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前夜祭 4

 その夜、諏訪の街は、平穏に包まれていた。


 結界が功を奏しているためか、絶えることがなかった避難所への受診希望者も日に日に落ち着き、この夜は僅かばかりであった。


 夜間の対応はレスキュー隊が引き受ける事となり、救護活動にあたっていた各団体のブースは、早々に撤収していた。IN-PSID救護班も、サポートアンドロイドを残し、スタッフらは宿泊施設へと戻る。


 部屋に戻った神取は、湖面を向いた窓辺に立つ。晴れ渡った夜空に、ほぼ満月に近づいた赤い月が浮かぶ。宿舎の窓から見える諏訪湖の結界が、月明かりを浴び、白銀に輝いている。ふと、下に見える道路に目をやれば、幻想的な光景に魅せられ、写真に収めようとする者もちらほらいる。


 "嵐の前の静けさ"といった言葉が、よく似合う。神取にはそう思えた。


 ……いよいよ、始まるのか……


 烏衆らの自分へのマークも厳しくなっている。下で写真を撮っている地味な中年男もその一人だろう。


 ……私をマークしているとなると、彼らもまだ……神子が戻るのは、この夜か……なれば……


「神取先生!」チャイムと共に呼ぶ声がする。


 ドアを開けると、浴衣に身を包み、すっかりと寛いだ秦野が、タオル片手ににっこりと微笑んでいた。


「センセ、風呂行きましょ、風〜〜呂!」


 神取は、しばし無言のまま、すっかり緊張感の抜けたその笑顔を眺めていた。



 咲磨を乗せた須賀の車は、郷の入り口にさしかかっていた。


「ねぇ、とぉ様。こっちはダメだよ。あっちから行こう」何かを感じとった咲磨は父に告げる。咲磨の指した方は、地元の者しか知らない、林道である。


「咲、夜ここを走るのは……」


 灯りもなく、整備されていないこの道を夜間に走るのは危険が伴うので、慎吾は躊躇するが、咲磨が大丈夫だというと、行けるような気がする。


「よし……」咲磨の言葉に従う方が良い。何故か、そんな気がした慎吾は、ハンドルを握り、アクセルを軽く踏み込んで、オートパイロットを解除する。(林道は、オートパイロットでは走行できない)



「来ました!あと五分ほどで到着します」


 発信機の反応を追う部下が報告する。兵は頷くと、手合図で、部下達を配置につかせる。


 森ノ部の郷への入り口は一箇所であり、夕刻からこの入り口には、バリケードが置かれ、森ノ部教団の監視が立っている。神子の童を乗せた慎吾の車も、ここで一度止められる筈だ。その隙を突いて、神子を奪取する計画だ。


 だが、烏衆が配置についた頃、発信機の反応を追っている部下が再び声を上げた。


「や……やられました!」「どうした!?」


「奴ら、林道の方へ!!」「なに!?バカな!!」


 慎吾が、わざわざ夜、危険な林道を行くことは想定外だった。限られた人員は、全てこちらに回している。


「まさか!悟られたのか!?」


 双眼鏡で林道の方を覗くと、樹々の隙間からへッドライトの灯りが見え隠れしている。


「くそっ!」



 時空間制御が解除され、車は、地にタイヤ()がついている。悪路を走る車は、上下に左右に大きく揺さぶられていた。


「はぁ……うっくっ……」郷が近づくにつれ、咲磨は苦しみの吐息を漏らす。


「咲!どうした!?」


 車を走らせながら、車内灯をつけ、バックミラーを覗き見る。咲磨の顔にほんのりと赤く蛇の様に畝る痣が浮かび上がってきていた。


「その痣は!」「だ……大丈夫。じぃじに直してもらったから……」「えっ?」咲磨が呼吸を整えると幾分、痣がひいていく。


「ふう……やっぱり郷の空気は凄いや……急ごう……」「……あっああ……もうすぐだからな」




 前夜祭は、最高潮に達しようとしていた。境内には、幾つもの篝火が焚かれ、中央に聳り立つ三本の巨木の柱を神々しく浮かび上がらせている。


 前夜祭は、森ノ部教団の幹部のみが、参加を許されていた。


 土面を被る腰布だけの男達が、和太鼓のリズムに合わせて踊り狂い、拘束された猪に石槍を立てていく。哀れな獲物は、そのたびに怒りと恐怖の雄叫びを上げ威嚇するが、次第にその声は、酔いどれの喧騒に飲まれ、掻き消される。


