蛇の宴 4
朝を迎えた諏訪湖の一帯は、自治体で備えた対PSID防災結界が、ようやく一定の効果を発揮し始め、それに伴って要救護者の拡大も、やや落ち着きを見せている。
被災地の物的被害状況確認と、安全確認が終わり、ライフラインの復旧に目処がついた地区から避難解除となり、帰宅した住民も多い。避難所に残っているのは、土砂崩れ、水害の恐れのある地域の人々、負傷者、PSIシンドロームの兆候が見られる患者といった人々である。
神取は、昨晩のうちに、諏訪の災害救援チームへと戻っていた。
彼らには、地区の行政機関から宿泊施設が提供され、交代で宿泊し休息を取ることができた。
早朝まで避難所を担当した神取は、交代して宿泊施設へ入る。二、三時間ほど睡眠をとったが、既に活動を始めていた。目覚めてすぐ、雑務を済ませると、既に高く昇った日の元、黒い影を生む宿泊施設の和風庭園へと赴いている。
もっとも散策を楽しむためではない。
人目につきにくい小径脇の木陰で、神取は精神を集中する。影に語りかけるようにして、神取は、御所へと放っていた式神、玄蕃へ自らの思念を指向する。
……玄蕃、玄蕃よ……応えよ……
……ここに居る……お頭……
木の葉が、わずかに囁き、影が揺れる。神取が、木に背を預けると、玄蕃も木を挟んだ反対側に同じように立つ。もっとも、玄蕃の姿は、肉体の眼に映ることはない。
神取は軽く腕組みをして、携帯端末を眺めるフリを装った。誰かの目に留まっても、不審がられる事はないだろう。
……どうだ、何か掴めたか?……
……何か、も何も……こちらが訊きたい。あの御老体、お頭にえらくご立腹だ……どういう事か?……
……ふふっ……そうであろうな……
昨日の記憶を玄蕃に共有する。
……ふっ……そういうことか……その童、林武衆が神子として、二、三年ほど前からあたりを付けていたようだ……
……やはり……神子は、あの娘以外にも……
林武衆が語ったこと。そして神取自身が、感じ取った霊気。あの咲磨が神子である可能性は、十分考えられる事であった。
……御老体の謀を明そうと、林武は、あの童が神子である証を探っていたのだ……
玄蕃は続けた。
……証?……なるほど、あの痣は、そういう事か……
……神子の霊威を肌で感じ取ったというのは、お頭だけだ……林武は、彼等自身の記録から神子の手がかりを得たようだ……
……水織川……地脈………彼等は、神子を見出したと言っていた……朝臣殿の予見は正しかったのだな……
……御老体も勘づいていた節がある……夢見に探らせていたのだが、先日の地震が全てを明かした……
……そうか、それで師は、烏共を?……
玄蕃は苦笑を漏らす。
……事もあろうに、それをお頭がかっさらうとはな……くっくっくっ……愉快、愉快!……
玄蕃は、高らかに笑い声を上げた。その音なき笑いは、木の葉を震わせ、一陣の風を巻き起こす。
……あの場ではやむを得なかった。仲間うちであっても、必要以上の意思疎通を禁じる……御所のやり方が裏目に出たに過ぎん。まぁ、こちらとしては思わぬ収穫だがな……
神取の他、庭に人が出てくる様子はない。通信端末を閉じて、垣根の影沿いにゆっくりと歩き出す。玄蕃は、影を伝って、神取の後に続く。
……調べの方は?……それだけか?……
……あの擬似異界……あそこに満ちていた気配……出処はやはり……
……そうか。で、その目的は?……
……御老体は、あの場を『刈り場』と呼んだ……
……"狩場"?……我が母の"祈り"は、差し詰め、撒き餌か……ふん、師のやりそうなことよ……
……御母堂の御霊はご無事だ、安心せられよ……
……当然だ!あれしきのことで……
立ち止まった神取は、茂みの影を睨め付ける。
……御意!……
神取の霊眼には、慌てて畏まる玄蕃の姿が見えている。
