表情
「このままお前を苦しめて殺すのも良かったが……。 もう既に、思っているのではないか、女? こんなに苦しく痛い思いをするくらいなら――」
屈み込んで、血塗れたナイフの切っ先を地面に突き刺し、芦高は言葉を続ける。
「自ら死んでしまいたいとな」
「……………………」
女は今、何を思っているだろうかと芦高は考える。
「だから、選ばせてやる。 すぐ先に回避できぬ死があるならば、お前はどうする? 他者により、苦痛を与えられながら死んでいくか、自らの手で死ぬか。 さあ、選べ」
どちらを選ぶか、迷っている……なんてことはないだろう。 どちらも選びたくないに、決まっている。
だが、どちらかを選ばなければいけないのだとしたら、より苦痛の少ない方を選ぶはずだ。
すなわち、自害。
蝶野は地面に突き刺さったナイフを見ている。
芦高が更なる苦痛を与えると言っている。
どんなことをされるのか、想像できないわけではない。
「三十秒だ。 後、三十秒で答えを出さなかった場合、選択権は俺に委ねられる。 そのことが何を意味するか、わかるだろう?」
思い詰めた顔をして、苦しげに呼吸をする蝶野。
「後、十秒だ」
本当は生きていたいのに、自らの手で自らの命を絶たねばならない時、人はどんな表情を見せてくれるのか。
「三、二、一……」
「まっ……、待って!」
芦高は待ってやることにする。
気持ちを落ち着かせようと、必死に呼吸を整えようとしている蝶野。
その表情には、相反する意思が垣間見えた。 生きたい。 でも、死ななければいけない。 生命にとって、他にない苦渋の選択。
蝶野はもう、自分がどうするべきかわかっている。 それでも、すぐにはそう出来ずにいる。
(不思議なものだ……。 苦痛があろうと、苦痛がなかろうと、結末は同じ死。 まるで、苦痛から逃れることで、死から遠ざかることができると思っているかのようではないか)
蝶野が起き上がる。
「む……?」
芦高は蝶野の動きに警戒する。 が、すぐに何故蝶野が起き上がったのか理解し、警戒を解く。
「照、ごめんね……」
そう言って蝶野は、右手を自らの胸部に当て、そのまま魔術を発動した。 魔術を自害の為に使ったのだ。
その時の女の表情を、芦高は見逃さなかった。
「……………………」
血飛沫を上げて、後ろへ倒れ込む蝶野。 蝶野は自らの心臓を空気弾で貫いていた。 仰向けになった蝶野の胸から、真っ赤な血が大量に溢れ出す。
蝶野はピクリとも動かない。 その顔も、もう新しい表情を見せることはない。 死人の顔だ。
「………………ク」
死に際に蝶野が見せてくれた表情は、芦高の想像していたものとは違っていた。
(……素晴らしい)
芦高の想像を超えた、素晴らしい表情だった。 確かに、死ぬ直前まで、蝶野は絶望に満ちた表情をしていたが、そのままではなかった。
(実に素晴らしい……!)
あの表情は、決意と覚悟……そして、安らぎを感じさせるモノだった。
「ククククク……」
芦高は思う。 今日は本当に運が良い。 まさか、ここまで心が満たされるとは。
この充実感。 俺はこの為に生きているのだと。
「…………来たか」
芦高が余韻に浸る間も無く、次の獲物が訪れる。
(人数は二人……。 さっきの男たちか)
すぐ近くの木陰に移動する芦高。
「……これが、蝶野なのか……?」
金髪の男――桑羽田の声。
(ここまで来たということは、魔物を倒したということか)
二人はまだ、芦高の存在に気づいていない。
芦高が先んじて攻撃してしまえば、一人くらい殺すことができるだろう。 そもそも、二人は戦う余力など残っていないように見える。
――ならば、隠れる必要もないかと芦高は考える。
三人の他に、仲間がいないのなら、恐れることはない。 芦高はまだ、魔術を使用することができるのだから。
「はっ……!」
芦高の足音に、宇治と桑羽田の二人が気づく。
そして、返り血を浴びた芦高の姿を見て、察する。
怒りに染め上げられていく、表情。
「てめえ……。 よくも蝶野を――!!」
先に動いたのは、桑羽田だった。 茶色に染めた髪の似合う、二十三歳の男性。 黒のスーツを着ており、街中を歩いていればどこにでもいそうなサラリーマンにでも見えるだろう。
背中に強い打撃を受け、その後も何回か攻撃を喰らったはずなのに、そうとは感じさせない俊敏な動き。
