蕭条八重は引きこもる
「蕭条、起きているか?」
「……………………」
「食べ物、ドアノブにかけておくぞ」
「……………………」
意識を失い、倒れ込んだあの日から、早くも一週間が経過していた。
わたしはあれから、ホテルの一室にずっと引き篭もっている。 現在進行系だ。
夢は夢でしかなく、意識を取り戻したわたしの現実は、辛い現実のまま。 そんな現実から、逃げ出したくなってしまった。
鬼山さんに申し訳ないという気持ちはある。
だからこそ、余計辛い。
それでも、このまま頑張り続けるなんて、出来ないと思った。
鬼山さんのスマートフォンに残された、留守電メッセージ。
その内容。
まだ見ぬ敵の魔術師。 全てが怖い。
一度、嫌なことを考えると、次から次へと嫌な感情が湧き上がってしまう。
……戦いたくない。 本気でわたしたちを殺そうとしてきた、魔物。
そんな魔物を操っていた薊海里。
薊海里の抱いていた、底知れぬ復讐心。
わたしが受け止めるには、どれも重すぎた。 覚悟はしていたのに。 肉体だけじゃなく精神も、許容できない圧力を受けると、壊れてしまうのだとわかった。
現に今、わたしは相当、精神的に参っている。 今なら自殺志願者の気持ちもわかる気がする。
「……………………」
カーテンは閉めっきり。 僅かな隙間から差す光だけが、この部屋を照らしている。
そんな薄暗い部屋の中にある、鏡の前へと移動する。
「……酷い顔」
久しぶりに見る自分の顔は、とても人前に出れるような顔じゃなかった。
しかも、髪の毛はボサボサに乱れ、アホ毛がぴょこぴょこと存在感をアピールしている。
このままじゃダメだ。 そんなことはわかっているのに。 どんよりとした憂鬱な気持ちが、わたしに纏わりついて離れない。
……わたしには三年前までの記憶がない。
当然、そのことについてわたしが何とも思わないわけがなく、わたしなりに色々と考えてみたことがある。
例えば……。
きっと、わたしは過去に、嫌なことがたくさんあったのかもしれないと。
嫌なことを思い出さないよう、無意識に脳が記憶をどこか奥深いところに閉じ込めているのかもしれない。
もし、三年前までの記憶がない理由がそれだったのなら、今回のことも、そうしてくれればいいのに。
いっそ、この世の人間全てが、嫌な出来事をすぐに忘れられるようになれば、みんな元気に生きていけるのだと思う。
「…………うぅ」
全身が怠い。 頭痛がする。 どこか熱っぽい気も。
病は気から。 まさにその通りだ。 ここ数日間、ずっとこんな調子なのだから。
「お腹、痛いな……」
三年前に施設で目覚めた時からわたしは何かと病弱だった。
虚弱体質とまではいかないまでも、すぐに体調を崩して寝込み、鬼山さんに余計な心配をかけてばかりいたのを思い出す。
記憶がなくなっているとはいえ、この体質はきっと、昔からなのだろう。 三年前から急にとは考えがたい。
ここ最近、魔術師として本格的に活動するようになってからは、結構しっかりやれてると思っていたのに。
ここで、今まで無理してきた分がまとめてやってきたのかな。
とりあえず、今日も一日中寝ていよう。 何をする気力も起きないから仕方ない。
「さてと……」
ぐぅ。 ぐるるるるる……。
「……あ」
まるで、わたしに寝るなと言いたいのか、絶妙なタイミングでお腹が鳴る。 こんな時でもしっかり食欲はあるのだから、わたしの胃は凄いなと思う。
わたしは、食欲は旺盛で、結構な量を食べるのに、燃費が悪い。 たくさん食べてもすぐにエネルギー切れだ。
たいしてエネルギーを消費していないのに、減るものは減る。 せっかく鬼山さんが食事を用意してくれたのだから、遠慮なくいただくことにしよう。
「……よし」
外に人がいないことを確認し、ドアを開ける。
ドアノブにかかっているコンビニ袋を取る。
素早くドアを閉める。
コンビニ袋の中には、たくさんの菓子パンが入っていた。 栄養バランスなんてまるで考えられていない。 ある意味、鬼山さんらしいチョイスだ。
わたしが引き篭もってから、ずっとこのチョイス。
「……………………」
わたしが逆の立場だったら、もっと気遣ったチョイスをするのにな。
栄養面はもちろん、食べやすさとか、消化に良いかとか。 テキトーに菓子パンを選ぶだなんてことは、しない。
「…………んぐ」
でも……。 どうしてだろう、今はこんな優しさでさえ、嬉しい。 わからない。 何で、わたしは……。
「あれ……?」
瞳から涙が零れ落ちる。 ぼろぼろと零れ落ちて、止まらない。 菓子パンを食べながら、わたしは泣いている。
「……うぐ」
