跡形 1
「ここが本船のオペレーションブリッジです。」齋藤に案内されたIN-PSID各支部代表団らは、憚ることなくブリッジへと足を進める。代表団は七人であるが、藤川夫妻とアイリーンの三名を加えた一団が収まるには、少々手狭なブリッジだ。オペレーターらは鬱陶しげな顔を見られまいと、モニターにかじりついている。
「ここにご案内したのは他でもない。20年、時を止めた街と、元凶となったJPSIO水織川研究センターの現状を共有させて頂こうと思いましてな」「おお、あの『ミオリケン』か」「20年間、PSI現象化反応に晒され続けた悲劇の場……不謹慎だが、科学的には非常に興味をそそる」IN-PSID代表団は皆、科学畑出身者達だ。知的誘惑は、時として倫理的な理性を超越する。藤川は苦笑せずにはいられない。
「この一週間、探査ドローンを天蓋結界(水織川の街を覆う電磁結界)内部に送り込み、データ集取と解析を行っています。水織研跡地の方へ送り込んだ探査ドローンがもうじき現地へ到着するところなので……」齋藤が、ブリッジに詰めている部下のオペレーターに目配せすると、彼は中央のモニターに解析図を表示させた。モニターには、4機のドローンのカメラ映像も併せて表示されている。
ブリッジに案内された一同の視線がモニターに集まる。遅れて如月と直人もブリッジに入ると、そのまま一団に加わった。
水織川の結界、及びJPSIO水織研跡地は、日本政府機関であるPSI規制庁の管轄にあるが、その管理は協力機関であるIN-PSIDにほぼ丸投げしている。従って、<イワクラ>の探査ドローンは、天蓋結界の点検ゲートから難なく侵入できていた。(なお、高出力電磁結界内のドローンとの通信は、結界基部にある無人コントロールセンターの中継システムを介する事で可能となっている)
「ここ一週間、観測してもらっていた水織川近海、市街地のPSI現象化の状況は?」「はい、そちらも解析が出てます」藤川の問いに齋藤は、準備していましたとばかり、手際よくモニターへ展開してゆく。
「電磁結界の外周3km範囲の状況ですが……土壌、水質、大気……いずれにも物質の異常変質はみられません。隣接座標インナースペースLV4以下のPSIパルス反応も現象化強度には至っていません。電磁結界による封じ込めによる効果と思われます」「うむ……」
「当然だ。あれは当時の結界建築の最高峰だよ。今の世界基準からしても遜色はないはず」アメリカ区代表のマークが得意気に声を上げる。「あの時は世話になった」藤川は和かに答えた。
この電磁結界の管理は、今でこそ日本のPSI規制庁に移管されているが、震災発生の翌年から一年がかりで国連PSI利用安全保障会議によって、藤川の呼びかけに応じた国際プロジェクトとして建設されたものだ。まだIN-PSIDが発足する以前、当時の保障会議構成員であった現IN-PSID各支部の代表らもこのプロジェクトに参画しており、感慨深いものがある。
「だが……どうやらこの国の政府は、近々、結界の稼働停止を検討しているようだ」藤川はため息をつくように吐き漏らす。先ほど、勇人からコッソリもたらされた情報だ。
「何ですって!?」「バカな!!この結界を失ったら、この地域の問題だけではなくなるぞ!」色めき立つ各支部代表団。各々思いのままに捲し立てる。藤川は口を固く閉ざしたまま、瞑目し、彼らの言葉を黙って受け入れていた。
「所長、ご覧ください。ここ一週間の結界内で観測されたPSI現象化と考えられる事象マップです。不審火、物質崩壊によると思われる建物の崩落……次元スコープの方にも、無数の反応点……」微かに唇を震わせながら、努めて冷静に状況を説明する齋藤。それに合わせるように事象マップにはたちまち、夥しい反応ドットが拡がっていく。
「コウゾウ、PSI現象化は、連鎖反応を起こしてあっという間に拡散するのよ。20年前はそれで世界規模の災害となった……」ハンナが嘆くように呟く。
「わかっている……」「じゃあ、なぜ!?」各支部の代表団らは、まるで藤川が責任者であるかの如く責め立てた。
「あの結界もだいぶ老朽化している……おまけに莫大な維持コストだ。結界内の浄化を行いながら段階的に稼働率を落とし、5年以内には完全停止。その後は街の再建……少なくとも政府はそういう意向のようだ」水織川の周辺200km圏内での大規模なPSI発電プラントは、現在でも稼働を許されていない。IN-PSIDの発電施設も含めた200km圏外の電力プラントから、旧世紀の異物のような送電線で結界稼働のための電力を絶え間なく送電している。無尽蔵に近い電力を発電することも、送電線、鉄塔などの設備の製造も、PSIテクノロジーによって、低コストで実現できているが、その維持管理となるとまた話は違ってくる。結界の建材に関しても定期的に交換が必要になり、その廃棄物の浄化処理にも多大なコストがかかっていた。
「ちっ……お前さんの国の政府は、"相変わらず"だな……」ブリッジの船窓からもはっきりとその姿を捉えることができる水織川の光のドームに視線をやりながら、マークは吐き捨てる。「……やむをえない話ではある。近いうちに街の浄化処理について、お上から正式な協力要請が我々に届くそうだ」重苦しい沈黙が<イワクラ>ブリッジを覆ってゆく。
「んっ……あ、あれ?」ドローンを操作担当していたオペレーターの声が沈黙を破った。
「どうした?」如月が問う。
「『水織研』結界ゲートのアクセスコードが……」




