遭遇
「蕭条、次で降りるぞ」
「……はい」
降りる予定の一個前のバス停で降りる。
わたしたちの他に降りる乗客はいない。 そもそも、わたしたち以外の乗客はここまで来る途中に全員降りていた。
「偶然にもキャッチすることのできた反応だ。 ここで逃すわけにはいかない。 反応のある方へ向かうぞ」
「……戦うんですか?」
「いや、今回は様子見だ。 せっかく家守桃子の住む家が近いのに、俺たち二人だけで苦労して戦う必要もないだろう。 反応の正体を確認し、その結果によってこれからのどう動くか判断する。 この辺りからなら、家守桃子の家はそう遠くないからな」
「荷物、どうしましょうか? これ持ったまま移動するのはちょっと……」
「そこらへんの茂みに隠しておけ。 後で取りに行けばいい」
言われた通り、キャリーバッグを人目につかない茂みに隠す。 スマホはもちろん、キャリーバッグに入れておく。 どうか盗まれませんように。
「……何か、嫌な感じがしませんか? 妙に不安というか……」
これは、わたしだけの感覚なのだろうか。 確かにわたしはさっきからあまり良い精神状態とは言えないけれど、これはそれとも少し違うような……。
「俺もだ。 何だろうな、この嫌な感じは。 出来れば遠ざかりたいものだが、残念ながら反応はこっちからしている。 近づくしかない」
どうやら鬼山さんもわたしと同様、正体不明の嫌な感覚に陥っていたようだ。
わたしだけじゃないという安心感と、鬼山さんも感じるほどの何かが確かにあるという不安が同時に湧き上がる。
逃げ出してしまいたい思いを必死に抑えながら、歩いて行くこと数分後。
「ここは……」
目の前には、大きな武道館。
時間帯はまだ深夜ではないのに、利用時間は過ぎているのか、人の気配はまるでない。 まさか、さっきの嫌な感覚のせいだろうか。
ここまで来る道の途中、野球場が見えていたことから、ここが運動をする施設だということはわかっていた。
しかし、野球場だけじゃなく、武道館まであるとは。
「ここは運動公園のようだな。 反応はこの辺りからだ」
運動公園。 たぶん、今までわたしは、運動公園と呼ばれる施設を利用したことがない。 記憶を失う前も、きっと。
「この場所に、巨大カマキリと噂されている魔物がいるんですかね?」
「……恐らくな。 魔物と、それを操るもう一人の魔術師がいる可能性が高い」
鬼山さんの顔つきが、険しくなる。
その様子を見て、わたしも気を張り詰める。
敵に恐怖を感じるのは当たり前だ。 大事なのは、自身の感情を正しく受け止め、誤魔化さないこと。 そうでなくては、冷静さを失う。
「反応はいくつあるんですか?」
「複数だ。 正確な数はわからん」
「正確な数がわからない……?」
「俺の探知魔術は、アバウトなんだ。 ぼんやりと、あの辺りに反応がある、とまではわかる。 より細かく見るには、近づいて、意識を狭い範囲に集中させないといけない」
「じゃあ、狭い範囲に意識を集中させればいいんじゃないですか……?」
「いや、敵が一箇所に集まっていなかった場合、それだと危険だ。 常に、広範囲の魔術反応を探知できるようにしておきたい。 離れた位置から魔術によって攻撃してくる可能性もあるからな」
右手に見える武道館を通り過ぎ、別れ道に辿り着く。
前方には、野球場の半分ほどの面積の広場。
右側にある細い道の先には、競技場が見える。
「競技場の方へ行くぞ。 反応はあっちだ」
恐る恐る、前へ進んでいく。 敵がいつ姿を現すのか、わからない。 既に、敵の攻撃範囲内に私たちはいるのかもしれない。 次々と、不安要素が思い浮かぶ。
「……蕭条」
名前を呼ばれる。 体がビクッと震えそうになるのを、何とか堪える。
「はい?」
「繰り返しになるが、今回はあくまで、様子を見るだけだ。 何せ、敵は宇治たち三人が戦って勝てなかった相手なのかもしれない。 戦闘をするのなら、戦力を整えてからの方が良いに決まってる。 だから、魔術を使うとしても、逃亡する為だけに使うんだ。 例え、どんな状況がこの先待っていようがな。 いいな?」
「……もちろん、わかっています」
わたしだって、死にたくはない。
命を懸けてまで誰かを救おうだとか、敵を倒そうだとか、思っていない。 何よりもまず、自分の命が大切だ。
冷たい考え方だが、誰かが目の前で犠牲になりそうだったとしても、この先のことを考えて、それを見捨てる冷酷さも必要だと思っている。
