五木紗羽は語りだす
「自分のいる意味?」
朝、学校へ一人で行くのとは違い、帰りは五木と会話をしながら移動しているので、自然と歩みは遅くなっていた。
隣を歩く五木の表情はどこか悲しげで、これから語る話の内容が五木にとって辛いことなのだと予感させる。
「中学の時の話をしますね。 高校でこそボッチ生活を送り続けてますけど、中学の時は友達が何人かいたんです」
五木は歩きながら、言葉を続ける。 その頭のツインテールは、五木の動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。
「趣味が同じだとか、単純に気が合うとか、部活動が一緒だとか、出身小学校が同じだったとか、席が近かったからとか、色んな理由でクラスにグループができていって、わたしもそんなグループの一つに所属していたわけなんです」
「類友だな」
「はい。 わたしも比較的気の合う、似通ったタイプの人たちと友達になったんです。 でも、人間、そんな単純に括れるものじゃないですよね」
「そりゃあな。 ……なるほど、五木が所属していたグループの人たちは、五木にとってあくまで比較的気の合うってだけだったんだな」
比較的って便利な言葉だなと思う。
「……その通りです。 他のグループに所属するよりはマシだったのかもしれませんが、わたしの所属していたグループもわたしにとってそこまで居心地良いわけじゃなかったんです」
学校で形成されるグループに、皆が皆キッチリ収まるとは限らない。
どこか無理をして所属している人もいれば、素直に所属しない選択をする人もいる。
高校の五木が後者だとすると、中学の五木は前者か。
「わたしはいつも、みんなが楽しくしているのに合わせて、作り笑いばっかしていました。 それ以上のことはできないんです」
作り笑いをする五木。 あまりにも容易に想像できてしまうのが悲しい。
「……わたしは置物みたいなものでした。 はなから期待されてるわけじゃないんでしょうけど、周りの期待に応えられない自分が嫌になりました」
自己嫌悪。
思い描く理想の自分と、現実の自分との差。
差が大きいほど、現実の自分が嫌になる。
五木は他人からどう思われているかを気にしすぎていたのだろう。
他人が自分のことをどう思っているかなんて、普通わからない。
だけど、多くの人は自分が他人にどう思われているかを自分の中で想像する。
実際にどう思われているかは関係ない。 自分がどのように想像するか、それが当人にとっての現実。
何でも一人で抱え込み、自分を責めやすい傾向にありそうな五木が、他者の目をどのように意識してどう解釈するのか。 想像に難くない。
「当然、そんな置物状態だったわけですから、わたし、そのグループで浮いてたんですよね」
「……そうか」
「でも、みんなはわたしを誘ったりしてくれるんです。 嬉しくないわけじゃないんですよ? けれど、わたしはそこで楽しめないんです。 いつも話にはうまく混ざれず、楽しそうにしてるみんなを見ながら作り笑いをし続けるだけ……」
五木はそのまま、言葉を続ける。 溜め込んでいたものを吐き出すように。
「これじゃ、善意で……あるいは特に理由もなく義務的に誘ってくれたんだとしても、わたしのこと困らせたくて誘ってるんじゃないかと思ってしまいますよね」
きっと五木は、そんな風に思いたくなかったのだろう。
「こんなことになるのはわかっているのに、なんで誘ったのかって。 なんとなく誘うのなら、誘わないで欲しいって思うし、ちゃんと誘ってくれるのなら、誘ってくれた責任を取ってくれって……」
中学の時の五木は、何故断るという選択をしなかったのか。
それはきっと、孤立が怖いというよりも、相手の善意に期待し、応えていこうとしたからだろう。
五木はあまりにも純粋でバカ真面目すぎた。
五木から見れば、周りはみんな心からの善意を持って自分と接しているように映ったのかもしれない。
五木の思う他者の思考は、あくまで五木が思っているだけのものにすぎないのに。
「そんな経験をしていく内に、わたしはなんでここにいるんだろう、わたしがいる意味ってなんだろうって考えるようになったんです」
何も考えずグループに居座り続けるという選択肢は、五木には難しすぎたのだろう。
