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善意と見返り

 

 昼食を終え、しばらく休憩した後、廊下へ出る。 

 教室の外はやはり蒸し暑く、すれ違う人の中には汗拭き用のタオルを持ち歩いている人も多い。

 

「暑い、ですね……」

 

 さっきまで涼しい場所にいたのもあって、この温度の変化はきつい。 心なしか、五木のツインテールも元気を失っているように見える。 

 

「……さっさと目的地へ向かうか」

「そうですね……」

 

 と言って、歩み始める五木。


……話題がないわけではなかった。 けれど、互いに無言のまま、目的地へと向かっていた。

 

 それがいけなかったのか、俺はつい、考え事をしてしまう。 一度考え出してしまえば、自分で止めることなどできない。

 

「……………………」

 

 たくさんの、人がいる。 中には、俺の赤い瞳を物珍しそうに見てコソコソと話している連中もいる。 騒がしく、目障りだ。


 すれ違う一人ひとりには、目がある。 何かを見て、それについて思い考えることができる。

 

 見ること、見られることで湧き上がる感情。 自身の視線が相手にどのような感情を与えるのか。 他者の視線を向けられ、自分はどのような感情を抱くのか。

 

 想像するだけ無駄だとわかってはいても、考えずにはいられない。 いっそ、誰にも見られたくない。 誰も、見たくない。 何もかも忘れ去って、思い煩うことのない存在になりたい。

 

 そもそも俺は、どうしてここにいるのだろうか。 まだ半日しか経過していないが、そろそろ耐えられそうにない。

 

 普段の学校生活ならば、一日何事もなく過ごせる状態にはなっていた。 自分でも、驚くべき成長っぷりだ。 

 もちろん、いざとなったら桃子が何とかしてくれるだろうという安心感に助けられている部分が大きいとは思うが、それでもクラス単位の集団生活に耐えられるようになっていたのは、俺が学校に慣れてきたという紛れもない事実だ。

 

 そうして自信のついた俺は、桃子と休日、人がたくさんいるであろう駅前に行ったりもした。 あの時も、俺は何事もなく過ごすことが出来た。

 

 けれどやはり、今思い返してみると、桃子が一緒にいたから平気だっただけなのかもしれない。 事情を知る者が隣にいる。 それがどれほど心強いのか、気付かされた。

 

 登校を再開してから、休まずに学校へ行っていた俺。 よくもまあ、ここまで頑張れたと自分で自分を褒めたい気分だ。

 

……もしかすると、だいぶ無理をしていたのかもしれない。 今になって、蓄積されてきた嫌な感情が「俺のことを忘れるなよ」と言わんばかりに存在感を発揮しているような、酷い感覚に襲われる。


 思わず俺は、立ち止まる。

 

「……人見君?」

 

 俺の異変に気づいたのか、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる五木。 その優しさが今は辛い。 こんな俺を見て欲しくない。

 

 明らかに暑さによるものではない汗が流れてくる。 

 暑かったはずなのに、体の芯まで冷え込むような、寒気がする。 

 行き場を求める何かが、体の中に渦巻いている。 頭がおかしくなりそうだ。

 

 これ以上は、もう――。

 

「……五木」

「はい……?」

 

 今まで、五木に助けを求めるという選択肢は、俺には無かった。 けれど、俺はここで駄目になってしまいたくない。 だから俺は、

 

「……人目のつかないところへ、行かないか?」

 

 と五木に言った。 頭が回らないからか、変な誤解を招きそうな言葉を選んでしまう。

 

「えっ……」

 

 案の定、五木は顔を赤らめ、何やらドギマギとしている。 けれどすぐに、何かを察してくれたのか、俺の手を握り、

 

「……歩けますか? あっちへ行きましょう」

 

 と言って歩み始めた。

 

 

 

「あっ、誰もいないみたいですね」

「……………………」

 

 辿り着いたのは、一番端っこにある、物置と化している空き教室だった。 先客がいそうな場所ではあるが、中には誰もいないようだ。

 

「この教室、演劇部が準備に使ってたんですけど、本番に必要なものは全部体育館に運び終えたみたいですし、当分の間は誰も来ないと思いますよ」

 

 そう言いながら、扉の鍵を締める五木。 前からわかってはいたが、五木は結構大胆なところがある。

 

「誰も入れないよう、鍵を締めておきましたよ! 先生や演劇部が来たら、その時はベランダへ出て逃げましょう! 大丈夫です、どこかしら逃げ道はあるはずです!」

 

 逃げ場のアテはない模様。 それなら鍵を締めず、堂々としていた方がまだ騒がれないだろうに。

 

