二人の神子 4
程なくして、長期療養棟ICU区画にある検査室から、咲磨と幸乃は退室する。貴美子も付き添って退室した。
部屋に戻る途中の療養棟の廊下は、戸や窓が開放されており、ガーデンで遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。
「あら?」貴美子は、子供達に交じって走り回る亜夢の姿と、亜夢について回る真世の姿を認める。
「あっ!お姉さん!」亜夢に目を留めた咲磨が声を上げ、子供達の姿に身体をウズウズとさせながら母親を見上げていた。
「楽しそうね」貴美子は、幸乃と、咲磨に微笑みかける。
「いいんですか?」「ええ」遠慮がちに窺う幸乃に、貴美子は、少々笑いを溢しながら"許可"を与えた。
「じゃあ、行ってらっしゃい。仲良く遊ぶのよ」確認がとれた幸乃は、表情を一変させて咲磨を送り出す。
咲磨は、デッキサンダルに履き替えると、ガーデンに開け放たれている出入り口を勢いよく飛び出していった。
「郷では、こんな風に、他の子供たちと自由に遊べる機会も少なくて……」駆けて行く我が子の背を見守る幸乃の声は寂し気だった。
「ここにいる間は、自由に遊ばせてあげてください。他の子供達と関わりあうことも、心と体の成長には大切なことよ」
「ええ……ありがとうございます。あんな楽しそうな咲磨……初めて」
水場では、亜夢が子供達と水掛けあいをしてびしょ濡れになって遊んでいた。側で見ている真世は、彼女の衣服が濡れるのを気にして嗜めているが、亜夢には全く届かない。
「お姉さ〜〜ん!!」咲磨が呼びかけながら近づく。
その声にふと気を取られた亜夢の顔に、水飛沫が遠慮なしに掛けられる。
「ぅああああ!!」驚いた亜夢は、水の流れに足を取られ、バランスを崩した。盛大な水飛沫が飛び散る。
「あ、亜夢ちゃん!!」真世は思わず声を張り上げて、駆け寄る。咲磨もその後ろに続いていた。
亜夢は、長い髪を水面に漂わせ、水の中に頭から突っ込んでいた。
「お、お姉ちゃん?」「大丈夫?」子供たちが恐る恐る近づくと、亜夢は急に頭を持ち上げ、首を思いきり左右に振ると、豊富な髪に蓄えた水を辺りに撒き散らした。
「わあああ!!」「やめて!やだ!!」水をかけた子供達に、仕返しとばかりに、髪で水掛けすると、亜夢は大きな声で笑い声をあげていた。
亜夢の暴虐から蜘蛛の子を散らすように子供達が、水場から離れると、あとの水面が南中に差し掛かる日に照らされ、鏡のように反射していた。
何気なく水面を覗き込む亜夢。
水面に映り込む自分の顔……ゆらゆらと、揺れ動く水面が、その顔を波立たせる。
……これは、誰?……亜夢?……
顔は次第に氷つき、瞳の色が青みがかった灰褐色に色づく。
いつの間にか、顔全体が生の躍動とは対照的な、死と安らぎを湛えた憂いを帯びた表情に変わっている。
亜夢はその顔を知っている。どこで見たのか、誰なのかはわからない。けれど、いつも自分を見ている。
夢の中で、自分を何度も消そうと追いかけてきた。
……あなた……誰?……
水面を見つめる、亜夢の顔がみるみる恐怖に強張ってくる。
メラメラと亜夢の周辺の空気が揺れ、体の周囲から湯気が立ち始め、周辺の皆にも、亜夢の身体の周辺に炎の揺らぎが見て取れた。子供達は、本能的に危険を感じ取り、水場からさらに離れると、亜夢の様子を身を硬くして見守っていた。
「亜夢ちゃん!」また発作なの!と真世はオーラキャンセラーに手をかける。療養棟の館内PSI HAZARD警報も反応し、ブザーが鳴り始めていた。
「いけない!」と貴美子も、警報に驚く幸乃をそのままに、亜夢の方へと駆け出す。
水面が亜夢を中心に渦巻き、波立つ水流に引き伸ばされた顔が、次第に蛇のようになって亜夢を取り囲んでいた。渦は段々と、中心にいる亜夢を締め付けるように、収縮していく。
……やだ……やだ……死にたくない……死ぬのは怖い……
亜夢は頭を抱えたまま、立ち尽くしていたままであったが、彼女を包み込む炎のオーラは、一層煌めきを増していた。
……怖い!……怖いよ……
「亜夢ちゃん!そのままじっとして……えっ?」オーラキャンセラーを構えた真世の脇を、何かがすり抜けていく。
咲磨だ。咲磨は、脇目も振らず亜夢の佇む水場に入り込んでいく。
「わあああああ!!!!」絶叫し、熱気を放つ亜夢の手を咲磨はしっかりと握りしめる。
「咲磨くん!?」貴美子が驚いて声を挙げていた。
「大丈夫……」咲磨は、亜夢の放つ熱をものともしない。それどころか、落ち着いた声で、亜夢を宥めているようだ。
……大丈夫……水は怖くない……怖くないんだよ……
穏やかな、春の日差しのような声が、どこからか響いてきて、亜夢は声のする方へ顔を上げた。その瞬間、亜夢の周りを取り巻いていた渦巻く水流が、霧が晴れるように消え去っていった。
肉眼にも見えていた亜夢の燃え上がるオーラは消失し、警報も鳴り止む。
何が起こったのかわからないまま、真世と貴美子は、水場に佇む亜夢と咲磨をただ見守っていた。
亜夢が目を見開くと、そこには咲磨がにこやかに手を握ったまま、微笑んでいた。
「大丈夫?お姉さん?」心深くで響いた声と同じ声が亜夢をそっと包み込む。
急に身体の重みが、亜夢の脚にのしかかる。
「えっ??わぁっ!!」
盛大に水飛沫をたて、今度は、水底へ尻餅をつく亜夢。引っ張られる形になった咲磨も、一緒になって水の中に倒れこむ。
すぐに顔を上げた咲磨は、さっきの亜夢と同じように、首を振って髪の水を払い飛ばす。
「あぁあ〜〜ずぶ濡れだね」二人とも全身ずぶ濡れになった姿を見て、咲磨は声を上げて笑い出す。咲磨があまりに屈託なく笑うので、亜夢も釣られて笑いが溢れ、いつの間にか、二人の笑い声のハーモニーが生まれていた。
「ふふふ。ね?水は怖くないでしょ?」と言う咲磨に、亜夢は笑いながら頷いていた。
二人の様子を見ていた子供たちも、もう大丈夫と思ったのか、再び水場へと戻ってくる。子供達の遊び場は、すぐに元の喧騒に包まれていった。事態の終息を感じ取った真世と貴美子もほっと胸を撫で下ろす。
「ほら、つかまって」促す咲磨の手をとり立ち上がると、亜夢はキョトンとした表情を浮かべて、咲磨の顔を覗き込んでいた。
「僕?咲磨だよ」察して咲磨は、”もう一度”名乗った。
「さく……ま?」
「お姉さん……やっぱり、僕と同じだ」
咲磨のその言葉に、亜夢の心の底の方が動揺していた。




