闇夜の襲撃者
五木と別れた後、俺は五木の家からすぐ近くの中古本販売店へ立ち読みをしに行った。 何となく、すぐに家へ帰る気にならなかったからだ。
きっと俺は、まだ文化祭の余韻に浸りたかったのかもしれない。 家へ帰ると、今日のイベントが全て終わったという事実を実感してしまうに違いない。
しばらく時間を潰し、空がすっかり暗くなった頃。
これ以上遅く帰るのも桃子に悪いと思い、俺は中古本販売店を後にし、家へ帰ることにした。
五木の家から自宅までの道を歩くのは、これで何度目だろうか。
そういえば、初めて五木の家に行った時に、五木が俺に料理を教えてくれると話していたが、あの約束通り、俺はあれから何度か休日に五木の家に行って料理を教わっていたりする。
何度かと言っても、たったの三回だったりするわけだが。
その時の別れ際も、今日の別れ際も、いつだって五木はどこか寂しそうな笑顔を見せていた。
寂しいのか、嬉しいのか。
どっちかはっきりすればいいのにと思う。
五木のそういうところは、本当に……。
「……ん?」
歩みを止める。
この道を、俺は何度も通っている。
「……………………」
だが、この感じは……?
この違和感は、一体?
……いつもとは違う、何か。
どこか不気味な、何かに囚われているような錯覚に陥る。
未だにこの正体に気づけないとは。 俺の感覚も随分鈍くなっているようだ。
「……魔術か?」
この違和感が、魔術であることだけはわかる。
しかし、何故ここに……? よりによって、俺が通るこの道に。
「……まさかな」
頭を過る、一つの可能性。 ここ数ヶ月で得た、あらゆる情報から導き出される結論は――。
「――ッ!!」
即座に振り向く。
破壊能力を有した物体の接近を確認。
いくら俺でも、直撃して平気なわけではない。
だから、この手で弾くことにする。
タイミングを掴むのは簡単だ。 この攻撃は、一定の速度でこちらへ向かって来ているだけなのだから。
「くっ……!」
裏拳をぶちかますように腕を振り、攻撃を弾き飛ばすことに成功するが、その威力に腕が痺れる。
攻撃の正体は、闇属性魔術か。 暗黒球と呼ぶのが相応しい、黒い影の塊のような物体。
大きさはちょうど人の頭程度で、速度は測ったわけじゃないから正確にはわからないが、テレビで見た野球の試合における、プロの投手の放った豪速球並みだ。
つまりは高い威力を持つ攻撃を、俺は受けた。
この攻撃を放った張本人は、少し離れたところにいる。
少し離れたところから、俺に向けて正確に攻撃を繰り出している。
今の攻撃の軌道から敵の位置は推測できるはずだ。
「よし――」
魔眼を発動する。
魔眼を発動することで、単純に眼の機能が向上するのはもちろん、普通の眼では見ることの不可能な魔術のオーラのようなものも捉えることが出来る。
要は、探知魔術の機能も有しているというわけだ。
これを使うのも久しぶりだ。 出来れば、これを使うような機会が訪れることはあって欲しくなかったが、だいぶ前からこんなことになるんじゃないかと思ってはいた。
いつもより更に赤く輝く瞳。 目を凝らす。
そこで、ようやく気づく。 どこから攻撃がやってくるとか、それ以前の問題として、最初に気づいた違和感の正体に。
「設置型魔術か……!?」
気づいた時にはもう遅い。 俺の足が、動かない。
一瞬にして、足元の黒い影が大きく広がり始める。 俺の足は、その影に引きずり込まれようとしていた。
この設置型魔術が偶然ここにあったとは思えない。 要は、俺は狙われていたということだ。
これは、俺の動きを封じる為の罠。
明確な意図があって仕掛けられたもの。
「………………!」
底なし沼に落ちてしまったかのように、ゆっくりと足が沈んでいく。
このまま、黒い影に飲み込まれてしまえば、俺は死ぬだろう。 動きを封じられるどころか、この魔術自体に殺されかねないというわけだ。
そしてもちろん、この間にも敵は次の攻撃の準備を完了しており……。
「二発目が……」
赤い眼を輝かせ、遠くを見据える。 先程と同じ方向から放たれる、暗黒球の存在を確認。
「来る――!」
速い。
だがしかし、先程より速くなったというわけではない。 魔眼により強化された俺の動体視力ならば、充分追える。
「――――っ!?」
と思っていた自分が恥ずかしいと思える事態が起こる。 俺に向かって放たれた二発目の攻撃は、一定の速度ではなく、一発目とは異なる軌道を描き、俺の腹部に直撃した。
要は、変化球だったというわけだ。
「ぐっ――」
俺は、常に防御魔術を展開している。
そのおかげで、だいぶダメージを軽減することは出来たが、それでも腹部に受けた衝撃は大きく、激しい痛みに襲われる。 久しぶりの苦痛だ。
「……………………」
痛み。 苦しみ。 表情が歪む。
あんまり味わいたくない感覚だが、やはり苦痛あってこその生だ。
快楽も苦痛も、両方あるからこそ、良い。
敵は、攻撃を受けて怯んだ今がチャンスだと睨んだのか、大きな力を放とうとしている。
……少し、楽しみだ。 俺を本気で殺す気なのか? あんまりそうとは思えない。 生き死にを懸けた戦いというのは、この程度なのか?