「……いや、鍵は締めなくて大丈夫だよ。 そんなに長居するつもりもないからさ。 俺のせいで五木が怒られるのも悪いし」

「いえいえ! わたしは平気ですよ。 怒られる時は共に怒られましょう!」

 

 五木のことだ。 誰かに怒られたりしたら、酷く落ち込むに違いない。 そのはずなのに……。

 

「だって、ほら、人見君が言ってたじゃないですか」

「えっ?」

「たまには悪いことしろって。 わたし、今悪いことしちゃってますね」

 

……そういえば、そんなことを言ったような気がする。

 

「この教室、冷房効いてないから暑いですねー……」

 

 俺に何を聞くわけでもなく、椅子に座り、手でパタパタと扇ぐ五木。 その横顔は、いつになく大人びて見えた。

 

「……五木は、優しいな」

 

 つい、そんな言葉が出る。 五木が優しいのは、今に始まったことじゃないというのに。

 

「そ、そうですかね……?」

「うん。 本当に、助かったよ」

 

 先程までの嫌な感覚は、だいぶ薄れてきた。 早まっていた心臓の鼓動も、落ち着きを取り戻し始める。

 

「人見君が助かったのなら、嬉しいですけど……。 わたしの優しさなんて、そんなにたいしたものじゃありませんよ」

 

 どうしてそんなことを言い出すのか。 口を挟みたくなるのを我慢し、話を聞き続ける。

 

「わたしの優しさは、見返りを求めている優しさなんです。 優しくされたいから、優しくする。 きっと、わたしが人見君に優しく接するのも、どこかで見返りを求めているからなんです」

 

 それのどこが悪い。 見返りを求めていようが、優しさは優しさだ。 何もしないより良いに決まってる。 五木は何を言っているんだ。

 

「だからわたしは、自分の善意に相手が答えてくれないと、勝手に失望してしまうんです。 押し付けがましいこと、この上ないですよね」

「……それが、普通だろ」

 

 良かれと思って他人にしたことが、他人にとって良いこととは限らない。 それだけの話だ。

 

「善意には善意が返ってくるわけでもない。 時には悪意を返される時だってある。 何せ、互いに思っていることや考えていることは違うんだ。 そういうことはどうしても起こる。 それは辛いことだ。 やっぱり善意には善意で返して欲しいものだろ?」

 

 人助けをして、助けた相手から罵倒されたい人がいるか? いたとしたら、そいつは変態の類だ。


「だから、五木の優しさが、優しくされたいがゆえのものであっても、それを恥じる必要なんてないんだよ。 人として自然な在り方じゃないか」

「でもわたし、見返りを求めていつも失敗しているような気がして……」

 

……ああ、そういうことか。 五木がどうして見返り云々と言い出したのかが、わかった。

 

「……見返りを求めて、傷ついているってことか」

「はい……」

 

 簡単な話だ。 

 見返りを求めた行為に対し、何も返ってこないのは、辛い。 ならば、最初から見返りを求めなければいい。 そうすれば、何も返ってこなくても、傷つく必要なんてないのだから。

 

 五木は本当に、何というか……。 不器用な、生き方をしている。

 

「確かに、出来ることならなるべく傷つかないような日々を送りたいものだけどさ。 でも、五木のその考えは、傷つかないように見えて、余計傷つくと思うんだ」

「余計、傷つく……?」

「元々満たされているのなら、平気なのかもしれない。 けれど、満たされていない者が何も求めないのはどうだ? 何かを欲し、行動を起こさない限り、その者を満たしてくれる何かが転がってくるなんてことは、滅多にない。 何も求めない者は、満たされないまま一生を終える。 そんなの悲しすぎるだろ?」


 そんな生き方をしている人間を、俺はもう見たくないから――。 

 

「例え、欲したものが得られなくても、欲し続けない限り、それは一生得られない。 だから、五木はそのままでいいんだよ。 たまに傷つくかもしれないけど、傷ついた回数より報われてやればいいじゃないか」

「人見、君……」

 

 俺の言葉に何か思うことがあるのか、俯いて難しそうな顔をする五木。

 

 発言した後に、気づく。 俺はだいぶ偉そうなことを言っているなと。 

 傷ついた回数より報われてやればいいだなんて、あまりにも無責任な言い様だ。 一度傷つくだけでも辛くてしょうがないことは、俺だってわかっているはずなのに。

 

「……悪い、俺は五木にこんな偉そうなことを言える立場じゃないよな」

「えっ……?」

「俺は五木よりもさ、傷つくことを恐れてるんだよ。 人が怖くて怖くて仕方ないんだ。 ホント、情けないよな」

 

 最悪だ。 こんな卑屈な俺を、五木に見せたくはなかった。 けれど、今の俺は演じることなど出来ない。

 

