亜夢の誕生日 3
「ヨシヨシ!ヨシヨシして、なおと!!」
亜夢の仄かに赤みがかった瞳が煌めき、直人をまっすぐ見据えた。一同を見渡すと、ティム、サニ、看護師らは、にやけ顔を浮かべ、二人を見守っている。あれ、真世は……?直人の視界に真世の姿が見えない。
「早くぅ!なおと!ヨシヨシ!」
亜夢の押しは強い。仕方なく直人は、ぎこちなく手を亜夢の頭に置くと、小さく二、三度撫でてやった。亜夢は、満面の笑みを浮かべている。
シャッター音が鳴る。
「ププッ……完璧」サニの左手に形成されたディスプレイに、全身で穢れない「大好き」をぶつける娘に、たじろぐ不器用な父の絵が収まっていた。
「サ、サニ!!撮るなよ!」「いーじゃん、記念よ、記念!……あっ!」サニは何かに気づいて、そちらへ離れていった。直人が、サニに抗議しようと、言葉を探していると、亜夢は直人が手にしていた小綺麗な小箱に気づく。
「これ、なぁに?」「ん?あぁ……プレゼントだよ。誕生日の。おめでとう」そう言って、直人は、ようやくプレゼントの小箱を手渡すことができた。
亜夢は、受け取った小箱を物珍しそうに見回していたが、突然、くんくんと箱から溢れる匂いを嗅ぎだす。また顔が明るくなったかと思うと、亜夢は無雑作に包装を破りとり、すぐに蓋を開ける。
「わぁぁぁ……」光沢をキラキラと輝かせた宝石のような玉、白いパウダーを纏う上品な黒の玉、マットな茶色の衣から立ち上がる芳しいい香り……亜夢は、初めて見る、小綺麗に並んだ玉を珍しそうに眺め、何故か唾液が口の中に広がるのを感じていた。
「チョコレートだよ」直人は子供に教えるように、亜夢にそのものの名を教える。
「ちょ……こ……?」
真世に頼まれて、ティム、サニ、直人の三人は、街のとある店へ彼女が予約したケーキを受けとりに行っていた。彼らも何かプレゼントを準備しようと、その店で間に合わせで用意したものだが、殊の外、亜夢は喜んでるようだ。
「そう、チョコ。お菓子だよ」「お菓子!?」
すると亜夢は、直人が「あっ!」と言う間に、赤く、一番ピカピカと光沢を放つ玉を摘み、一口で頬張った。口の中で甘酸っぱさが一杯に広がり、その中でマイルドな苦味が舌を刺激する。
この世界に、こんなに幸せなものがあるのか、と言わんばかりの笑みを、顔いっぱいに示してみせる亜夢。(療養棟のお菓子でチョコレートがなかったわけではないが、亜夢の中にチョコレートという認識が生まれたのは、この体験が初めてとなった)
「準備できたよ。こちらにどうぞ」看護師の一人と、テーブルセッティングを仕上げていた真世の声に、亜夢は、チョコに頬を膨らませたまま振り向くと、今度は亜夢の大好きな、フライドチキンとハンバーグの匂いが漂ってくる。
手狭な個室に運び込まれたテーブルに、今し方、食堂から運ばれた軽食と真世の焼いたクッキー、ケーキ、ドリンク類が並べられている。匂いに釣られた亜夢の目が、再び輝き始める。料理の大半は、亜夢の大好きなものばかりだ。
瞳を潤して、『いいの!?』と伺うように看護師達を見回す亜夢。
「今日のお昼だけ、特別よ」と、好きなものばかり食べる事を許さない、『食育』看護師も笑顔で許可を与える。
許可を取りつけるや否や、食卓にがっつこうとする亜夢に、真世はさっと、皿と箸を提供した。
困惑する亜夢に「とってあげるね」と、料理を取り分ける真世。
何気なく食事を皿にとる真世の所作は、特別な仕草は無いが、丁寧だ。直人とティムは、思わず見惚れてしまう。
真世が魅了したのは、男達だけではない。亜夢もまた、真世の何気ない振る舞いに魅入っていた。
「んっ?どうかした?」料理を取り終わり、顔を上げた真世は、男達の視線に気づく。
