煉獄 1
茅原を吹き抜ける秋の夜風が、汗と埃にまみれた身体をそっと撫でてゆく。波打つ幾筋もの髪の毛は、浅黒い肌の額に貼り付き、肉厚な唇は千々に乱れる呼吸に打ち震えていた。
暗闇の森の中で、ススキの揺れるサラサラとした音色に一時の安らぎを覚えたのも束の間……
自然の織りなす歌声を妨げ、抑え付けながら分け入ってくる足音が近づいてくる。振り返れば、そこには火の玉が一つ、また一つと浮かび上がっていた。
……姫様!こちらへ!!……
ぐいと手を引かれるまま、更なる闇を求め、ただひたすらに傷だらけの足を前へ前へと進めた。
……ここにお隠れなされ!……
……敵は我らが!……
共の者達は、既に三人になっていた。
身の丈ほどあるススキ林の中に押し込まれる。
……ならぬ!其方らだけ征かせるなど……
屈強な男の腕にしがみつくも、男はその手を丁重に引き離す。
……我らとて、栄光ある"高志"の兵……みすみすイズモ共に討たれはせぬ!……
……姫……どうか落ち延びてくだされ……この先の沢を登れば……我らが高志の民が拓いたというアズミの郷……必ずや姫の力となってくれましょう……
……お達者で!……いざ!!……
鉄矛、鉄剣を手に、男達は振り返る事なく方々へ散ってゆく。
……いたぞ!!……こっちだ!……
澄み切った空気が、金属の打ち合う軽やかな律動を運んでくる。
やがて肉を切り裂く鈍い感触と、呻き声が響き渡り、また別の方からも同様の旋律が聞こえてきた。
耳を塞ぎ、身を屈めてススキの林の中へ身を委ねる他なかった。
ススキはただ風にそよぐがまま、清涼な歌声を奏でている。祖国は存亡の危機に瀕し、愛するムラは踏み躙られ、一族が滅びゆこうとも、自然は何も変わることはない。ただその時その時の営みを弛む事なく紡いでゆくのだろう……
胸元の青緑の大珠が微かな月の光に照り輝いていた。数千年の昔より代々、受け継がれてきた宝珠にそっと触れる。
自らの生命の火照りを感じ取っているのか、その珠は、仄かに人肌の温もりを感じさせた。
古の時代より、最上級の宝玉とされ、大陸より、鉄と富をもたらす役割を担ってきた青き石、翡翠も、今やその価値を失おうとしている。
……いたか!?……
……いえ、見つかりませぬ!……
足音が此方の方へと向かってくる。息を殺して、身を丸めた。
……茅が深いな…………貸せ……
……な、何を!?……
パチパチと乾いた空気の弾ける音が聞こえる。
苦く焦げた香りが辺りを包んでいく。
……まだこのあたりに潜んでいるはずだ!……火をかけよ!炙り出せ!!……
ススキの隙間から覗き見ると、敵兵らは次々と手にした松明でススキを焼き払っていた。
……黒姫殿!!早々に出て参られよ!さすればお命だけはお助けしましょうぞ……
火の廻りが早い。
空気は一変し、容赦ない煙が鼻と口を襲う。堪らず込み上げる咽びを押し殺し、時が過ぎるのをじっと待つ。
……穢れなき火を……このような事に……
…………何と愚かな…………
胸元の大珠を握りしめる。
……熱い……滾る血潮のようだ。
湧き上がる熱を抑え込むように、大珠を割んばかりに握りしめた。
————
空間変調を告げる警告アラームに<アマテラス>のブリッジは赤く染まっていた。
カミラは、椅子から崩れかかるサニを戻しながら、彼女の席の時空間観測盤に目を凝らす。
「これは……波動収束フィールド感応!?……アラン、分析を!」「ああ!」
サニの席から観測データを引き継ぐと、アランは早速、分析を開始する。
「……どういう訳か……収束領域時空間が反転し始めている。このままいけば、波動収束フィールドのコントロールを回復できるぞ」「えっ?」
「見ろ!!あれは!?」ティムの張り上げた声に、カミラとアランは顔をあげる。ティムが指差した前方モニターは何かの光点を映し出していた。
それは次第に膨らみ、一際大きな炎を吹き上げ空間に浮かび上がる。同じような光点がいくつも浮かび上がると、連鎖的に次々と炎が燃え盛り、暗黒の淵を照らし出す。
「護符だ!あの護符が燃えている!?」ビジュアル解析に取り掛かっていたアランが、すぐさま状況を報告した。
空間の炎に当てられているのか、波動収束フィールドの回復によるものなのか、淵の中央に『レギオン』の姿が炙り出されていた。
『レギオン』は苦悶に呻くと一度、上方へと蛇体を伸び切らせると、燃えあがる空間の熱気から逃れるように、あたりの残った水の気を吸い取りながら、頭から淵の中央へと身を隠す。
蛇体が隠れていくのとは対照的に、巨石と、そこに根を張る巨木が、朧げに再び浮かび上がってくる。炎はその巨木を飲み込もうとばかりに迫っていく。
「『レギオン』が……」「いったい、なにがおこっているの?」インナーノーツの一同は、突然の状況変化に戸惑い、見守るしかなかった。
……何という火力……
……『火盛侮水』だと!?……神の御水をも退けるとは……
林武衆の亡霊らは、想定外の事態に立ち怯む。
……神子の持つ水の気質……その中にあって、消え絶える事なく共にあった火の気質……まさかこれ程とは……
林武衆の金の呪を絶つことが狙いだった神取にしても、絶大過ぎる力に驚かざるを得ない。
……確かに亜夢は神子の魂から生まれた存在……もしや……亜夢自身もまた……
神子の方を見やる。キャットウォークの上で、神子は、海の青さと紅蓮の焔が混じり合い、白光を放つ玉と化している。
それはまるで、水平線の先に現れた、生まれたての太陽のようだ。
呪術結界が崩壊した"生贄の淵"が、神子の放つ陽光に照らし出されていく。
『大珠の果実』の上にしがみついたまま、サニの意識体は、身動き取れずにいた。活動限界を過ぎて尚、意識体を保つのはあまりに無謀……意識体はその場から消えかかっている。このまま戻らずにいれば、サニの精神もまた、インナースペースの何処かへ消えゆくのみ。
……セン……パイ……目を、覚まして……
…………もう……あたし……
サニは、気が遠くなりながらも、取り付いた果実が仄かに熱を帯びてくるのを感じ取っていた。何故か、生命の息吹を感じる熱気に今一度、サニは自らの精神に集中する。




