蛇の宴 3
「おはよう、諸君」
準警戒待機中である。藤川が、IMCへと入室した時には、すでにインナーノーツの五人と東、田中、真世、が入室していた。通信パネルごしには、引き続き<イワクラ>出張中のアイリーン、一夜明けて、救護活動もひと段落したIMSからリーダー如月、サブリーダーの齋藤も加わっている。
「おはようございます、所長」東はいつもと変わらない調子で挨拶を返し、皆もそれに続いて挨拶する。
藤川に対して、東は、どこか隔たりを感じさせていた。
「留守の間、ありがとう。東くん」藤川は言いながら自席へ座る。
「いえ……。さっそくですが、諏訪湖の状況です。多元量子マーカーから送られてくるデータに、昨日の直人の生体記憶データサンプルから『メルジーネ』と同調時の認識パターンをアルゴリズム化し、当て嵌めて解析しました。ご覧ください」「うむ」
意見を違えても、すべき仕事はきっちりとこなす東に、藤川は改めて信頼を深める。
東の指示を受けた田中が、モニターに解析画像を投影すると、その場の一同は驚きの声を上げた。
「……これはまた、うじゃうじゃと……」ミッションで目撃した時より、更に数を増やした、蛇体状の形をした霊的存在が、ひしめき合っていた。ティムは顔を引き攣らせていた。
真世は、全身に鳥肌が立つのを感じ、反射的に口を覆って、正面から見るのを拒んでいる。
「いったい、何匹いるの?こいつら……」爬虫類は苦手というほどでもないサニも、嫌悪感は拭えない。
「この空間の時間軸は、現象界に近接してきています。ほぼ現在の姿と見ていい。時間と共に増殖しているようだ」東は説明した。
軽く見積もっても数百ほどのはっきりした形を持つ蛇の姿が見える。よく見れば、それらの尾の方は、藤川がPSI ボルテックスと名付けた、時空歪曲力場に紐づいている。このボルテックスが蛇体を生み出す身体のようになっており、蛇体は絡み合い、伸び縮みしながら、龍脈の合流点らしき場を求めて首を伸ばす。
その姿はさながら……
「まさに……『ヤマタノオロチ』だな、これは……」藤川は、日本神話の怪物に擬える。
「『ヤマタノオロチ』……」日本人の直人にとっては、馴染み深い怪物だ。
この画像処理は、自分とアムネリアの認識パターンから作り出している。そのためか、直人には、藤川の言葉がすとんと腑に落ちる。
いや、それだけではない。
……アムネリア……
直人の心象に描かれた『ヤマタノオロチ』とアムネリアのもう一つの顔、『メルジーネ』の姿が重なる。
……!?……
直人が何かに気づいて目を見開いたその横で、サニはモニターを指差しながら、何かを数えていた。
「もう!ヤマタって八マタでしょ、Eight でしょぉ〜〜。これ、どう数えたって八じゃ済まないって〜〜」「数えんなよ……」
わざとらしく指折りして、戯けてみせるサニ。ティムは冷ややかに突っ込んでやった。
「はは、日本語の八には、数字の八以外にも意味がある。数え切れないほど多いもの、あるいは大いなるものを表す言葉だ。八坂瓊曲玉、八百神、大八洲……皆、人智を超えたものを表すのに八を用いてきたのだ」「ふうん……」
「『ヤマタノオロチ』もまた然り……すなわち、『神』を示す言葉だ」
「けど、八岐大蛇っていや、イズモでしょ?ここは諏訪じゃん?」サニは得意になって指摘する。よく知ってるなと、藤川が感心気に言うので、サニは口元をニンマリとさせている。
知っているはずだ。何せ、昨日の女友達との勉強会は、日本神話講座のおさらいだったのだ。ちょうど古事記における出雲神話にも触れていた。それに「イズモ」と言えば、先日のミッションで、直人が口にしていた言葉でもある。自然とサニの印象に焼きついていた。
「だが、ヤマタノオロチ退治の神話は、出雲風土記には記されていないのだ。そして、古事記においても、ヤマタノオロチは、またしても『高志』……すなわち北陸地方からやって来たとある」