正義感だけが先行し、問題の根本的解決に繋がらない無謀な行動をするのは愚かだ。
でも、こんなことを考えながらも、わたしは本当にこの考えのまま、行動をすると断言できる自信がない。
心の何処かで、愚かでも良いじゃないかと思ってしまっている。
……わたしはやっぱり、馬鹿なのかもしれない。 世の中はわたしが思っている以上に複雑なのに、単純な答えを求めてしまっている。 単純な答えの方が、自分には合っているんだ。
困っている人がいたら、助ける。
地べたに落ちた雛鳥がいれば、拾う。
殺されそうになっている人がいたら? もちろん、全力で阻止する。 そんな、単純な答え。
わたしの中で、現実と理想がせめぎ合っている。
どちらも正しいし、どちらも間違っているかもしれない。 考えれば考えるほど、わからなくなるけれど、ハッキリとわかることもある。
目の前にいる、鬼山さんの背中を見る。
背中を見たって、何か楽しいわけじゃない。 ただ、この背中を追って街を歩き回る生活を、わたしは結構気に入っているみたいだ。
鬼山さんを死なせることだけは避けたい。
きっと、この人が死んでしまったら、わたしは今度こそ立ち直れなくなってしまうかもしれない。
鬼山さんの命を救う為だったら、もしかすると、わたしは……。
「……誰かいるぞ」
「えっ……?」
動きを止める。 ちょうどここは、競技場と武道館の間にある少し広い道だ。
その先に見えるのは……。 電灯の下に佇む、人影?
「……この木陰に隠れるぞ。 どうやら相手は、まだ俺たちに気づいていない」
鬼山さんの指示通り、木陰に身を隠す。
木陰の隙間から、人影を見る。
「……………………」
宇治さんの残したメッセージを思い出す。
外見的特徴。
長身で、黒の短髪の男。 そして、黒のトレンチコートを着ている。
あの人影はどうだろうか。 黒い衣服を着ているのは確かだが、トレンチコートではない。
そもそも、この季節にトレンチコートを着続けているのかも怪しい。 少し前までは多少涼しい日もあったが、今日の夜は蒸し暑い。
それに、宇治さんたちを殺した魔術師は、自らの外見的特徴が誰かに伝えられたことを知っている。 同じ姿のままでいる可能性の方が低い。
目を凝らす。
衣服が云々以前の問題として、あの人影は男性ではなく、女性なのでは?
そして、あの服装は……。 ゴスロリ服? あんまりゴチャゴチャしていない、シンプルなデザインのものだ。
なら、あれは……?
「鬼山さん、もしかしてあの人、ただの一般人なんじゃ……」
一般人と言うには、だいぶ変わった格好をしているが。 特殊人と言うわけにもいかない。
「……確かに、聞いていた情報とは異なる外見だ。 だが、力を与えられた魔術師である可能性は高い。 依然として、反応はこの辺りにあるからな」
鬼山さんの言う通り、敵の魔術師は、宇治さんたちを殺した魔術師以外にもいる可能性がある。 だから、あの人が魔術師ではないとは言い切れない。
「……どうしますか?」
鬼山さんの意見を待つ。 ここから去るのか、様子を見続けるか、あるいは……。
「……様子を見続けよう」
様子を見続ける。 確かに、それが一番無難かもしれない。
あのゴスロリ服の人物が怪しいのは確かだ。 魔術師と関係なくとも、見続けてみたい気はする。
「と言いたいところだったが、事情が変わった。 どうやら、客が来たようだな」
「えっ……?」
鬼山さんが、後ろを向いている。 一体、何を見ているのだろうか。 わたしも、ゆっくりと後ろを振り向く。
「……………………」
ここでわたしは、悲鳴を上げてもおかしくなかった。
けれど、そうしなかったのは、悲鳴を上げて驚くよりも、脳内で色々な考えが駆け巡ったからだ。
巨大カマキリの噂。 巨大カマキリと聞いていたからには、魔物の姿はカマキリがそのまま大きくなったような姿だろうと勝手に想像していた。
だけど、やはり噂は噂。
だって、ほら。
……目の前にいるのだ。 魔物が。 実際に。
「おっ、鬼山さん!! どどどどっ、どうします!?」
「……落ち着け」
落ち着ける訳がない。
「魔物は俺たちに攻撃をする気配がない。 薊海里の時と同じだ。 基本的に、指示がなければ勝手な真似をしないのだろう。 かといって、このまま俺たちをスルーし続けてくれる保証もない。 だから、変に刺激を与えず、仕留めるなら一発で仕留めるべきだ。 今はとにかく、あの人影よりも、この魔物の動きを追うぞ」
「は、はい……」