「……さてと」
動きが封じられるのは不快だ。 まずは、足元の影をどうにかしなければ。
俺の闇属性に対する耐性もあって、足元の影はまだ俺の脚を全て飲みこんではいない。
ちょうど、ふくらはぎまで沈んだ程度だ。 ならば、ゴリ押しでどうにかなる。
脚を引っ張るわけじゃない。 元を断ってしまえばいい。
右手に力を集中させる。
少し離れた場所からの、大きな力の気配に意識を傾けつつ、集中を続ける。
そして――。 掌に込められた、赤い輝き。 それを、足元の影に向かって、解き放つ――!!
遠くから微かに聞こえた、驚嘆の声。
まあ、当然か。 こんな方法でこの魔術を攻略するとは思ってもいなかったのだろう。
相手が俺じゃなかったら、相当凶悪で対処不能な魔術だぞ、これは。
俺がやったことは、ただ大出力のエネルギーを影に向かって放っただけ。
それが、足元の黒い影の許容できない質量だったというわけだ。
黒い影は、より大きく広がるようにして消えていき、沈んでいた足は無事解放された。
もし、俺がもっと深くまで沈んでいたら。
俺は自分の攻撃による余波をたくさん受け、負傷していただろう。
下手すると、消し去った黒い影ごと足が消滅していた可能性も充分あった。
他にも色々な危険性はあったが、俺が悩んで動きを止めている間にも、大きな攻撃が来ようとしている。
ならば、少しのリスクくらい背負ってやらないと、どちらにせよ危険は免れない。
「――さあ、来い」
俺の動きを封じる影は消え失せた。
それでも敵が攻撃を止める気配はない。 依然として、力は膨らんでいる。
走る。 敵の位置はだいたいわかる。 そこへ向かって、駆けて行く。
さあ、どうする?
真正面から勢いよく向かってくる俺に対し、どう対処する?
素直にその力を解き放つか?
それとも、まだ何か、他の策があるのか?
まさか、あの設置型魔術しか仕掛けていないわけじゃないだろう。 俺を失望させるようなことはしないはずだ。 そうだろう?
