起死回生 3
眼下の黒く渦を巻く"生贄の淵"の像が二重、三重となって揺れ動く。……いや、これは"生贄の淵"の変動ではない。神取は、自身の念体の限界を感じ始めていた。
……さ……流石に……林武四人の霊力相手は……
林武衆の亡霊らは、<アマテラス>を弄ぶ彼らの神の戯れに興じている。彼らが手にする金剛杵は依然として眩い輝きを湛え、時折、彼らがそれに念を送れば、"生贄の淵"の水面が俄に生気を得、神取らを蝕み続ける"みずち"の戒めがもぞもぞと蠢く。
……金は、水を生かす……やはり、金剛杵さえ封じれば……
——木・火・土・金・水——
森羅万象は、この五気によって成り立つとする『五行思想』。
御所の霊能者らは、その基本の一つに『五行思想』を置く。中でも幹部の一角を成す林武衆は、五行に卓越していたと聞いている。
……この空間は、林武の思念、五行的な世界観が強く反映されている……だとすれば……彼らの術を崩すには……
この時空間は、極端に水の気に偏っている。
その偏りを、水の気に力を与える金気、すなわち林武衆が手にする"金剛杵"が増幅していることに神取は気づいていた。
五行で水の気を抑えるのは、土。だが、土の力はまた、『土生金』の相生の関係を生み、金気にも力を与えてしまう。となれば……
——火剋金——
……火……そう、火だ!……火の気を持って、あの金剛杵を制す……
だが、火は水の克制を受ける。所謂、『水剋火』の関係だ。この極端な水の気の中で、燃え盛れる火など、いったい何処にあろうというのか!?
神取は思考を巡らせる。
————
全身から燻る熱気と炎の如くゆらめくオーラを纏った野獣が襲いくる。神取は破邪の結界を展開し、その爪牙を受け止める。
……強大だが……荒々しい……こんなものか?神子の力とは?
亜夢は、燃え盛る焔を瞳に宿したまま、神取の結界に何度も挑みかかっていた。
————
……そうか!亜夢!!……
神取は、自らの閃きに顔を上げ、神子を見やる。隣で、神子は気を失ったかのように身動き一つしない。
おそらく神子の片割れであり、火のような気質を持つ亜夢の魂は、深層無意識のうちで眠りについている。
一瞬でもいい。その魂を覚醒させられれば!
……何か、何かないか?亜夢を覚醒させる手立ては!……
神取は、念体の周辺に意識を拡大していく。
"生贄の淵"……吊るされているキャットウォーク……変質した入口にあたる扉……
扉の向こうに、特異な感触を覚える。
……なんだ?これは……
その正体を探る余裕はない。林武衆の仕掛けたものである可能性もあったが、神取は意を決してその感触に、意識同調を試みた。
朧気に、前衛的な空間が見えてくる。
その空間の中でシートに横たわる青年には、見覚えがあった。
……これは、もしや異界船の!?……
瞬時に、また別の場所の情景へと移り変わる。神子の霊眼を通して見た、この建物のエントランスらしき場所。そこからまた、情景が切り替わる。
狭い所に人が多い。医院長の姿も見える。窓から見える風景から、船の船橋のようなところだと判別できる。
そしてもう一箇所……式神、彩女からの情報を回収した際に、垣間見えた場所だ。おそらくIN-PSIDの中枢部……
……しめた!これは、異界船の通信経路……
真世の姿が見える。
……真世!?……彩女!!……
「真世、直人のデータから、何か掴めないか?」
東は真世の席後方から身を乗り出すようにして、コンソールに映し出される、波形グラフ化されたデータに目を凝らす。
「……先程からPSIパルス反応微弱……東さん……風間くんは、もう……」真世は、片手で戦慄く口元を抑え込みながら答える。
「……微弱でも、反応ある限り望みはある!諦めるな!」語気を荒げながら東は叱咤する。
