煉獄 3
サニの手が微かに動く。それに気づくことなく、直人は何度も呼びかける。
「サ……!!」「……るっさい……も……う……」
「サニ!!」
微かに震えながら持ち上げられた瞼の下に、サニの青い瞳が覗く。
「……貸しっぱなしで……死ぬわけ……ないっしょ……センパイ」
サニの顔に温もりが戻ってくる。
「……サニ……よかった……」直人は安堵に溜息を漏らす。
ティムとアランもホッと胸を撫で下ろしていた。
「……で……でも……流石に……疲れたわ……隊長」
「ええ……レーダーは私が観る。しばらく休んでなさい」「ぷっ……隊長、優しいと……調子狂う……」
「バカ言ってないで。さっさと復帰して欲しいだけよ」言いながらカミラはシートを倒し、サニを横にすると、手早くベルトとホールドアームで彼女の身体を固定した。
「センパイ……3度目は……無いから……気をつけて」
「わかってる……」直人は静かに頷き、微笑んでみせた。
まだ事態が収束したわけではない。気持ちを立て直しながら、直人は自席に戻る。カミラも程なくキャプテンシートに戻った。
「……カミラ、二人共、大丈夫なんだな?」モニターに顔を押し込むばかりの東が、硬い表情のまま確認してくる。
「ええ、念のため二人のPSIパルスデータのチェック、そちらでもお願いします」「あ……ああ」
空席のままの真世の席を見やり、「わかった」とだけ曖昧な返事を返す。
直人の正面のモニターには、巨大なトーチと化した古木が、淵を覆う森とその上方に覆い被さるように揺らいで拡がる、因縁の『JPSIO水織川研究所』の『PSI精製水処理区画』上層部を赤々と照らし出していた。
……きっと……一緒に……待ってるよ……
巨木の先から立ち昇る白色の炎の中に、一瞬、亜夢の笑顔が見えたような気がした。
……亜夢……
「……なお……と……」亜夢の唇が吐息のような言葉を残し、彼女の呼吸は再び、深みへと落ちていく。
「……戻ったか……」神取は、ベッドの上で安らぎを取り戻していく亜夢の寝顔に安堵する。
亜夢の「火の気」に当てられ、心なしか、念体も身体も回復しているようだった。
「……っ!こちらは、そう……簡単には帰らせてはくれぬようだがな……ええぃ!!」念体はまだ、林武衆と交戦中だった。神取は、意識をそちらに再び集中する。
自身の肉体と念体どちらもコントロールするのは神取にとっても至難の技だ。念体の方は結界を張ったまま防戦に徹している。
「……くっ……」念体に反応した身体が崩れかける。だが、姿勢はそれ以上、崩れる事なく押し止められた。
「…………もう……離れて良いぞ……彩女」
「…………」
「……彩女!」「……妾がお支えいたしまする……旦那様」
借り物の身体である事も忘れ、彩女はひしと神取の胸元にしがみつく。神取は呆れて言葉が出ない。
その時、彩女は頭の中に不快な音声が、飛び込んで来たのを感知し、眉を顰める。
この時代の"伝心カラクリ"は、真世の中で日頃から体験しているが、いざ精神を乗っ取った状態では不快感も一入だった。
やや間をおいて、連動して真世の左手の指輪型端末も振動を始める。
「怪しまれる。出ろ……彩女」「……へ……へぇ」
渋々、神取から離れると、普段、宿主のする操作を真似て、通信ディスプレイを左手の上に開く。
「真世。どうだ、亜夢の様子は?」
ディスプレイに現れた東が捲し立ててくる。
「……亜夢ちゃんかぇ……いえ、え……っと、うなされとぅたようで……今、神取……せっ先生に……診てもろぅとりますぅ……」
「……神取先生?……ああ、新しい亜夢の担当の先生だったか。今、直人も戻った。そちらはもういい、キミも戻ってくれ」音声は脳内に響くのみ。神取には聞こえていないが、何処からの連絡か、察しがついているらしい。目配せで、さっさと戻るよう伝えてくる。
「……いえ……もう少し……先生のお手伝い……していきます」「真世!?」意外な返答に言葉を窮する東。神取も目を見開く。
「いいだろう、真世」その通信に割り込んだ藤川は、真世、いや彩女の具申を受け入れた。
「その子の魂は、ミッションに入り込んでしまっている。ミッションに関する情報は、神取君にはまだ明かせない。亜夢の様子に何かあったら、お前がすぐにこちらに伝えるんだ」「……へ、あっ、はい」「……すまんが、そう言う事で、良いかな?東くん?」「えっ?……は、はい……では、真世、引き続き頼む」
返事し終えると、彩女はそそくさと通信を切る。脳内を圧迫していたものを全て吐き出すように、宿主の身体を使って大きなため息を漏らした。
「彩女……其方……」「……ふふ……これでもう暫く、旦那様のお側に……」彩女は真世の顔に微笑を浮かべてみせる。
「……まったく……」呆れながらも、真世の顔で笑顔を作られては、それ以上、強く言う気にもなれない。
「……今しばらく、術は解けん……この部屋に誰も寄せ付けるな」「御意……」
神取は、今一度、深く呼吸を整え、念体へと意識を深く落としてゆく。
亜夢の気配は立ち去った。
しかし、巨木へと灯された、亜夢の「生命の火」は、絶える事なく空間を照らし続けている。
「生きる」意志そのものである熱が、林武衆らの霊体にも変容を促しているかのようだ。
林武衆らは、神取の手刀が放つ念波を、抵抗ままならないその身に刻み込む。すると、彼らの瞳に宿った青緑の輝きが、霊体から立ち昇ると何処かへ消えていった。
……くっ……か……神……取……
…………我ら……林武……まだ……三途の川を渡るわけには……
……神取宗家……在家にして、代々……風辰の懐刀……
……その現当主たる、うぬだけは……この場で!……
……何!?……若い容貌を残す亡霊の錫杖による攻撃をかわしつつ、手刀で霊気を叩き込む。
……がぁあ!!……若い亡霊の姿は、神取の一撃を受けた一点から、ぐにゃりぐにゃりと姿を崩す。
……臨!!……ダメージを受けた若い亡霊を庇うように、他三体の亡霊が神取の前に立ちはだかる。
……風辰だと……我が師が、一体何を!?……
……神取よ……其方の主……今世の風辰は……禍の種……
……神子なる者を用い……謀を画策せしこと明白……
……たとえ我ら生きて……奴に抗えぬとも……
…………ここで其方を討つならば……彼奴に一矢報いる事となろう……
三体の霊体は再び神取に挑んでくる。




