継承 5
<アマテラス>は無事、IN-PSID本部へと帰還した。下船したインナーノーツは、損傷著しい<アマテラス>の有り様に、今一度、生の世界へと帰還できた奇跡を噛み締める。
すぐに<アマテラス>の復旧と整備にかかるアルベルトは、小言の一つ二つ、投げかけてきたが、その言葉はいつに無く暖かかった。
水織川市の天蓋結界は、小一時間ほど、青緑の光を発していた。
その発光もやがて落ちつきを取り戻していく。
結界は、インナーノーツの働きによって、何とか持ち堪えたが、藤川とIMSらは、これから現場の事後処理に当たる。マークやハンナら、かつて結界建造に関わった代表団らも加わり、<イワクラ>の長い夜が始まっていた。
その中で、ムサーイドは、体調不良を理由に、先に与えられた自室へと戻っていた。ベッドに腰掛け、瞑目する彼の脳内イメージでは、ミッションで得た情報、義眼カメラによって撮影に成功した『メルジーネ』の映像、そして『PSI波動砲』とそれに関わる顛末が、親展メールに纏めあげられていた。
彼が目を開くのと、脳内からそのメールがインナースペースへと消えていくのは、ほぼ同時だった。
不意に立ち上がり、部屋に設られた鏡の前で義眼を取り出す。左の抉られた眼孔の奥底から、何かが語りかけてくるようだ。
それは彼の信ずる神なのか……それとも……
"御所"から支給された特殊義眼をケースにしまうと、代わりに常用の通常義眼を眼孔にはめ込む。
彼の肉体の左目が最期に見たものはなんだったろうか……ふと小さな船窓を見やれば、あの街の結界が放つ仄かな光が、静かな海の波を照らし出している。
故郷では見る事のない風景に、ムサーイドはしばらく見入っていた。
夜九時に差し掛かる、IN-PSID長期療養棟は、静まり返っていた。
直人は、気になっていた。『アムネリア』として、ミッションに現れた亜夢のことが。
ミッション後の検査の最中、彼女の容態に特に問題はないことは、耳に入ってきた。
だが、どうしてあの場に現れたのか、何故、自分の周りに、自分の意識の中に、現れてくるのか……確かめたい気持ちが、直人の足を療養棟へと向かわせた。
……が、その後を余計な同行者が一人。このところ、しょっちゅうついて回ってくるのは、『アムネリア』だけではない。最近、何かと助けられてばかりだし、無下にもできず、直人は"彼女"の同行を黙認していた。
「で……どうする気?センパイ?」
亜夢の部屋は、以前、真世の母を訪ねた際に把握していた。夜間照明に切り替わり、夜の闇が覆い被さった、彼女の部屋のフロアまで来たところで、サニが半ば呆れたように口を開く。
「こんな時間に……亜夢ちゃんも、寝ちゃってるんじゃない?」
来たところで、どう亜夢にコンタクトするかも、何を話すのかもノープランだった。
「そ……それは……」直人は、サニの言葉にふと歩みを止める。
「あ、まさか寝込みを襲うつもりだったとか!?嫌ぁ〜〜!ヘンタイ!」一応、周りを気遣ってか、小声で耳打ちしてくる。「ば、ばか!ンなこと……」
小声で言い合っていると、視線の先の一室のドアが開き、長身の白衣を身につけた男が出てきた。直人はその男に見覚えがある。
すぐに男は、直人らに気づくと声をかけてきた。
「おや、貴方は……一回、お会いしたことがありましたね……確か……」
男の切長の目が、観察するように覗き込んでくる。
「誰?知り合い?」サニが耳打ちで聞いてくる。それには答えないまま、直人は神取の瞳を凝視していた。
「……神取先生、こっちはあと、看護師さんが。あたしもそろそろ……」聞き覚えのある声が、部屋の中から聞こえる。
「あ……」神取の背後から、真世が顔を覗かせていた。
「ま、……藤川……さん」
「風間くん……」真世は、直人とその傍らに寄り添うサニの姿を認めると、視線を逸らした。
「風間……?」「え、ええ。うちのイン……いえ、ス、スタッフです。そっちのコはサニ」真世は、俯き気味のまま説明する。
「ああ、やはりこちらの職員さんでしたか?その節は、ご挨拶も碌にせず失礼。こちらでお世話になっております、神取です。お見知り置きを」神取が軽く会釈で挨拶してくるので、直人は会釈を返す。ずいぶんぎごちない挨拶だとサニは思った。
