鳴動 3
可視化された磁界結界に覆われた、二メートル四方程のエネルギー場は、紫混じりの白と黒のマーブル模様を描き、ゆっくりと対流を見せていた。
その内側のベッドに横たわる、母の様子を確かめようと真世は目を凝らす。辛うじて、そこに母、実世の人影が見てとれるのみだ。
「ママ……」結界と、その内部の治療光は、真世と実世の僅かな距離を厳重に隔てていた。結界内側の患者を映す、カメラモニターが、薄く呼吸を繰り返す実世を映し出している。そのモニターの前に座したまま、真世は己の無力を噛み締めていた。
個室のドアが開くと、母の担当医が忙しなく入室してくる。看護師が、その後に続く。
「真世、下がって」看護師に促され、真世は主治医に場所を空ける。医師は、モニターに映るバイタルと微弱なPSIパルス波形を睨む。
母、実世の部屋に宿泊していた真世は、未明の地震に目が覚めると、実世の細い呼吸が奇妙な音を発しているのに気づいた。地震にも、真世の呼びかけにも、実世は目覚める気配が無かった。
集中治療室へと運び込まれた実世は、治療光投与開始から二時間ほど経つが、まだ意識が戻らない。
「……少々、身体が弱っているが、仕方ない。ダミートランサーを」「はい!」
実世のPSIパルス波形に幾つかの非固有パルスが検出されており、何らかの『霊障』を併発していることは判明していた。彼女の体力を考慮して、治療光による心身活性による回復を期待したが、思ったほど効果がなかった。
ダミートランサーの起動ランプがグリーンに変わる。
「先生、準備できました」「出力ミニマムから徐々にレベルをあげていこう。キミはバイタルに注意!」「はい」「よし、スタート!」
ダミートランサーは、対『霊障』PSI医療設備である。個人固有のPSIパルス(魂のPSI情報)とは相いれない異質PSIパルス情報(古くから『憑依霊』の類いと考えられてきたもの。既知の精神病理とは一応の区別があるが、判別が難しいケースもある)が、心身に害を成しているとされる症例解消に用いられ、固有PSIパルスから異質パルスを分離、誘導する機能を有する。(より出力の高いダミートランサーは、対PSI現象化抑制装置としても使用されている)
だが、異質パルスの心身への『融着』が強いと、分離、誘導の過程において心身を傷つけるリスクもある。医師は、PSIパルスモニターを睨みながら、異質パルスとトランサーの波形を慎重に同期させていく。
モニターに映る母の表情に苦悶の色が浮かぶ。真世は、言葉もなく見守る他なかった。
未明の地震は、ここIN-PSIDでも大小の影響が確認されていた。揺れとしては震度4〜5程度で、やや強い地震程度であり、IN-PSIDの置かれた『鳥海まほろば市』一帯の物的、人的被害は殆どない。
だが、インナースペース深部から地震と共に現象界へ"巻き上げられた"種々のPSI情報は、人々の深層無意識を等しく撫で回し、不安と恐怖に怯える心を騒つかせる。PSIDである今回の地震は、長年、PSIシンドロームを煩う、ここIN-PSID、PSIシンドローム長期療養棟の居留者らにも、棟に強力な結界があるにも関わらず大なり小なりの影響をもたらしていた。
ダミートランサーが、無機質な電子音を発する。
「よし、捉えた!誘導開始!」医師は、絶妙なタイミングを見極め、バイタルモニターの変動を睨みながら、誘導レベルをコントロールする。
「ママ!」実世が、身を捩らせると、治療光の中に、何の形ともつかないエネルギーの塊のようなものが数体浮き上がり、そのままトランサーの吸入器状の部位へと流れていく。
PSI パルスモニターから異質パルスの反応が消えるのを確認し、医師は素早く、ダミートランサーを停止させる。看護師が、治療光の出力を調整すると徐々に実世の表情が、落ち着きを取り戻していった。
「バイタル回復!」看護師の報告に、真世はほっと胸を撫で下ろす。
「ふぅ……もう大丈夫だろう……しばらく結界と、治療光の投与を」「はい!」
看護師に指示を伝えると、他にも見廻る患者が居るのであろう、医師は足速に個室を出る。
真世は、実世の側に駆け戻り呼びかける。
「ママ!ママ!」
治療光は和らぎ、母の顔も幾らか判別できた。薄っすらと開いた実世の瞳が、静かに真世を見つめてくる。
……ごめんね、真世……
言葉は無い。だが、真世にはそう聞こえた。
真世は、首を横に振り、笑顔を返す。
「汗でぐっしょり……真世。実世さんの着替えをお願い」「はい!」
真世に笑顔が戻る。母の顔をもう一度見つめると、真世は足取り軽く部屋を後にする。
ICU(集中治療)区画は、円形の作りになっており、中央のHCU(High Care Unit)も兼ねたPSIシンドローム専門医療コントロールセンターを取り囲むように集中治療個室が、六室配置されている。(コントロールセンターには、IMC直通保護カプセルがあり、対人インナーミッション対象者の受け入れに備えている)
各個室には、HCU側と外側の廊下に出る出入り口が二つあり、廊下は円形のICU区画の外周を成している。
母の着替えを取りに、真世は、この円形の廊下を長期療養棟の方へと足を運ぶ。
このICU区画を中心にして、廊下は長期療養棟と、病院棟、そしてIN-PSID中央区画をむすんでいる。その作りは、まさに対人インナーミッションの運用を軸に構成されていると言っても過言ではない。
施設、建造物には、建築主の思想が色濃く反映されるものだ。
PSIシンドロームを煩う我が子、実世をなんとか救いたい……
ここで暮らすうちに、真世は、藤川夫妻の願いが、この施設一帯に込められていることをひしひしと感じ取っていた。
実世の身体が、インナーミッションに耐え得るか確証が持てず、彼女の治療にはインナーミッションという選択肢は今のところない。あるとすれば、それはおそらく最後の手段となるであろう。
そのような日がいずれ訪れるのであろうか……真世は、漠然とした不安を胸に仕舞い込みながら、足を進めた。
ICU区画は、母に当てられた部屋の他、二部屋が使用中になっていた。
真世が、そのうち一方の部屋の前を横切ろうとした時、急に開いた扉の奥から、何かが勢い余って転げ出す。
思わず後退る真世は、息を呑む。
「あ、亜夢ちゃん!?」