 開かれた拝殿の奥、幣殿にあたるところは、神の供物を準備するための言うなれば『調理場』だ。野ウサギや鶏が、次々と手際良く潰され、本殿へと運ばれていく。ここに拘束されている(かい)と陣は、立ち込める死臭に自分達の運命を重ね、口を閉ざして項垂れていた。


 境内は、血と肉の焼ける匂いに包まれ、教団幹部らは、供された新鮮な肉と、酒に舌鼓をうつ。境内を囲む杜の中からは、笑い声、歓喜にうめく声、囃し立てる声の合間に、熱の籠った吐息と嬌声が聞こえる。夜闇に虚ろう篝火と、獲物達の断末魔、鼓動をかき乱す太鼓のリズム、そして身体を駆け巡る酒……それらが、荒ぶる野性、無意識の底に押し込めた、剥き出しの本能を暴き出す。


 "祭"とは、まさに、こうしたものであったのかもしれない。


「御子神さま!」「戻られたぞ!」


 誰かが発したその歓声に、祭りに集う者たちは、境内の入り口へと殺到した。


 咲磨は、迫り寄るその者らへ、にこやかな笑みを浮かべながら、社殿の方へとまっすぐ向かう。慎吾は、その後に無言で続いた。


 拝殿の奥から、知らせを聞いた森部と、彼の従者が、急ぎ出てくる。


「御子神さま……よう戻られました……」


「森部、心配かけた。済まぬな」


「滅相もございませぬ……おや、御印が?」


 薄く浮かび上がっている咲磨の痣が、森部の目に止まる。薄らいでしまったのを怪訝に思っているようだ。


「大丈夫……まだ、消えたりしてないよ」


「は……ははは……いやいや、吉兆、吉兆!さぁさ、こちらへ。宴の準備が出来ておりますぞ」


 そういうと咲磨を本殿の方へと誘導するよう、配下の巫女達に目配せする。


「も……森部どの!……咲は……」


 やっとのことで言葉が出る慎吾の顔は蒼白だった。何かをうったえかけようとするが、それを遮るように森部が口を開く。


「須賀、ご苦労であった。君も今夜は休め。明日は君にも大役があるでな」


「大役?」


「とぉ様……ここでお別れです。今までありがとう……」


 そう言い残すと、咲磨は、巫女らと共に拝殿の奥へと消えた。


 息子が明日、生贄として屠られる。郷へと連れ帰り、森部と話をつければ、あるいは丸く治るのでは、とどこかで安易な希望も抱いていた……咲磨が、『大丈夫』だと言うから……その言葉に縋っていた。だが、この瞬間、そんな望みは最初から幻想だった事を慎吾は悟った。


「さ……咲……」


「……だ、だめだ!行かないでくれ!!」


 拝殿へ上がりこもうとする慎吾は、森部の従者らに取り押さえられる。


「森部殿!!」森部は、首を振って冷徹に突き放した。


「返してくれ!咲磨!咲磨ぁ!!」


 慎吾は、半狂乱になって、なおも拝殿へ取り付こうとする。騒ぎに、教団幹部の一人である、巨体の警官が、部下二人を連れて駆けつける。


「連れて行け」


 森部が命じると、警官は、部下に暴れる慎吾を従者らと共に取り押さえさせる。慎吾は、そのまま境内から連れ出されていった。

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