底なる玉 1
「旦那様!!」彩女は、真世の身体を借り、再び、体勢を崩す神取を支える。
「……案ずるな……彩女……無事、念体は回収した……」
彩女は、ほっと胸を撫で下ろす。
「神子は?」
真世の首を振る彩女。この間に、神子が肉体へと戻ってきた気配は何も感じとれていない。
「そうか……あとは、異界船次第か」
眠りについているとはいえ、神子の魂が長時間離れていては、亜夢の肉体は徐々に衰弱してしまう事であろう。神取は、ベッドに付随する治療光照射装置を起動させる。
「彩女……其方もそろそろ、真世に意識を返せ」
「えっ……」「私の術の事はわからぬ程度に、記憶を擦り合わせながらな」
神取は、既に医師の顔つきを取り戻していた。
「……へぇ……」
真世の顔に少しだけ唇を尖らせ、ジトッとした上目遣いを残すと、彩女は無意識の世界へと己の意識をゆっくりと鎮めていく。
ようやく復調しつつあった波動収束フィールドが描き出す事象空間の像は、まるでその全てを裏返すかのような特異点が作り出す、引力を伴った時空間歪曲場に引き摺り込まれようとしている。
「くそっ!!フィールド、回復したんじゃなかったのかよ!!」
量子アンカーとスタビライザーを駆使して、<アマテラス>をその場に維持するティムが悪態をつく。
「アラン、特異点の解析はまだ!?」「この船の観測能力を超えている!全く掴めない」
波動収束フィールドの能力は、ほぼ回復していた。
先程までの、何者かが作り出した"呪術結界"による干渉は失われている。おそらく、特異点そのものが<アマテラス>の観測限界以上の高位の次元からのアクセスだと、アランは推測する。カミラは胸元に隠したものに手をやらずにはいられない。
「さっきの『呪術結界』と、『レギオン』となって集まっていた未浄化の魂があればこそ、辛うじて形ある存在として捉える事ができていたのだろう……だが、それが失われた今……」
「オレたちには、アレを捉えることすらできない……」アランの推察の結論を直人は端的に示す。
「何の皮肉だよ、それ!」度重なる回避行動に消耗しきっていたティムは、苛立ちを露わに吐き捨てた。
特異点の中央に位置する、まだ炎を噴き出し続ける巨木と、巨木が根を張る巨石が、底の方から時空間歪曲場に徐々に呑み込まれていく。
一方、この変動は、現象界側にも次第に波及し始めていた。
変動現象は、水織川研究所の結界内に留められてはいるが、研究所跡地上空に展開しているドローンは、施設内に潜入した僚機を消し去った、あの時に観測したのと同等か、それを上回らんとする勢いのPSI現象化反応を捉えていた。
「……カミラ!もういい。これ以上はいくらなんでも危険すぎる。今ならまだ、マーカーの座標を辿れば帰還できるはずだ!」
東がモニター越しに、時折、藤川が映るウィンドウに目配せしながら息巻く。藤川が東の判断に異議を唱えることはなかった。
「し……しかし、あれを抑えなければ、現象界は!?」蒼ざめたカミラが、声を張り上げた。
「……結界の耐久限界時間はあと10分ほどだが、完全に効果が失われるまでには、いくらか時間はある!その間に影響予測範囲から可能な限りの避難を……」「つまり……大した手立ては無いってことね」東が言い終えるのを待たずに、ティムは結論を返す。
<イワクラ>、IMCの面々は口を固く結び、俯いている。
「……現象界への影響がどの程度になるか、現時点ではわからない」思索を巡らせていた藤川が口を開く。
「だが、これまでの状況からすると、どうやら現象界側との"接点"がなければ、その『特異点』を作り出している何かが、こちらの次元に現象化することは容易ではないようだ」「そうか。時空間ギャップの制約だな?」アルベルトが割って入って藤川の仮説を補足する。
「うむ」藤川は、口早に説明を続ける。
「繰り返しになるが、『呪術結界』と慰霊祭の集団意識の集中……やはり、これが重なったことが、現象界との接点になったと私は見ている。それが失われたとなると、残る有効な接点はあと一つ」
藤川の見開かれた両眼が、モニターの向こうからインナーノーツらをじっと見据えている。
「まさか!?」「オレ達……?」カミラとティムの声が重なる。
藤川は大きく頷く。
「東君の判断が正しいという事だ!!あとはお前たちが帰還すれば、現象界との接点は希薄になり、其奴が『シフトダウン』する確率は低減する!そうなれば、しばらくは結界でも凌げるはず!」
「ともかく今は逃げろ!!」藤川は声を大にして叫んだ。
「は……はい!アラン!!リレーから時空間経路算出!まずは施設エントランスまで時空間転移!急げ!!」「ああ!!」
「田中、アイリーン、誘導ビーコンをスタンバイしておいてくれ。必ず帰還させるんだ!」「はい!」「了解!」通信モニター越しに東らが<アマテラス>帰還準備に取り掛かる様子が伺える。
「ティム、転移まで船を維持!」「了解!……てっ……結局オレ達……何しにきたんだ」
変異場の作り出す引力から、何度も流されそうになる舵に、ティムはフラストレーションごと握り潰すが如く力をこめる。
『レギオン』にただ翻弄された挙句、突然、ミッション時空間一帯に拡がった、発火現象のような異変が『呪術結界』を破ったおかげで、『レギオン』は現象化しきれず、何とか帰還の途についている。
大した働きもないままの撤収……『骨折り損のくたびれもうけ』とはまさにこの事。力を込め直す度にティムの左腕が、ピクピクと痙攣し、足を踏ん張るたびに腰が疼く。
「チッ、調子、狂いっぱなしじゃねーかよ!」
<アマテラス>の船体表面を時空間パラメーター調整を始めた、PSIバリアの偏向が、虹色に彩づき始める。
…………逃れ……られぬ……逃れ……ては……ならぬ……逃げ……たい…………逃が……さぬ…………
……逃げ……たい……逃げ……
「!!」直人が、何かに締め付けられるような呻き声を腹の底に感じ、顔を上げた瞬間、<アマテラス>の船体はぐぐっと前方へ引き寄せられ始めた。
「どうした、アラン!?急いで!!」「もう少しだ!!」
「早く頼む!!」引きが強くなっているのを、ティムは操縦桿にのしかかる抵抗で感じ取っていた。
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