蝶野の死により湧き上がった怒りが、桑羽田を衝き動かしていた。
「フ……。 何か勘違いをしていないか? 俺はこの女を殺していないぞ?」
だが、現実は残酷なものだ。
桑羽田が放った冷気は芦高に当たらず、その背後にあった木々を凍らせる。
そして、桑羽田の攻撃を回避した芦高は桑羽田の首を掴み、そのまま地面に叩きつける。
「ぐっ……」
「桑羽田!!」
宇治が、桑羽田を救おうと駆けてくる。
「その女は、自ら命を絶ったのだ。 女の胸をよく見てみろ。 酷いものだろう? まさか、魔術で自害するとはな」
「そんな訳……。 嘘に決まっている!」
掌に火炎を発生させ、芦高に狙いを定める宇治。
「宇治……。 逃げ、ろ……」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ! お前を見捨てる訳にはいかないだろ?」
桑羽田は芦高に首を掴まれたこの状況でも、恐怖に屈さず宇治に話しかける。
(仲間に話しかける余裕があるとでも、思っているのか)
首を掴む手に力を込めようと考えた芦高だったが、
「お前が死んだら、誰がこの男のことを知らせるんだよ!? 現実的に考えろ……!」
「でも……!」
「蝶野と俺の死を、無駄にするのか?」
「………………」
桑羽田は、自らの死を受け入れていた。
(……この男、俺がその気になればすぐにでも殺せるということを充分に理解しているようだな)
もう少しだけ、様子を見てみよう。 芦高は、手に込めていた力を抜く。
「ここで三人仲良く死んじまったら、死んだ後、俺たちは何の為に戦ったんだって、絶対に後悔するぞ。 俺は、俺がここまで生きてきた意味が欲しい。 この人生に、意味が欲しいんだよ! 俺の死んだ後の世界に、何かを残したい……! このままじゃ、何も残せないだろうが……!!」
「…………桑羽田」
芦高は、二人の会話を聞きながら、考える。
(生きてきた意味、か……)
俺は、俺を満たす為に生きている。 それ以外に何があると言うのだ? 自身の死んだ後の世界に、何かを残す? その世界に、自分はいないというのに。 馬鹿げている。
俺にとっての世界は、俺の五感で感じているもの全てでしかない。 俺の満足感は俺のモノでしかないし、他者の満足感は他者のモノでしかない。 それだというのに、この男は……。
「……早く行け! さもないと、俺はお前を許さないぞ、宇治!!」
「…………それは、困る」
宇治が、桑羽田に背を向ける。
「死んだら、許すことも許されることもできなくなるだろ……」
「……違いな――」
芦高は喋りかけていた桑羽田の首を握りつぶす。 即死だろう。 叫び声のない、静かな死。
そんな仲間の死を見届けることもなく、宇治は逃走する。 一切振り返ることなく。 あるはずの迷いを捨てて。
芦高は追いかける。 見失うことはないだろう。 宇治は逃走の為に力を温存していたわけでもない。
芦高のすぐ前方に、逃げる宇治の後ろ姿。
(……さて、どう殺そうか。 そういえば、ホームセンターで購入したアレを持っていたか。 アレを使って遊ぶのも悪くない)
まずは、奴の動きを封じるか。
そう、芦高が思っていると、
「……とにかく気をつけてくれ」
宇治の喋る声。 近くにいるのは芦高だけだ。 しかし、芦高に話しかけているようには見えない。
(独り言……。 いや、これは、誰かと通話をしているのか)
芦高がよく見てみると、宇治は片手にスマートフォンを持っていた。 やはり、通話中だったというわけだ。
「誰に電話をかけている?」
芦高は宇治に問う。 しかし、返事はない。
「答えろ。 お前は誰に電話をかけていたんだ? 二人以外にも魔術を扱う仲間がいるのか?」
この状況で電話をかける相手……。 恐らく、他にも存在する魔術師の仲間に電話をしているのだろうと芦高は考える。
「答えない……か。 まあいい」
宇治はこのまま闇雲に走ってもすぐに追いつかれると悟ったのか、芦高の方へ向き直り、動きを止めている。
芦高は、ガスバーナーを取り出すことにする。
(この男に教えてやろう……)
これからお前が、俺に何をされるのか。
「俺は、これで何をすると思う?」
昨日、芦高がホームセンターで購入したガスバーナー。 バーベキュー等に使用する安価なものだが、それでも大きな可能性を秘めている。
