をそのまま拝殿の中へと引きづり込み、扉裏に隠す。
もう一人の巫女も、同様に焔凱が処理した。
飛煽は拝殿の中央に忍び込むと、すぐに探索を始めた。
「……臭え……」
確かに生臭い匂いが、拝殿のどこからか漂っている。新鮮な獣の死臭もあるが、飛煽はそれだけではない、別の次元からの気配を、匂い感覚として具に感じ取っている。
拝殿の中は人気がない。狙いどおり皆、境内に出払っているのであろう。
「こっちだ」迷う事なく、飛煽は拝殿奥、本殿の方へと駆ける。「よし、行くぞ」煌玲の一言で火雀衆は飛煽の後を追う。
……彼らの狙いは、神子では無い?……ではあの本殿の奥か……
茂みを利用しながら、神取は火雀衆を追って拝殿のすぐそばまで忍び寄っていた。
……その通りだ、お頭……
影が語り出す。
……玄蕃?……奴らを追ってきたか?……
……うむ……
その時、生贄儀式の場となった広場の後方、境内を囲む杜の一角で、烏衆の兵が、彼らの行動を開始する旨を手振りのサインで送ってくるのが見えた。神取が頷き、了解を知らせると、烏衆らは、瞬時に杜の中へと散ってゆく。
……奴らの狙いは、異界船だ……
玄蕃が話し始める。
……何?どういうことか?……
……夢見頭が申すには、異界船は神子の依代だと……つまり……
異界船と神子の繋がりを見てきた神取には、夢見頭の意図が朧げに見えてくる。更に、この本殿の奥に廻らされた結界域だ。この結界の造りには、どことなく御所の結界と似たものを感じていた。
そして、神取の"とある記憶"が、一つの結論を瞬時に導き出す。
……そういうことか。異界船ごと神子の魂を封ずる!この山を神子の依代にする気だな?……
……御名答。あの御老体、童の方は切り捨てても、この機にカタをつけるつもりであろう……くくく……よもやお頭、はなから、あてにされておらぬとはな……
玄蕃は、思わず笑いを溢すが、神取の冷ややかな目には敵わない。影が萎縮していた。
……異界船と神子……この場で獲られるか……だが、そう簡単にさせるわけには……
……玄蕃……奴らは、ここの結界を利用して、神子を封ずる方陣を張るつもりだ!……奴らの術を返す手を見つけろ!……
……何!?この短時間でか?……
……其方の専門であろう?……良いな、くれぐれも気づかれぬように……
この若き頭は、厳しい状況に置かれた時ほど、自信が漲る。これまで仕えた男たちに、これ程の器量があっただろうか、と玄蕃は思わされる。
……相変わらず、無茶を好む……が、それもまた、面白きかな!……
言葉と共に影は、拝殿の正面から入り込んでいった。
「あとは、あの少年……か」
咲磨の呼びかけに、父親は硬直して立ち尽している。森部の罵声が境内に響く。
……むっ!?……
その時、神取の霊眼は、拝殿の中から這いずり出てくる朧げな蛇のような形をした雲を捉えていた。雲が次第に、境内の信徒らを包み込んでいく。