「……桃子!」
「……っ……!」
少し離れた場所にある、街灯の上に桃子はいた。 高いところからなら、俺の位置もちゃんと見えるというわけか。
桃子は今にも、巨大な暗黒球を解き放とうとしている。
流石、家守桃子だと言うべきか。 人間がどう頑張ったところで、上級魔術より上の領域へ達することはできない。 その身が人の身である限り、絶対にだ。
そして、今桃子が放とうとしている一撃も、当然上級魔術ではあるが、これは限りなく超級魔術に近い威力を持っているだろう。
それならば、俺がどうやってこの一撃に立ち向かうかは、決まりきっている。 強大な力には、更なる力で迎撃するのみだ。
「……強化」
身体の周りに青い稲妻が走る。
それはやがて、激しく迸る炎のように全身を覆うオーラとなり、俺の肉体を強化させる。
防御に特化した、肉体強化魔術。
これから放つ攻撃魔術の反動から自らの肉体を守る為の予防策。
構える。
先程、桃子の設置型魔術を破壊した時よりも更に大出力の攻撃を放つため、力を溜める。 溜めるのに、時間はそこまで必要ではない。 何より、桃子が俺に時間を与えてくれるわけがない。
ついに、特大の暗黒球が桃子から放たれる。 速度を失った代わりに、凄まじい威力で辺り一帯を破壊し尽くすであろう一撃。
目前に迫りくるそれを、俺は自らの眼で凝視する。
これが、正真正銘、家守桃子の本気。
しかし、本気であっても、これではいけない。 俺にとっては嬉しいことだが、これは、まるで……。
「……行くぞ、桃子!!」
発動するは、上級魔術の攻撃だ。 何かトリッキーな効果があるわけではなく、ただ力を放出するだけのもの。
人の身では届き得ぬ領域である超級魔術を使っても良かったが、わざわざ超級魔術を使わずとも、桃子の攻撃をどうにかできる。 それに、桃子にはちゃんとわからせておく必要がある。
これが、俺と桃子の差だと。
『わたしたち、普通じゃないから』
六月上旬頃、桃子の言った言葉を思い出す。 確かに俺と桃子は普通じゃない。
しかし、桃子は俺なんかよりはだいぶ普通だ。 何故なら、桃子は魔術師ではあっても、あくまで人間なのだから。
俺は、人間と同じ肉体と精神を持ちながら、桃子と同じ人間だと名乗ることの出来る存在ではない。 普通云々以前の問題だ。
だからこそ、俺は……。
「啓人――!」
桃子の放った暗黒球は、手を伸ばせば届く位置にまで近づいて来ていた。
だが俺は、既に迎撃の準備を終えている。
何も、恐れる必要はない。 桃子の攻撃が俺に当たる前に、力を解放すれば良い。
次の瞬間――。
力と力がぶつかり合うことによって、辺りに強い衝撃波が駆け抜ける。
俺の放った一撃は、桃子の一撃を押し返すように力の放出を続ける。
赤く輝く光の波動。 しかしこれは、火属性魔術でも、光属性魔術でもない。 無属性の攻撃魔術だ。
「そんな――!?」
俺の攻撃はついに暗黒球を貫き、遥か空高くへと進んで行く。 まるで、流れ星が落ちる映像を逆再生しているかのようだ。 それを見送って、俺は肉体強化を解除した。
「……どういうつもりだ、桃子」
衝撃波を受け、街灯はへし折れていた。
当然、桃子もダメージを負っているが、無事着地し、冷静な表情のまま、俺の目の前に立っている。
「わたしは啓人を、殺す必要があるの」
「俺を殺す必要だって? その必要があったとして、俺は殺されてなんかやらないぞ。 俺は必死に抵抗する。 そうしたら、桃子は死ぬぞ」
「死んだら、わたしが弱かっただけにすぎないよ。 それだけのこと。 殺すか、殺されるか、啓人との戦い」
「……そんな戦い、しなくてもいいだろ。 勝敗はわかりきってる。 命は大事にしてくれ」
「大丈夫。 勝つ自信があるから」
毎度、何を根拠にそんな自信が……。
「そもそも、桃子は本当に俺を殺す気があるのか?」
「……どういう、意味?」
「そのまんまの意味だ。 桃子は確かに強い。 俺が抵抗しなかったら、あの黒い影に動きを止められたまま死んでいたかもしれない。 だが、俺は今生きている。 抵抗したからだ。 それじゃあ、何で抵抗したかだ。 俺はこう見えても、生に対する執着は強い方なんだ。 まだ生きて、やりたいことがたくさんある」
「……結局、何が言いたいの?」
「つまりだ。 生きたいと強く思っている俺を殺したいのなら、足りないんだよ、桃子は。 絶対に殺してやるって、強い思いが」
「……そんな、ことは……」
桃子が狼狽える。 桃子なら、自覚しているはずだ。
「桃子はどこか、俺に対して躊躇しているんだ。 正直言うと、俺はそのことが嬉しい。 最も、桃子が強い殺意を抱いたところで、結果は変わらないと思うけどな」
「………………」
言い返す言葉が思い浮かばないのか、黙り込んで俺を見る桃子。