巨大カマキリと噂されていた魔物は、すぐ目の前にいる。
けれど、鬼山さんが言ったように、わたしたちに対して敵意は無さそうだ。 どうやら、魔術に反応する習性があるといっても、探知魔術には反応しないらしい。
「……………………」
息を殺し、魔物の動きを追う。 魔物は、のろのろとこの辺りを徘徊している。
こうして近くで見ていると、その姿がよくわかる。
全長はだいたいわたしの二倍ほどだろうか。 巨大カマキリと噂されるだけはあって、そのフォルムは一見カマキリのように見えなくもない。
しかし、これはカマキリというよりは、アリだ。 アリが、カマキリのように中肢と後肢の計四本で立ち、前脚の爪を槍の穂先のように発達させている。
そんな巨大アリが、銀色の甲冑を着込んでいるようにしか、わたしには見えない。
一言で言い表すのならば、この魔物は蟻の騎士だ。
ならば、この騎士たちを統べる存在は、王か。 はたまた、女王か。
「………………っ!?」
鬼山さんは、反応は複数あると言っていた。 だから、魔物が一体だけではないだろうとはわかっていたが、これは……。
「……これはマズいな」
新たに一体姿を現したかと思えば、また新たにもう一体が現れる。 そして、さっきまで同じルートを徘徊していた魔物も、進路を変える。 魔物たちが向かう先には……。
「あの先には、さっきの人が……!」
「……ちょうどいい。 これでハッキリわかる。 あの人物が白か黒か」
服装的には明らかに黒だ。 と思ったけど、それは言わなかった。
とにかく、鬼山さんの言う通り、これでハッキリとわかる。 危険もあるが、今までのケースから考えると、魔物と遭遇した一般人はただの目撃者になるくらいで、被害を受けたりはしないはず。
そう考えると、今まで人を殺したのは、あくまで魔物を操る魔術師の方だということになる。
魔物を使わず、自らの手で殺す。
薊海里も、もう一人の魔術師も、そこに拘っているということか。
「……まだ増えるみたいだな」
わたしたちが隠れている木陰とは別の方向からも、魔物が次々と現れる。 今、数えられるだけでも、十体はいる。
それらは全て、既にゴスロリ服の女のすぐ側に来ている。
当然、ゴスロリ服の女は魔物に気づいていないわけがない。 それなのに、驚く素振りを見せない。
……これはつまり、この女が魔物を操っているということか。
「鬼山さん、これは……」
「……決まりだな。 あの人物は、魔物を操る力を持っている」
あのゴスロリ服の女が、魔物を操る張本人。 そう考えて良いはずだ。 これで、魔物とまったく関係のない人物だと言うのは、無理がある。
「……どうしますか?」
鬼山さんの判断を待つ。
目の前に敵がいるとわかったところで、あの数の魔物だ。 二人で挑むには厳しすぎる。
だが、だからといってすぐにこの場を立ち去るのも、せっかく得た手がかりを無駄にしかねない。
もっと様子を見るという選択肢もある。 何より、こんな場所に一人で来て、何の用があるのだろう。 もし、この運動公園に魔物を隠しているのだとわかれば、結構な収穫になる。
「退散するぞ。 これ以上の深入りは危険だ。 何より、魔術の反応は、あの人物の元に集まってきている魔物の他にも……」
と言いかけて、すぐに身構える鬼山さん。
「あ……」
何故、鬼山さんが身構えたのか、理解する。 わたしたちのすぐ後ろに、また新たにやって来た魔物がいるのだ。
それだけなら、先程と変わらない。 けれど、今回はワケが違う。 その魔物は、明らかにわたしたちに対して敵意を向けている。
しかも、その姿は既にゴスロリ服の女のところへ集まっている魔物たちとは、少し異なる。
まず、体が全体的に太い。
全長も、他の個体より僅かに大きい。
何より注目すべきは、その身を包む頑丈そうな装甲だ。 この魔物は、防御に特化しているようだ。 女王を守る盾ということか。
「な、何で……!?」
「……こいつは見張り役か何かなのかもしれないな。 そうだとして、何故他の魔物には同じ命令をしていないのか疑問ではあるが、とにかくこの状況はマズい。 見張り役がただ、不審な人物を見つけそれを排除するだけならまだいい。 だが、もし不審な人物を見つけ次第、仲間にそれを伝えて呼び寄せることが可能なのだとしたら……」
こういう時の鬼山さんの予想は当たってしまうことが多い。
……なんて運が悪いんだろう。 よりによって、これから素直に退散しようという時に……!