「真世さん、なんかセンパイが亜夢ちゃんのこと心配してて」サニがさっそく切り出す。
「お、おい!?」「それで様子見にきたんですけどぉ」慌てる直人には構わず、サニは用件を告げた。
「えっ?……ええ……あのコは……」歯切れの悪い返答をしたまま、真世は押し黙る。その間、終始、直人からは目を背けたままだった。
「おや、このコのお知り合いでしたか?」
何食わぬ顔で問う神取に真世は、二、三度頷くのみだった。神取は、それ以上何も聞こうとはしない。
直人は、この男の沈黙に、何故か身を硬くしていた。心なしか、神取の口角が持ち上がったように見えた。
「……大丈夫、治療光投与による一時的な交感神経の昂りと、全身の代謝促進が見られましたが。だいぶ落ち着いて眠りついたようです」神取が、変わって状況を説明した。
「ですから。今日のところはお引き取りを」
直人は、柔和な笑顔とは対照的な、研ぎ澄まされた神取の瞳に言葉が出ない。
「お引き取りを」念を推す神取。
直人は、もう一度、真世を見やる。真世は、横に視線を落としたままだった。
「……行こ、センパイ」「……あ、ああ……」
サニはチラッと神取を睨め付け、直人を促す。後ろ髪を引かれながら、直人はサニに手を引かれてこの場を後にした。
二人の姿が見えなくなる頃、真世は、不意に肩に触れる感触にハッとなり、神取を見上げた。
「貴女もお疲れでしょう。ゆっくり休んでください。私もこれで」「……あっ……はい」
神取は振り向きもせず、そのまま医局の方へと去っていった。
「か……神取先生……あの……ありがとう、ございます」
真世の口をついて出た言葉に、神取は背を向けたまま軽く手を振って返すと、夜陰の中へと姿を消した。
夜の闇は、一時の喧騒を包み込み、その闇を享受する者に、等しく、ささやかな安寧の時をもたらす。
開け放たれた窓から、入り込む風に揺らめいていたカーテンが、ぴたりとその舞を止める。
『アムネリア』の瞳が静かに開かれていく。身を起こして、風の止まった窓の先を見やる。
感じとれる全てが、静寂に包まれていた。
直人が自室で目覚めたのも、ほぼ時を同じくしていた。
「……んん……もう……なに……」
「いや……」隣で寝息を立てている、はだけた褐色の背中に、そっとタオルケットをかけてやると、何かに誘われるように、直人は、窓辺に立つ。
同じように、寝床から起き上がり、暗闇に閉ざされた窓の外を伺う少年もまた、何かを感じ取っていた。
川の字になって寝ていた母が、気配を察して目を覚まし、声をかける。
「どうしたの?」
母は息子の顔に一瞬の緊迫を感じ、眉を顰めた。
少年は、口を閉ざしたまま、首を小さく振ると、あどけなさの残る笑顔を母に返す。
母は、その笑顔に、僅かな不安も溶かされ「寝ましょう」と声をかけながら愛おしく抱きしめていた。
護摩が焚かれた土壁の空間は、鹿の頭と大小様々な動物であったであろう物体が串刺しにされたものが、いくつも並んでいた。
その"聖域"の中央、頭上から蛇の剥製が見下ろす祭壇に向かう、白い狩衣に縮れた長い白髪を垂れ流した老人が、手にした鹿の肩甲骨をじっくりと熱している。
やがて、骨は乾いた音を弾かせて、幾筋かのヒビを浮き上がらせる。
「おお……なんと……」
老人は、震える手をヒビに翳す。そこに宿った神の息吹を余すことなく感じ取ろうとしているかのようだ。
蛇の剥製の凍りついた瞳が、その老人をただ静かに見下ろしていた。
「来る……」アムネリアの澄んだ瞳が、大きく見開かれた。
……揺れる……
…………………
……揺れる……揺れる…………
……揺れる……揺れる……揺れる……揺れる揺れる揺れる!!!!
その日、未明。
大地の揺さぶりが、日本列島全域を襲った。
本章も応援、ありがとうございました!
本日で、インナーノーツ第三章完結です。
次章、第四章は、6〜7月公開予定です。変わらずの応援を頂けましたら嬉しいです。
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