抑えきれない。 嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない感情が、溢れ出す。 それを塞き止めるように、わたしは菓子パンを頬張り続ける。
「うぅ…………!」
咽び泣く。 酷い顔が、涙でびちょびちょになり、もっと酷いことに。
「……………………」
すっかり泣き疲れたのか、わたしはいつの間にかベッドの上で寝ていた。
「…………んん」
腫れぼったい目元を擦り、身を起こす。 どれだけの時間、寝ていたのだろう。
「蕭条、起きているか?」
ドア越しに鬼山さんの声がする。 ちょうど起きたところに来るだなんて。
「別に、部屋から出てこなくてもいい。 喋らなくてもいい。 ただ、起きていたら、ドアを叩くなりして教えて欲しい」
どうしよう。 このまま無視をすることもできる。 だけど、そんなことをしたら、余計……。
「……………………」
ドアを叩くことにする。
コンコンと音が鳴る。
「……起きているのか。 黙って聞いてくれればいい。 これからのことについてだ」
これからのこと。 考えたくないことだ。
もしかすると、わたしは施設へ戻ることになるのかもしれない。
仮にそうなったとして、まともに活動できなくなったわたしを優しく世話し続けるということもないだろう。 使えなくなった魔術師は、きっと用済みだ。
わたしはこれから、どうなってしまうのだろう。
このままこの部屋に引きこもり続けたい。 嫌な現実から目を逸らして、ただ時間が過ぎていくのを感じていたい。
「これからのことだが……」
耳を塞ぎたくなる。 これからのことなんて、聞きたくない。 わたしはもう――。
「蕭条。 お前はしばらく、ここでゆっくりしてもいい」
……え?
「宿代は、まあ、どうにかする。 食事もコンビニに売っているような食べ物だけじゃなく、希望があれば、どこかへ買いに行ってやる。 俺はお前を、部屋から無理やり出そうとは思わん」
信じられない。 こんなことを言われるとは、思ってもいなかった。
「家守桃子の元へ行く話も、別に俺たちじゃないといけないわけじゃないからな。 他の魔術師に頼めばいい。 その辺りの連絡は俺に任せておけ」
鬼山さんは、何でこんなにも優しくしてくれるのだろう。 甘やかしすぎじゃないかとさえ思う。
「部屋に篭りっきりなのはいいが、たまにカーテンを開けて陽の光くらいは浴びとけよ。 じゃあ、俺は寝る。 何か要望があれば、携帯にでも連絡してくれ」
ミシッ、と床の軋む音が聞こえる。 このままだと、鬼山さんが部屋へ戻ってしまう。
「……待ってください」
思わず、引き止める。
「……どうした、蕭条」
そういえば、ずっと人と会話していなかった。 だから、うまく喋れないかもしれない。 それでも、伝えたい言葉は、どんどん頭に浮かんでくる。
「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか? わたしがこうしていることで一番迷惑なのは、鬼山さんのはずなのに……」
「そうでもないぞ。 俺もゆっくり休めてちょうどいい。 それに、お前の今の現状を非難する奴なんていないだろう。 死にそうになるまで戦い、敵の恐ろしさを知っただけじゃなく、仲間の死まで知らされたんだ。 無理はない。 お前は充分すぎるほどよくやった。 少なくとも、俺はそのことを知っている」
ここ数日間、わたしは過酷な運命に見舞われていた。 客観的に見ても、それは確かだと言えるのかもしれない。
けれど、それなら――。
「じゃあ……! 鬼山さんは、どうなんですか?」
「どう、とは?」
「辛く、ないんですか……? わたしがこうなって、無理はないって……。 それなら、鬼山さんは……!」
「俺も辛いに決まっているだろう」
「それでも、鬼山さんはわたしのようにはなっていないじゃないですか……。 わたしは、鬼山さんと比べて、あまりにも……」
「……言うな。 そう、自分を責めるんじゃない」
「でも……! 何で、鬼山さんはそんなに強くいられるんですか……!?」
「……………………」
鬼山さんからの返事はない。
「いつも冷静で、どこか余裕があって……。 鬼山さんは本当に凄いですよ。 その強さを、ほんの少しでもわたしに分けてください……!」
「……それは無理だな」
「じゃあ……!」
「何せ、俺の強さも人から分けてもらったようなものだからな」
「えっ……?」
戸惑う。 誰から? どういう意味だろうか。
「そんなことよりだな、今更だが、お前に答え合わせをしてやる。 答えがわからないままだとモヤモヤするだろう?」
「答え合わせ……? 何のことですか?」
「魔術の正体についてだ」




