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亜夢の誕生日 1

御所の北東、鬼門にあたる山間。


山門に固く閉ざされた男子禁制の聖域がある。元より世俗一般の者が足を踏み入れる事などない、隠された秘寺である。どちらかと言えば、この寺の『尼寺』という性格を保つ意味合いが強いようだ。


尼寺とはいえ、境内は山道もそのまま。良く言えば、自然と一体となった景観、穿った見方をすれば、未墾の野性をそのままに放置している、とも言えなくもない。


鬱蒼と樹々の茂る、境内の奥深く、奇怪な仏堂が建つ。


六角三層の仏堂は、一重の六角屋根の下に螺旋を描いて蛇のように絡みつく屋根を有し、階層は全て斜めに傾いているように見える。


栄螺堂(さざえどう)と呼ばれる仏堂であり、外観は「会津栄螺堂」呼ばれる「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」とよく似た外観と造りではあるが、その規模は会津のものに比べて二回りほど大きい。


『夢見堂』と命名されたこの仏堂は、内部が斜路になっており、螺旋状になって各階を結ぶ。その入口から出口まで、一本の道となっており、何処とも交わることはない。


外から固く閉ざされていた、その出口側を老尼僧が解き放つ。


「ぷっはぁ!!やっと、出られたぜ……」


扉が開くと同時に、着崩れた白い長襦袢を汗に濡らした、十代半ばの少年が躍り出た。


扉の奥に閉されていた空気が一度に流れ出し、蒸した汗と、野性味を帯びた雌の匂いを運んでくる。


少年は自身の身体にもこびりつく、その匂いに顔を顰める。


「お務め……ご苦労さまにございます。あちらでお休みを……」


老尼僧の指す方を見やると、小さな井戸がある、庵が目に留まる。そこで禊ぎをせよ、との事だと、少年は理解した。


「ああ……そう……させてもらうぜ」


足をふらつかせながら、庵に向かう少年を見送ると、尼僧はそのまま栄螺堂へと入ってゆく。


丑三つ時の頃、栄螺堂に閉じ込められ、八時間程は経つ。栄螺堂で行われる、『夢見子』達の秘奥義は、これに初めて臨んだ少年にとっては、心浮き立つものではあった。最初のうちは……


「ふん、ずいぶんと搾り取られたな。楽しんだか、熾恩(しおん)?」


庵の縁側に、熾恩と呼ばれた少年と同じ身なりをした、刈り上げ頭の、大柄な男が腰掛け、茶を啜っている。


「チッ……そういうオッさんこそ、ずいぶんお早いリタイヤじゃねえか。へへ」


熾恩は、大男の隣に腰掛けると、縁側に出されたよく冷えた麦茶を喉に流し込んだ。


「長ければ良いというものでもない。皆、満足気であったろう?私の後に会うた夢見共は?」


熾恩の脳裏に、パトスと嬌声の螺旋渦巻く栄螺堂の、この世とは思えぬ狂乱の宴が呼び起こされ、吐き気が横隔膜を突き上げる。


「うっぷっ……エロじじいが……」


思わず口から溢れる麦茶を白衣の袖で拭う。


「……無理もない……あと三晩、熾恩には酷かのう?」「へっ!舐めやがって。あと三日でオッさんよりイイって、夢見子共にヒィヒィ言わせてやる!」


いきり立つ若者に動じる事なく、老練さを滲ませた、刈り上げ頭の中年男は、ニヤリと微笑んで、茶をまた啜る。熾恩は、唾を吐き捨てて、その余裕さに抗議しながら、栄螺堂を振り返った。その最上階に目が留まった熾恩は、記憶に妙な引っ掛かりを覚える。