「今日だって、もう少しで危ないところだった。 五木がいたから助かったけど、もし五木がいなかったら、どうなっていたことやら。 俺は一人じゃ目の前の辛い現実に立ち向かえず逃げてしまう、卑怯者だよ。 ほら、覚えているだろ? 俺が一週間ほど学校を休んでいたのを」

「……はい」

 

 俺は何を口走っているのだろうか。 こんな思い、言語化して五木に伝えなくてもいいのに。 俺だけが抱え込んでいればいいのに。

 

「あれだって、学校生活が急に怖くなって逃げ出したようなものなんだ。 色々な理由をつけて、そうでない様に装っていたけどさ、あれは単にサボりたかったわけじゃないんだ」

「そうだったんですか……」

 

 俺は何を求めて、五木にこんなことを話しているのだろうか。

 

「五木に助言をするなら、まず自分がしっかりしてなきゃいけないのにな。 本当に、俺は……」

「……しっかりしてなくても、いいじゃないですか」

「え……?」

 

 しっかりしてなくてもいい? それは、ただの気休めじゃないのか。

 

「だって、考えてみてくださいよ。 そもそも、しっかりしている、しっかりしていないって判断しているのは、誰ですか?」

「……俺自身だな」

「人見君は、自分の主観こそが絶対的で、正しいものだと思っているんですか?」

「……思って、いないな」

「そうです! そこですよ。 人見君は自分のこと、しっかりしていないなって思ってるのかもしれませんが、他人から見ればしっかりしているなって部分もたくさんあるんですよ!」

 

 それはもちろん、あるかもしれないが……。 

 それはあくまで他人の思考だ。 他人の思考を読み取ることなど出来ないし、他人の言葉が本当か嘘なのかなんてわからない。

 

「仮にそうだったとしても、俺は安心なんかしないよ」

「何でですか? しっかりしようって思いは、他人と比較するから生まれるんじゃないんですか? 他人に認めてもらえたら、少しくらい安心してもいいじゃないですか」

「俺は自分の主観を絶対視しないけど、それは他人の意見も同様だからだよ。 本心はわからないじゃないか」

「……人見君は、もっと周囲のことを気楽に考えるべきだと思います」

 

 まさか、そんなことを五木に言われるとは。 もしかすると、俺と五木は似た者同士なのかもしれない。

 

「ほら、世の中って、案外きっちりしてないじゃないですか。 人がつくったルールには、どこかしら矛盾点があるものだし……」

「そうかもしれないな」

 

 だから、法の抜け穴をつく人だっている。 そういう人たちをどうにかする為に対処しても、また新しい抜け穴を見つける人が。 いたちごっこが続いていくというわけだ。

 

「そんなきっちりしてない世の中で、頑なにしっかりしようとしなくたって、いいじゃないですか。 ちょっと駄目だなってところがあったって、わたしは人見君を嫌いになったりはしませんよ?」

「えっと……」

 

 なんと言い返していいのか、わからない。 わからないから、黙り込んでしまう。

 

「……あっ、誰か近づいてきますよ!」

「えっ?」

 

 本当だ。 誰かがこちらへ近づいてくる足音がする。 

 この教室に向かっているのだとしたら、マズいことになる。

 

「どどどど、どうしましょう!?」

「お、落ち着け五木!」

 

 鍵を締めたのは五木本人だというのにこの慌てよう。 今から鍵を開けて素直にこの教室から出るか? 

 

 だが、それは……。

 

「演劇部でもないわたしたち二人がここから出てきたら、間違いなく変な誤解を招きますよね……」

「……だろうな」


 学生の男女が空き教室に二人きり。 導き出される結論は、もはや言うまでもない。

 あまり悪目立ちしたくない俺と五木にとっては、あらぬ誤解を生み出すことはなんとしても避けたい。

 

「五木、ここはイチかバチかだ。 この階で一番人気のなさそうな出し物はどこだかわかるか?」

「へ? ……えっと、アニメ同好会、ですかね……? なんでも、毎年マニアックすぎる題材で、そこらのアニオタも寄り付かないだとか」

「そこだ! そこへ行こう。 被害を最小限に留めるなら、多少の犠牲はやむを得ない」

「え? つまり、ベランダから突入するってことですか!?」

「もちろんだ。 ……躊躇ためらっている時間はないみたいだな」

 

 足音はすぐ近くまで聞こえてくる。 明らかに、この教室に用がある感じだ。

 

「……わかりました。 人見君にどんな考えがあるのかわかりませんが、ここは人見君の言うとおりにしますよ」

「それはありがたい。 よし、行くぞ」


 いざ、作戦決行だ。

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