「サマになるな……って思ってね、な?」ティムは平然と言い放ち、直人に振る。動揺を隠して頷いて同意する直人。
「もう、なにそれ」と、真世は、少し頬を膨らませて見せながら、亜夢の方へ向き直る。
「はい、どうぞ」と、笑顔で料理を盛りつけた皿を差し出す真世を、頬を赤らめて暫し呆然と見つめていた。
「あ、ごめんね。わたし、真世よ。何度か会ってるけど……」亜夢との接触は、真世にとってはあまり良い思い出はない。が、彼女にその記憶は、なさそうだ。
「ま……よ……?」「そ、真世よ。よろしくね、亜夢ちゃん」
亜夢は、呆然となりながら、皿を受け取ったが、すぐに嗅覚が、皿に乗ったチキンを捉え、彼女の野性を目覚めさせる。
食べていい?と、待ち焦がれるような目で真世を見つめてくるので、真世は笑顔で勧めた。
真世を見習って、亜夢も不器用に箸を使おうとするが、チキンは手でいいのよ、と真世に許された途端、亜夢の野獣の性が解放される。哀れなチキンは、たちどころに獰猛な『炎獣』の餌食となってゆく。
亜夢に呆れながら、皆さんもどうぞ、という、看護師の言葉に、ティムと直人も料理を取り始めた。
「あ、真世さん、見て見てぇ!」「えっ?何?」食卓へと駆け寄ったサニは、すぐ近くにいた真世に手にしたフォトフレームを見せる。フォトフレームは、室内にあったもので、サニは先程撮影した写真を移していた。
「ププッ、ねっ、いい『親子写真』でしょ」
「あら?……ホントね」真世もつい、その写真に笑みが溢れた。
「あっ!サニ!!何してんだよ!!」二人の様子に気づき、の慌てふためく直人。
「ふふ、素敵な写真よ。風間くん、案外、いいお父さんになるかもね」「えっ……」
真世にそんな風に言われると、直人もそれ以上、文句も言えない。助けを求めてティムを見やるが、すっかり看護師達とのおしゃべりに夢中だ。
「はい、オマケのプレゼント」
直人の戸惑いを他所に、サニは口いっぱいにチキンを頬張る亜夢に、そのフォトフレームを差し出す。
亜夢は、チキンの脂でベトつく手を真世に拭いてもらうと、サニからそのフォトフレームを受け取った。写真を見るなり、亜夢の瞳が今日一番の輝きを見せる。
両頬をモグモグとさせた、アブラギッシュな口周りをそのままに、もう一度、写真のシーンを再現しようと亜夢は直人に飛びつく。
……が、今度は、直人が反射的にそれを避けてしまったのは言うまでもない。
二輪タイヤが、甲高い悲鳴をあげ、アスファルトを切り付ける。
「何だ、これは?」
神取が戻ってきた避難所前には、人だかりが膨れ上がっていた。だが、彼らの様子がおかしいのは一目でわかる。
恨みを訴えながら家族に殴りかかるもの、泣き叫びながら徘徊する子供たち……
そこかしこでは、殴り合い取っ組み合いの喧嘩や言い合い、土下座して涙ながらに、謝罪を繰り返すもの、それをさらに責め立てるもの……
バイクを降り、ヘルメットを脱いだ神取は、瞑目して精神を集中し、もう一度見開く。霊眼のフィルターを通して、改めて辺りを見回せば、蛇のように身をくねらせる、あの『水霊』のような、幾つもの霊体や、おそらく二十年前の震災で亡くなった者達の、地縛霊らしき影が徘徊している。それらの発するPSIパルス、いや霊気が何かによって昂り、避難住民らの心理に影響しているようだった。
「神取先生〜〜!!」
先に避難所へ着いていた秦野が、通用口で神取に呼びかけていた。
レスキュー隊員や、サポートアンドロイドと共に、通用口にまで雪崩れ込もうとする避難者らを押しとどめ、神取を迎え入れようと、何とかそこを死守していた。
「早く入って!!」