「けど……あんたにも満足してねぇのが一人居たぜ」


熾恩の視線の先を追う大男。


「お前も気付いていたか?」「ああ。あれは……」



黒々とした長い影が何重にも重なり、絡まり、絶え間なく波打つ水流のように、無常に形を変える。時折、白銀煌めく鱗のようなものが、影の表面に見える。


大蛇(おろち)か……」


端正な顔立ちのその男は、整った眉を顰める。


風辰御殿の座敷中央に、ホログラム投影された映像を睨め付ける長身の男の名は、煌玲(おうれい)。火雀衆の長を務める男である。


歳の頃は五十手前ではあるが、鍛え抜かれた体躯に老の色はない。


「失礼致します」襖が静かに開かれ、座したままの尼僧は、作法に則って入室する。


「……万事滞りなく。熾恩殿も見事、務め上げたそうにございます」尼僧は、頭を下げながら告げた。


「そうか……あと三晩。それまで夢見共が、此奴にどれだけ近づけるものか……」


不鮮明な画像は、IN-PSIDの各支部代表に共有された『ヤマタノオロチ』である。ムサーイドによって、御所の風辰にも、その情報が流れていた。


「ご案じなさいますな。火雀殿の霊力をお借りしておるのです。必ずやこの『大神』の全容、暴いてみせましょうぞ」


尼僧は、微笑みを湛えながら煌玲ににじり寄る。傍らに距離を縮める尼僧を、煌玲はちらりとも見る事なく、坐した姿勢も崩さない。


「思い出しますのぅ。かれこれ二十数年……貴方様は滾りのまま、私めを求め……」膝に置いた煌玲の拳に、尼僧はそっと手を重ねる。


「……お互い若かった……」「あの頃、貴方様に頂いた『夢』が……今この御所を動かしております」


尼僧の温もりが、身体に寄りかかってくる。


「……言葉に気をつけよ」「ふふ……私目の忠心をお疑いでしょうか?」


互いの膝が接する。


「そなたは既に、務めを引いた身……かようなことは、もう……それに、そなたは風辰殿の……」「ふふ……それは単なる噂……風辰は確かに、私目にとって大切なお人……なれど、それは貴方様方の思うようなものではありませぬ……もっと濃い繋がり故……」


「なに?まさか、そなた……」


煌玲と尼僧は、部屋に近づく足音を具に感じ取り、お互い距離をとった。


すぐに、障子が無雑作に開け放たれ、風辰翁が足を踏み鳴らして入室してくる。傍らに付き添っていた烏衆の頭目、兵は、開け放たれた障子手前で膝を折り、畏まる。


「枯れ木が!ヤツの耳は地獄耳か!」


口惜しそうに風辰翁は、扇子を開き閉じし、乾いた音を(はじ)く。苛立ちを露わにしたまま、どかりと彼の座布団へと腰を落とす。


「御所様が……何か?」煌玲が問う。


「ふん、どう知ったのか、『もう一人の神子』とぬかしたわ。そちらの神子でも良いから、早々に連れて参れとな」


「それは、また……」夢見頭の尼僧は、姿勢を正して畏まった。


「林武はひた隠しにしておった。これを知るは我らのみのはず」


沈黙が部屋を包む。狙いを定める眼光が、煌玲、尼僧、兵を順に刺す。


「……では、なぜ知れたか……夢にて占うとしましょう」尼僧は、そう言うと、すくと立ち上がり部屋を後にしようとする。


「よい、待て。どの道、諏訪の神子も我らが確保する……"御所様"への献上は如何様にもできる」


尼僧の振る舞いに、風辰の昂りもいささか(おさま)ったようだ。老人の扱いを心得ていると、煌玲は感心する。


尼僧は改まって、座り直した。


「で、夢見の運びは?」「は、夢解きはこれからなれど、皆、深き夢形(ゆめかたち)を掴んでおりまする……三晩の後は必ず……」尼僧は、恭しく頭を下げる。


「其方らの『夢見』では、神子は諏訪にて、この"大神"と接触すると出た。相違無いな?」


風辰翁は、ホログラムに投影されたままの影を睨め付けながら問う。


「はい。追わせている者どもには、益々はっきりと、その有り様が浮かび上がっております。結びの日まで、残すところは、おそらくあと五日から六日。満月を迎える頃にございます」


尼僧は、表情一つ変えず、滔々と説明する。彼女の言葉を聞き終えると同時に、風辰翁は煌玲の方へ顔を向けた。


「煌玲」「はっ!」


「『夢見』の裏はとれそうか?」


「既に、諏訪へ飛煽(ひせん)を送り込んでおります。奴の霊視であれば諏訪の異界側も、見通せましょう」


一手先を読む、煌玲は抜かりがない。翁は、うむ、と満足気に頷くと次に兵の方へと向き直った。


「兵!」「はっ、はい!」


「烏どもも、まだ諏訪におるな?」「おります」


「奴等には、神取を監視させろ。ロクに報告もないと思えば、諏訪などに!」


扇子を肘掛けに打ち付ける。兵は背中がびくつくのを覚えたが、表情に表すことを必死に堪えた。


「それから、森部の狙いを探らせるのだ。奴は神子を生贄にせんと欲しておるのだな?」


「はっ、故に神子の母御は、IN-PSIDに助けを求めたと、烏共は申しております」兵は、身を固くしたまま報告する。


「うむ。神子について、森部が何か知り得ているのか……何でもいい、それらしい動きを見せるようであれば、すぐに知らせるのだ」「御意」


言い終えると、風辰翁はその場ですくっと立ち上がり、大きく息を吸い込み、声を張り上げる。


「よいか!全てを手に入れねばならぬ!儂の元へ全てをもたらせ!儂を信じよ!それがただ一つ、其方らの生き長らえる道である!!」


老翁の言葉の前に、三人はただ平伏すしかない。霊力でも腕力でも、この老人を屈服させることは、この三人にとってはさほど難しいことでは無い。


だが、それ以上に、老人の圧倒的な『威圧のロジック』が、彼らの頭を畳に擦り付けさせていた。


「一同、励め!!」


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