……よい、続けよ。母の祈りをもって、何を"狩る"つもりだった?……
……『禍ツ神子』……あの者たちはそう口にしていた……
……『禍ツ神子』?なんだ、それは?……
神取も聞かされていない言葉だ。
師とはいえ、風辰宿禰は、神取にすら神子計画の全容を語ってはいない。
自分は、ただ二十年ほど前、『神子』の霊威を体感した、"生き残り"として、風辰翁に重用されているに過ぎないことを改めて思い知る。
……二人の『神子』、そして『禍ツ神子』……『神子』とは一体、なんなのだ?……
玄蕃は無言で答えた。
……よい、探りを続けよ……
……うむ……
茂みが、小さな音を立て、その影が薄らぐ。
……狩られる神子と、生かされる神子……か……
神取は、宿泊施設の屋内へと踵を返す。
……森部は……森部は、咲磨を生贄に!……
昨日、その神子の母、幸乃の語った話を神取はふと思い出す。振り返れば、守屋山の山並みが、青空に浮き上がっていた。
……森部はもしや、何かを……
『おっ邪魔しま〜〜す!真世さん、コレ、とってきたよ』
『ありがとう、みんな……ごめん、まだ寝てるの……』
……うう〜〜ん……
暗闇の中で、もぞもぞとしたものが、声を交わしている。
『また、少し睡眠時間が長くなってるみたいで……』『まさか、また昏睡?』
『そうじゃないみたい。身体機能も日に日に向上してて』『まるで、成長期の子供みたい』
……うるさい……誰?……
何か、いつもと違う。もぞもぞしたものがいっぱいいる?
『そのうち起きるだろうから、とにかくセッティング済ませましょ。グラスとお菓子、並べてちょうだい。あとそのケーキも』
……お菓子??ケーキ??……
『お、美味そうなクッキーだな』『それ、真世の手作りよ』
『手作りだって〜〜ラッキーね、センパイ』『えっ!?いや、その……』
『キットものだから、大したことないよ』
『いやいや、真世が作ったってのが大事なんだ、なっ?』『えっ!?あっ……うん……』
甘く、香ばしい匂いがしてくる。
……クッキー??……
……けど眠い、眠いけどいい匂い……
『まだ寝てんじゃ、摘んじゃおうぜ。ケーキも』
背の高いもぞもぞが、何かに手を伸ばしていた。
……えっ、何、何、何???……
もぞもぞは、手を口に運んでいる。
……食べたい!亜夢も食べたい!!……
『だ……ダメよティム!』『いいだろ、ちょっとくらい』
……ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ!!………
『お寝坊さんは構わず、ほれ、あ〜〜」
「ダメェえええええええ!!!」
亜夢は、身体にかけていたタオルケットを投げ捨て、身体を二つ折りにして跳ね起きる。
「亜夢もぉおお!!」
もぞもぞが人の形になって目の前に突如、実体化する。いっぱいいる!!
「えっ!?あっ……うう??」
直人、真世、サニ、ティムと女性看護師が三人。七人の視線が一度に注がれた亜夢は、その場の皆の顔を見回して、困惑していた。
「なっ、うまくいったろ?」ティムは、目覚めた亜夢を見つめながら、小声でとぼけた。「アンタが言うと、なんかムカつく」サニは口を尖らせて小声で返した。
「まあまあ、それより……」ティムが手の中に隠したものを皆にチラリと見せながら、看護師の方へウィンクして合図を送る。
「それじゃ、さっそく!」
ティムに促された看護師が一歩進み出る。何かされると思ったのか、身構える亜夢。
「亜夢ちゃん!」看護師は構わず声をあげた。
彼女の呼吸が自然と合図になり、皆で次の言葉の息を合わせる。
「お誕生日、おめでとう!!」
祝福の言葉と同時に、クラッカーの乾いた破裂音が鳴り響き、色とりどりの紙紐が宙を舞った。
亜夢は驚きに目を丸めたが、次第にその瞳には、温かな焔の色が灯り、その光はやがてキラキラとした輝きへと変わっていた。