「それにしても、らしくないな。 何かと中途半端だし、桃子が近い内に何かをするんじゃないかってこと自体、簡単に察することが出来たぞ?」
「……そんなにわかりやすかった?」
「ああ。 それはとても。 桃子自身が思っている以上に、桃子は余裕を失っていたわけだ。 そして、今回こんな暴挙に出た」
「だって、わたしにはもう、これしか考えられなかったから……」
だいたい、桃子がこんなことをした理由はわかる。
「……俺が一連の騒動の元凶だと、たいした理由もなく決めつけたわけか。 まあ、俺を疑いたくなるのも無理はないけど、それにしてもメチャクチャだ。 そもそも、俺を殺すんだったら、寝込みを襲うなり、食べ物に毒を混ぜるなり、方法は色々あったわけだし」
「惚けないで。 寝込みを襲うなんて方法、取れないようにしている癖に」
「……バレていたか」
俺はこう見えても、警戒心は人一倍強い。 きっと、これまでの境遇が関係しているのだろう。
「啓人の部屋には、啓人が部屋にいる時だけ発動する防衛トラップのような魔術が、仕掛けられている。 寝ているところを襲おうとすれば、わたしは反撃を受けていた」
「そこまでわかっていたのか。 いつそのことに気づいた?」
「覚えている? わたしが啓人の部屋のベッドの上に立って、部屋全体の様子を見ていたの」
「……ああ、あの奇行にはそんな意味があったわけか」
「後、食べ物に毒を混ぜるなんてことしても、啓人にすぐバレちゃう。 啓人、嗅覚鋭いから」
「まあ、気づくだろうな」
「このことに関して言えば、そもそもわたしが食べ物を粗末にするような方法を取らないから、啓人の嗅覚が鋭くなくてもやらなかったけど」
「それはありがたいな。 桃子の作った料理を食べられないのは、困る」
「……こんな時にそういうことを言うのは、ズルい」
ズルくて結構。
「それで、どうするんだ? この展開が桃子の脳内シミュレーション通りなのかわからないけど、続けるのか? まだ俺が、薊海里たちに力を与えた人物だと疑っているのか?」
「……疑いたくないけど、魔術会の知り得る中で、啓人以上に可能性の高い人物はいない。 それに、仮に違かったとしても、間違いなく啓人は危険。 啓人がその気になったら、今以上に騒動が大きくなる」
桃子の言うことは間違っていない。
俺はある条件を持ち出し、魔術会会長である家守恭介と協力関係になったわけだが、それは俺の圧倒的な戦闘能力あっての契約だ。
もし俺が弱かったら、そんな交渉できていなかっただろう。
おそらく、今頃俺は、家守恭介の実験動物として酷い目に合っていた。
それ故に、現状思い通りに制御できない俺のことを、家守恭介はよく思っていない。
魔術会にとって俺の利用価値が非常に高いことは間違いなしだが、言う事を聞かないのなら話は別だ。
魔術の関わる、不可解な殺人事件。 目撃され続ける、魔物たち。
余裕のなくなった魔術会会長が、俺をどう扱うか。 わからないわけがなかった。
「だから、これからの為にも、今のうちに危険な俺を排除しておく。 そういうことか」
「うん」
桃子の考えは、正しい。 反逆の可能性を持つ芽があるのなら、その芽は早めに摘んでおくべきだ。 それくらい、用心深くなければ。
だが、今回桃子が取った行動は、あまりにも軽率で愚かだ。
今まで積み上げたものを全て崩してしまうような、苦し紛れの一手。 もっとやり方があっただろうに。
こうなってしまったのも、家守桃子の置かれた立場に原因があるだろう。
俺自身が言うのも変だが、俺はだいぶ桃子に信用されている方だ。 本来はもっとしっかり監視するべきところを、結構自由にやらせてもらっているわけだし。 同じ屋根の下でのんびり過ごすなんてこと、互いにある程度の信頼関係がなくては、苦痛でしかない。
そんな最中、東日本連続猟奇殺人事件を始めとする、魔術絡みの事件が起きた。
蓋を開けてみれば、魔物やら、力を与えられた人間やら、そこらの魔術師には到底不可能な事態が巻き起こっていたわけだ。
正体不明の元凶。 手がかりは未だ無し。
けれど、家守家の人間である桃子は知っている。 俺になら、それが可能なのではないかということを。
きっと、これ以上事態が悪化するのを避ける為にも、桃子はどうにかしなければいけなかったのだろう。 そう考えた挙句の果てがこれか。
今回、俺にもまったく非がないわけではない。
俺は平穏な日常を送りたかったが為に、現実逃避をしていた。
知らないふりをしていた。
多少、桃子に情報提供をしたけれど、あえて教えずに隠していることもまだたくさんあった。
思わせぶりな言動もしていた。
俺の怠惰な感情や、優柔不断なところが、結果として家守桃子に大きな疑惑を抱かせてしまったのだ。