「そして、たいして必要とされていないと思って、わたしはそのグループを避けるようになっていったんです。 必要とされたいだなんて、傲慢かもしれませんが、数合わせみたいな存在意義しかないのに、無理してまでグループに属したいとは思わなくなったんです」
誰かに必要とされたい。 それは人として自然な在り方だろう。
「……なるほどな。 俺もその気持ちはわからないでもないな。 つい、いる意味とか必要性ってのを考えるよ。 人間関係ってのは難しいな」
「はい……。 わたしには、難しすぎます……」
と泣きそうな声で言う五木。 そんな声を出されると、こっちまで泣きそうになる。
確かに俺にとっても、五木にとっても、人間関係とやらは難しい問題だ。
けれど最近、俺は勇人と仲良くなった経験から、人間関係について少し救われるような考えに辿り着いた。
「……最近俺が思うのはさ、ちょっと誤解を生みそうな言い方だけど、人間関係ってのはたいしたことないんじゃないかってことなんだ」
「たいしたこと……ない、ですか?」
「そう。 さっき、中学の時の話で、類は友を呼ぶって言葉の通りにグループができていったって話してたよな?」
「はい……」
略して類友。 人は大抵、そうやって集まっていく。 何故なら、
「人間、共通項の多い人同士で集まるのが一番素の自分でいられて気楽なわけだし、そんな風に人が集まるのは当然だけど、中には五木みたいに無理している人がいることだってある。 だけど、それって当たり前のことじゃないか?」
「当たり前……?」
「当たり前って一言で済ますのは五木に悪いけど、学校の一つのクラスに集まった人間なんて、たいした数じゃないだろ?」
「まあ、そうですね……」
学校によっても異なるだろうが、多くても四十人くらいだろう。
「その中で、みんな色んな人間関係を構築していくわけだけど、数が数だけに誰ともうまく関われない人が出てくることだってあるに決まってる。 それに、五木自身が言った通り、人間は単純に括れるもんじゃないんだから、クラスの中に五木が無理せず仲良くできる人間がいなければ、それだけで五木は余り者になる」
俺が何を言いたいのかわかったようでわかっていない様子の五木。 俺の方を不思議そうな目で見ている。
「えっと……つまり、どういうことですか……? たまたま一緒のクラスになった人たちの中に、気の合う人がいなかったら諦めろと?」
「そうなっちゃうな。 けど別に、俺はただネガティブになってほしいわけじゃなくてだな、人と人との出会いなんてただの巡りあわせだろってことを言いたいんだ。 学校の人だけに目を向けなくても、世の中には一生使っても出会えないほどたくさん人がいるわけだし。 何より、特定の人間に拘らなくてもいいじゃんって思うんだ」
我ながらベタなことを言っているなと思う。
「そもそも、とても仲良さそうにしていて理想的と言われるようなグループだって、そう見えるだけであって実際は互いの嫌な部分が見えてきてギスギスしてるかもしれないし、無理をしている関係なのかもしれないだろ。 だから、自然と流れに任せておくのが一番いいんじゃないかって」
「それじゃあ、わたしの場合、中学では単に人の巡りあわせが悪かったと。 自然に任せた結果、辛い思いをし続けても、しょうがないってことですか? そんなの、あんまりじゃないですか……。 ダメだったら諦めろって、悲しい考え方だと思いますよ?」
確かに、ダメだったら諦めろってのは悲しい考え方なのかもしれない。
「悲しい考え方、か……。 個人の行動力で人間関係なんてどうとでも変えることだってできるんだろうけどさ、やっぱり基本的には巡りあわせが良いか悪いかでしかないんだと思うんだ」
「………………」
「そんなのあんまりじゃないかって言いたくもなるだろうけど、一緒のクラスになる人なんて選べるもんじゃないだろうし、言ってしまえば生きていく上で出会う無数の人たちだって、自分から選べるもんでもないだろ」
自分では選べない。 偶然。 けれどその偶然こそが、ポイントだ。 だって、
「現に、俺が五木と同じクラスで、五木の席の後ろになったのは五木が選んだんじゃなくて偶然だろ。 流れに任せた結果が、今の俺と五木の関係じゃないのか?」
「あっ……」