「想像してみろ。 これでじっくりと焼かれながら死ぬ、自分の姿を」
これを人に使ったらどうなるか。 人に、どれほどの苦痛と恐怖を与えることができるのか。
「……………………ッ!!」
「……なに?」
芦高はすっかり油断をしていた。
掌を芦高に向ける宇治。 宇治にはまだ、魔術を使うほどの力が残っていた。
目前に迫りくる火炎。 これを防ぐには、芦高は使わなければいけなかった。
――あの、力を。 与えられたわけではなく、生まれた時から持っていた、異能力。
しかし、これでもう、丸一日ほど芦高は上級魔術はもちろん、その能力も使用できなくなる。 流石にエネルギーを消費しすぎたのだ。 もし、宇治にまだ仲間がいたら危険だっただろう。
(今回は調子に乗って力を使いすぎたな……)
と、今回の戦闘に対する反省をしながら、芦高は“能力”を発動する。
「くっ……」
芦高は、芦高を襲う炎という現実を捻じ曲げる。 芦高を襲う、強烈な疲労感。 この能力の発動は消耗が激しかった。
宇治の放った火炎は芦高の能力により無効化された。
宇治はその様子を確認することなく、芦高に背を向け走っていた。
これ以上抵抗されるのも面倒だ。 さっさと動きを止めてしまおうと芦高は考える。
地面に手を当て、鋭利な岩石を生み出す芦高。
まるで、石の斧だ。 それを、宇治の脚に目掛けて勢い良く投げる。
投擲された石斧は見事に命中し、宇治の脚を切り落とす。 脚を失った宇治は、そのまま転げ落ちる。
「まだ魔術が使えたとはな。 たいした奴だ……が、あの程度の威力では俺を倒せんぞ」
宇治は何故転んだのか理解できていないようだった。
「……お前、まだ生きることを諦めていないのか。 逃げる為の脚がそんな状態だというのに」
恐る恐る、自分の脚を見ようとする宇治。
「後はお前を地面に固定するだけだ。 安心しろ。 いきなり顔から焼くなんてことはしない」
男はどんな反応をするだろうかと芦高は想像する。
「それに、このガスバーナーはそこまで火力があるわけじゃない。 それこそ、お前の攻撃魔術と比べたら可愛いものだろうな」
ようやく自分の脚が切断されているのを目で確認する宇治。 それでもまだ、その現実を受け入れることができていない様子だ。
「もっとも、耐性魔術の切れたお前が、叫び声を上げずに耐えられるとは思わんが」
目を疑う事態に、芦高の言葉など聞こえていないようだ。
「魔術を使うのもいいが……。 これがちょうど余っている。 これでお前を地面に固定するとしよう」
長さ一五〇ミリメートルの丸釘を取り出す芦高。 昨日の四人家族に使用せず、結局使わずじまいだったものだ。
「炙る前に気絶などしてくれるなよ」
芦高は躙り寄る。
「まずは右腕からだ」
丸釘を片手に。 弱った獲物はすぐそこだ。
「奴の外見的特徴は……」
「む……?」
何だ? いきなり。
「長身で黒の短髪……」
外見的特徴? まさか、俺のことか。 独り言というわけではないだろう。 芦高は視野を広げる。
「……最期の悪足掻きというわけか」
地面に転がったスマートフォンが目に入る。 まだ通話中だったことを理解する芦高。
「そして、黒のトレンチコートを着ている……!」
外見的特徴の他に、どのようなことを言ったのかは知らないが、どこかにいるこの男の仲間に、俺の情報が伝えられた。
面倒だ。 しかし、前向きに考えれば、また手応えのある獲物がやってくるのだとも言える。
とはいえ、これ以上余計なことを教えさせる訳にはいかない。
芦高はスマートフォンを踏み潰すことにする。
「さて、始めるとするか」
出来ることなら時間をかけて楽しみたかったが、この神社は派手に燃え上がっており、騒ぎが起きるのも時間の問題だ。 手っ取り早く済ませ、ここから離れなければならない。
「………………」
宇治は随分と落ち着いていた。
(死を受け入れたということか。 だが、それだけではない……)
結局、最期まで宇治はあまり良い反応を見せなかった。
だから芦高は、途中で飽きて宇治を踏み殺してしまった。
今、芦高の心を満たしてやまないのは、脳裏にこびりついて離れない、蝶野の表情だけだった。
どうすれば、あのような表情をまた見ることが出来るのだろうか――。
そんなことを考えながら、芦高はこの神社を後にした。