「ん……なんだ?」何かに気づいた東は、パネルをタップし、それを抽出すると、データベースにアクセスし、照合を開始した。
データベースはすぐに、照合結果を返す。
「こ……これは、『メルジーネ』!?亜夢か!?」東は声を張り上げた。
「えっ……どうして?」真世はキョトンとして東の顔を仰ぎ見た。
「"また"入り込んでいたのか!?カミラ!」
「は、はい!」
「"また"亜夢の『メルジーネ』が、その場に介入している!システム障害になる恐れがある。データを送るので、至急、PSI-Linkシステムをフィルタリングして……」「いや、待て!」
藤川が東の指示を遮り、割って入った。
「『メルジーネ』と言ったな。おそらく、『オモトワ』の時と同様、直人とのリンクに引き寄せられて入り込んだのだろう。ならば、直人の魂を救出する手掛かりになるやもしれん」
「風間くんとリンク……どういうこと、おじいちゃん!?」真世は、直人と亜夢の、魂の繋がりについて聞かされてはいなかった。
「まだ仮説に過ぎん。だが、直人と亜夢の魂レベルでの繋がりは、これまでのミッションを通して、十分可能性があると私は考えている」
「亜夢?」藤川と東のやり取りの中の、聞き覚えのある名に気づいた如月と齋藤は、彼らの会話に聞き耳を立てずにはいられない。
「もし、確かな繋がりがあるなら……」
「し、しかし……」東は、ミッションへの外的干渉がシステム障害となり得る危険性を藤川に訴えている。
事の経緯を知らない、IMSメンバーとIN-PSID支部代表団らは、怪訝そうに彼らのやり取りを見守っていた。
「繋がり……」真世は、呆然となって、東の抽出した波形を眺めるしかできない。
……ふん……この匂い……この匂いじゃ……なんとも鼻につく、小娘のこの匂い……大嫌いじゃ……
何かが心の裡で囁いたような気がする。
……やめ……あやめ…………彩女!……
不意にまた別の声が聞こえた気がする。
ハッとなり顔をあげる真世。聞き覚えのある声のようだ。
……何?……この声、まさか……神取先…せ…?……
そう思った瞬間、意識がまた遠のく。真世の意識を押し除け、彩女が真世の身体の中で表層意識を奪う。
……旦那様!……何故、ここに!?どうやって?……
神取からの伝心だと、彩女はすぐに気付き答えた。
……説明は……後だ……すぐに、亜夢の……神子の部屋へ……急……げ……
……だ、旦那様!……旦那様!!……
それ以上、彩女は神取の声を聞くことはなかった。
「……ええ、それは、その可能性はありますが」「東くん、今は……」一瞬、通信モニターの映像が乱れる。が、すぐに回復した。藤川が諭すように、東に語りかけている。
「……僅かな可能性でも試す他……真世?」モニター越しに、勢いよく立ち上がり、エレベーターの方へと駆け出す真世の姿を認めて、藤川は思わず声をかける。彼の隣で、貴美子も目を丸くする。
「真世!どこへ行く!?ミッション中だぞ」東が声を上げる。
「……亜夢……ちゃんでしょぉ……わら……私が見てまいりますわぁ〜」
どこかおかしな口調の真世に、東は制止するのも忘れ、その場に立ち尽くす。田中もその妙に艶めかしい声色に、思わず作業の手を止めてしまう。
「真世、頼む」モニター越しに藤川が声をかけた。
「任せてぇなぁ〜……"おじいちゃん"」
真世は、エレベーターに乗り込むと空かさずドアを閉め切った。
「ま、待て、真世!」金縛りから解き放たれた東が呼び止めた時には、既にエレベーターは下層階へと降り始めていた。
「東くん、今は信じてみようではないか、直人と亜夢の"繋がり"を」「……わかりました」
東は、藤川の映し出されたモニターに背を向けたまま、拳を握りしめていた。