『キィィィィィイイイイイイイイイイイイイイ!!』
金切り声が辺りに響く。 不快感をそのまま音にしたかのような、鳴き声だ。 思わず、吐きそうになる。
「蕭条! 逃げるぞ――」
防御特化の魔物の金切り声に反響するかのように、周囲の魔物たちも喚き出す。
真夏のセミたちや暴走族の撒き散らす騒音がマシに思えるほどに、騒々しい。 耳がおかしくなりそうだ。
しかも、その魔物たち全てが、わたしたちに対して攻撃の意思を見せている。 さっきまで、歯牙にもかけていなかったわたしたちに対してだ。
けれど、狼狽えている暇はない。 鬼山さんの指示通り逃走する為、逃げ道を確認する。
「こっちだ!」
鬼山さんが向かおうとしている道を見る。
確かにこの道を通れば、最短で運動公園から抜け出せる。 運動公園から出てしまえば流石に追ってこないだろう。
「あっ――」
しまった。 と思った時にはもう、遅かった。
魔物の発する騒音に掻き消され、すぐに聞き取れなかったのだろう。
――羽音。 その羽の大きさにはそぐわない、静かな羽音だ。
「くっ……!」
空より襲いかかるは、白銀の鎌を携えた、一体の魔物。
この魔物の姿を見て、やっとわかる。 噂にある巨大カマキリとは、こいつのことだ。
刃のような羽を持ち、防御特化の魔物とは対照的に細い身体。 飛翔能力を得る為か、他の個体よりも身軽そうだ。
何より注目すべきは、鎌状に変化したその前脚。 防御特化の魔物が女王を守る盾ならば、こいつは女王を守る剣といったところだろうか。
鬼山さんは、その魔物の攻撃を左肩に受ける。 深い傷ではなさそうだが、真っ赤な血で服が汚れる。
「――鬼山さん!」
「動きを止めるな!」
鬼山さんの言う通りだ。 敵はまだ、動いている。 わたしたちを狙っている。 鬼山さんが攻撃を受けたからといって、思考停止してはいけない。
それに、これは不幸中の幸いとも言えるだろう。
何故なら、鬼山さんがもっと大怪我をしていた可能性だってあったのだから。 敵の不意打ちによって巻き起こる最悪のケースを何とか回避できたという見方もできなくはない。
飛翔する攻撃特化の魔物の動きを注視する。
死角に入り込まれないように移動し、逃走経路を目指す。
いざという時には、こちらから攻撃魔術を使用して牽制することも視野に入れ、行動する。
「………………?」
わたしはそんな心構えでいるというのに、鬼山さんが何やら動きを止めている。 動きを止めるなと言った本人がこれでは困る。
しかしわたしも、すぐに鬼山さんが動きを止めている訳を知る。
わたしたちはもう、囲まれていたのだ。
何に?
……魔物に。 見事、逃走経路には魔物が立ち塞がっていた。
「鬼山さん、探知魔術を発動してたんじゃ……!?」
「ああ、してた」
「じゃあ何で……?」
「俺の探知魔術が捉えられるのは、せいぜい十五くらいなんだ」
つまり、魔物は十五体以上いるということ。 というか……。
「そういう大事なことは、もっと早く言ってください!!」
「す、すまん……」
思わず怒鳴る。 これは、本当に本当にマズい状況なのでは……?
「ん……?」
魔物たちの鳴き声が止む。 それどころか、まるで石像にでもなったかのように、動きも止まる。
「あ……」
ゴスロリ服の女が近づいてくる。
育ちが良いのだろうか。 上品な佇まいで、優雅に歩く様は、同性ながら見ているだけで惚れ惚れとする。
「ちょっとした実験のつもりだったのに、こうも上手く事が運ぶとは思わなかったわ」
ゴスロリ服の女が喋る。 凛々しく、透き通るような声だった。




