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蛇の宴 2

 部屋のインターホンが軽妙なチャイムを鳴らした。応答した咲磨の母、幸乃は、昨日出会ったばかりの、ここの医院長を務める貴美子である事を認めると、ドアを開けて迎え入れた。


 連れ立った咲磨の担当医となった医師と、部屋の奥へと進む。


 咲磨は、昨晩のうちにここ、IN-PSID附属病院の長期療養棟へと移されていた。


 母、幸乃も、咲磨に付き添って、IN-PSIDへと戻る藤川夫妻と共にこちらへ移動。昨夜遅くこの部屋に入った。その間、咲磨は眠ったまま一度も目を覚ます事はなかった。


「良く……眠れましたか?」「あ、はい。おかげさまで……」


 幸乃に準備した簡易ベッドは、使用した形跡がない。無理も無いか、と貴美子は、思う。


 ……生贄!?……咲磨くんを……ですか?……


 昨日の会話が、貴美子の脳裏に甦る。



 ————


「はい……森部は本気です……森ノ部教団の悲願は、人身供養ひとみごくうを厭わない、古代生贄祭祀の復活…………その第一号に咲磨を……」


 幸乃が口にした、あまりにも現実離れした話に、藤川も貴美子も、同席している医師も俄かに信じられないとばかりに目を丸くしていた。


「……け、警察への相談は?」医師が問う。


 幸乃は首を横に振る。


「あの郷は、森部のものなのです……皆、グルになっていると……だ、旦那が……」


 幸乃は唇を震わせて答えた。


「そのご主人が、咲磨くんを連れ戻しに?」


 押し黙っていたまま耳を傾けていた神取は、これまでの経緯を確認した。幸乃は俯いたまま頷いた。


「……あんな人じゃなかったのに。……旦那は……須賀の家は……義父の代までは、教団でも森部に次いで力を持ってました……」


 幸乃は、家を飛び出す直前、夫から聞いたという話を語り始める。


 先代の須賀は、教祖、森部と互いを親友と認め合う仲であり、教団の立ち上げにも尽力したという。


 幹部として手腕を振るい、当時発掘された遺構から縄文時代の精神性を見出し、古神道との融合を図り、古代日本人の精神的原点を見出そうという理念を追求した人物であった。


 初期の森部教団は、この理念を追求する穏やかな神道系教団という認識で、地元でも受け入れられていた。


 義父が、地元貢献と、精神修養を全面に、地域住民や信者らの信頼を増す一方で、教祖となった森部は、次第に己の野心に取り憑かれていく。当時の森部は、教祖にも拘らず、一部、彼に心酔する幹部を除いて、孤立を深めていた。


 この頃から、森部は、人望を集める義父への妬み、憎悪を抱くようになっていたのかもしれないと、幸乃の夫は語ったという。


 そして、二人のすれ違いは、あらぬ方向へと彼らを導いてゆく。


 二十数年前、大震災を予言し、震災を回避するために、人身御供を捧げるべきだと主張した森部と、これに反対する義父は、真っ向から対立するようになる。


 当時は、人身御供はいくらなんでもと、他の幹部らも義父を支持し、結局、森部の主張は、退けられた。


「ですが……森部の予言は的中してしまったんです。あの……二十年前の『世界同時多発地震』……」


 藤川、貴美子は、顔を曇らせる。


 諏訪と森部の郷にも、多くの被害がもたらされた。それを逆手に、森部は自身の正当性を主張。被災による喪失と哀しみ、やるせない怒りは、森部の言葉を受け入れる土壌となったのであろう。人身御供に反対した義父は、信者らの非難の的となっていった。


「あの人も、ずいぶんと苛めにあってきたそうです……でも、あの人は優しかった……男手一人で育てた、義父様の教えが良かったのでしょうね、きっと……」


 思い出に浸るように幸乃は、身の上話を織り交ぜながら、話を続ける。


「咲磨が生まれ……あの子が『御子神』様なんて呼ばれて慕われるようになったのも、私たちには救いでした……義父が亡くなったあとも、あの郷でなんとか暮らせるのは、あの子の不思議な力に守られているからだと……夫もよく口にしていました。その咲磨を……なぜ……あの人は……」


 幸乃は俯いたまま、顔をあげる事ができなかった。


 皆、かける言葉もない。夕日が次第に水平線へと差し掛かる。ミーティングルームは、赤と黒のコントラストに描かれていた。


 幸乃は、顔を上げ、再び口を開く。


「……旦那は言ってました……森部は再び予言した。今朝の地震を上回る災厄が、郷を……いやこの世界を呑み込むであろう……と。災厄を逃れるには神に選ばれた、『御子神』である咲磨を、神に差し出すしかないのだと……」


 ————


 ……災厄が、世界を呑み込む……


 貴美子は、森部なる教祖の予言が、奇しくも夫が予期した『地球魂=ガイア・ソウル』の変動と重なる事に、只ならぬ不気味さを覚えずにはいられない。


 そう考えるうちに、貴美子は無意識に顔を顰めていたようだ。ベッドの上の咲磨が、不思議そうに見つめていた。


「お、おはよう……咲磨くん」貴美子は、取り繕った挨拶を投げかけた。


 咲磨は、きょとんとして母の顔を見上げる。


「あぁ、サク。えっとね、昨日、サクが急に具合悪くなって。それで、ここの病院に入院することになったの。医院長の貴美子先生よ」


 咲磨は、ゆっくりと会釈する。


「よろしくね。咲磨くん。こちらは、貴方の担当を務める伊藤先生」


「伊藤です」と紹介された若い男性医師は、一歩進み出て簡単に挨拶を済ませる。主に病院棟で小児担当をしている医師で、急遽、咲磨の担当としてアサインされた。柔和なお兄さんといった風貌だ。(咲磨の容態は、安定しており、経過観察扱いとした。伊藤の診察も決まった時間のみの往診となる)


 咲磨はにこりと笑顔を見せて応えた。


 幸乃は、よろしくお願いします。と何度もぺこぺこと頭を下げていた。咲磨は、この母の、ちょっと慌てたような仕草が可愛くて好きだった。咲磨の表情に明かりが差す。


 ふと見回せば、近代的ながら和モダンの趣きの、決して広くはないが落ち着きのある部屋である事に気づく。


 母が、貴美子、伊藤医師と何やら話し始めている。咲磨は、ここが郷とは全く違う異世界である事がわかると、ベッドから降りて、引き出しを開けたり、バスルームを覗いたりと、興味津々に部屋の探索を始めた。


「こ、こら!サク」幸乃はオロオロと咲磨の後を追う。


「ふふふ、構わないわ。自由にしてください。咲磨くん、ベランダもあるのよ。こちらへ来てごらん」


 貴美子がカーテンを開けると、目の前に、朝日に煌めく日本海が広がる。


「あっ!!海だ!!」


 咲磨の目が、海の煌めきを写しとったかのように輝き出す。貴美子は、ベランダへと抜ける掃き出し窓を開け、咲磨を促した。


 ベランダに駆け出す咲磨。オーシャンビューのパノラマが目の前に現れる。咲磨は、惜しげもなく感嘆の声を溢す。


 母と貴美子、伊藤医師も彼に引き寄せられるように、ベランダへと出てきた。


 海からはやや距離があるものの、風が波の囁きと共に、潮の香りを運んでくる。


 生命(いのち)の香りなんだ……そんな思いが咲磨の胸に込み上げてくる。


 咲磨は、少しべとつく潮風を胸いっぱいに吸い込んでみた。


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