おそらく、ヤマタノオロチの伝承、あるいはモチーフは、北陸地方にルーツがあるのであろう。その近隣の諏訪を含む中部地方にも、いわゆる竜蛇神に拘る伝承は数多くある。この一帯は、こうした蛇神信仰をもつ一大文化圏があったのではないかと、藤川は推測した。
「そもそも『蛇神』自体は、何度も言うように人類の集合無意識に根ざした象意……『アーキタイプ』の一つだ。出雲であろうと北陸やこの諏訪のあたりであろうと、地域的な差はあれど、本質的な違いはない」
藤川は、モニターに浮かぶ多頭の蛇の姿をじっくりと見据え、再び口を開いた。
「日本だけでなく世界に残る蛇信仰や伝承。ヤマタノオロチもそのひとつだが、河川の氾濫や恵を神話化したものだとも言われている……だが、果たしてそれだけなのか?」
その問に一同の視線が藤川に集まる。
「現在のPSI抽出技術の主流は、奇しくも水を媒体として次元転換を行う。これは水の流動とPSI流動と呼ばれるインナースペース内現象の相似を利用したものだ。なぜそうなっているのかはまだわかっていないが、太古の人々は、もしかすると水や自然の中にPSIの流動を見ていたのかもしれん」
「では、ヤマタノオロチなり蛇神は、インナースペースに実在する、確かな存在かもしれない……とでも?」カミラが問う。
「……あるいは人の集合無意識がインナースペース内のPSI流動にその形を与えたのか……時間系が多岐に渡るインナースペース次元では、どちらが先かは鶏と卵のような話だろうな」
解析コードが、分析モニターの上を怒濤の勢いで流れている。
時間系の流れが、刻一刻と「現象化」しており、『ヤマタノオロチ』の実像をより確かな存在として浮き上がらせているのだ。
波動収束確率を地上時間換算したグラフは、リアルタイムに表示され、右肩上がりの曲線をいている。そのピークは、およそ一週間後……。
藤川は、現象化地平を示す、水平軸を超え、反転するピークを睨む。
咲磨の母の言葉が思い出される。
……一週間後、森部は郷を挙げた『大祭』を計画しています……
……その祭りで……森部は、咲磨を……
黙したままの藤川に代わり、東が指示を下す。
「見てのとおり、いつ現象化してもおかしくないレベルまで収束が高まっている。しばらく準警戒体制は解除出来そうにない。各自、いつでも出動できる心構えでいてくれ!」
「わかりました」気を引き締め直したインナーノーツ皆の意志を、カミラは一言に込めた。
朝のミーティングはここで解散となる。引き続き、カミラとアランは打ち合わせに残り、ティム、サニ、直人の三人は、IMCを退室する。同時に席を立った真世も、エレベーターの前で鉢合わせる形になった。
不意に視線がぶつかった直人と真世。
……ごめんなさい……
……風間くんが悪いわけじゃないのはわかってる……でも……
昨日の会話が、その瞬間、二人の胸のうちに甦っていた。
……いいんだ……当然だと思う……
……か、風間くん!でも、私は!!……
……ありがとう……本音を言ってもらえただけでも……オレは……
……風間……くん……
…………藤川さん……オレは……
……う、うん?……
……いや……いい……何でもない……ごめん…………
「乗れよ」ティムが、真世に声をかける。
二人は見つめ合っていた事に気づくと、揃って俯いた。そんな二人を見ていたサニは、ついと横を向いて知らん顔を決め込む。
直人は、俯いたまま顔も上げられない。
……こっちは"蛇"の生殺しってやつか…….
苦笑しながらティムはエレベーターの扉を閉める。
PSIボルテックスは何も諏訪湖の底だけではない。三者三様に腹を探り合うエレベーターの密室の中央にも、無言の感情ボルテックスが渦巻いていた。
「準警戒体制つったって。今日は土曜だしなぁ。そうだ、これから四人で街に繰り出そうぜ。皆んなで適当にぶらぶらしてさ、その後ランチでもどう?」
こういう空気を一番嫌うティムが、とぼけた調子で口を開いた。
「あ、それなら……」
ティムに返事をしたのは、意外にもこの手の話をいつもスルーする真世だった。