ハッとする五木。 驚きの中に、困惑と喜びとが混ざった、なんとも言えない表情。
「な? 人間関係なんてたいしたことないだろ?」
「うーん……。 やっぱりたいしたことないことはないと思いますよ」
「たいしたことないことないことないって」
「え、えっと……。 たいしたことないことないことないこと……? あれ?」
「……俺も既に混乱しているからやめようか」
「はい……」
このまま互いに混乱していても良かったが、言いたいことを忘れないうちに話を続ける。
「まあ、五木が俺の考えに納得できないのもわかるよ。 俺だって、この考えは少し悲しい考え方だと思わないわけじゃないし。 だからこの考えには続きがあるんだ。 ある意味こっからが重要なことなのかもしれないけど……」
「続きがあるんですか?」
「ああ。 中学の時の五木みたいに、良い人間環境に恵まれなかった且つ、自身の力でうまく適応できなかった場合。 そういう人間関係を諦めなきゃいけないようなときにどうするかが一番大事なんだと思うんだ。 簡単に言えば、ボッチの時間をどう活かすか」
言うほどそれは簡単な事じゃないのかもしれないけれど。
「これは俺が結構気に入ってる考え方なんだけど、諦めるってのは一見ネガティブなことに思えるかもしれないけどさ、俺が思うに、諦めるってのは前向きなネガティブなんだよ。 もうポジティブって言ってもいいくらいにさ」
頭にはてなマークでも浮かんでるかのような反応をする五木。 当然か。 言っている俺自身、滅茶苦茶な言葉を使っているなと思う。
「前向きなネガティブですか……」
「別に人間関係に限らなくてもいい。 誰もがいつでも人生悩み一つなく楽しんで生きてるぜなんてことはないだろうし、誰にだって辛い時期はあるんだと勝手に思ってるけどさ……」
その辛さの種類は人それぞれだとしても。
「そういう時期にどうにもならないような状態だからこそ、現実を直視して、暗い気持ちにでも一度なって、……諦めて、そこから自分がどうするべきかしっかり考え前を向く。 それが大事なことで、ネガティブなように見えてポジティブな姿勢なんだと思うんだ」
「つまりは、ポジティブな諦めってことですね」
俺の長ったらしい言葉を五木がとても簡潔な言葉でまとめてくれた。
「……今度からその一言で済ますか。 俺は無条件に前向きになれというのは好きじゃないんだよ。 たまには後ろを向いてもいい、前を向くのはそれからでもいいだろって思ってる」
むしろ、後ろを向くことは必要なことだとさえ俺は思っている。
「五木がした中学時代の嫌な経験だって、嫌な経験である事実はそのままであっても、今を生きる自分が前を向くのにまったく関係のないものではないと思うんだ。 辛い経験を乗り越えた人は、やっぱり強いんだよ」
何よりも、自分に言い聞かせるように俺は言う。
今俺がこの世界にいるのは、ポジティブな諦めによるものなのだから。
「わたし、強くなってるんですかね……?」
「ああ、なってるなってる。 ゲーム序盤の雑魚くらいだったら体が接触しただけで倒せるくらいに」
「なんか微妙な強さですね……」
「それでも快適さはダンチだぞ」
「何の話をしてたのかわからなくなってきました……」
とまあ、少々俺が喋りすぎたところで俺の家に辿り着いてしまった。
「なんか色々喋ったけど、五木のこれからに対して参考になる具体的なアドバイスは何もできていないよな」
「そんなことはないですよ。 ただ……。 人見君がわたしとこうやって仲良くしてくれてることが、ただの巡り合わせでたいしたことないだなんて思いたくなかっただけで……」
「あ……」
確かに、たいしたことないなんて言い方はぞんざいで、あまり良くないのかもしれない。
「でも、言葉のチョイスが気に入らなかっただけで、その考え方はちょっと気に入りましたよ。 わたし、気が楽になりました! 要は、難しく考えすぎるなってことですよね?」
「まあ、そんな感じだな……」
一人で考えていると、つい難しく考えすぎてしまう。
一度難しく考えすぎると、思考はどんどん曇っていく。
だからこその他人。
一人の思考では辿りつけない答え。
他人の何気ない一言が、曇った思考を晴らす一筋の光になることがある。
五木が人間関係について難しく考えすぎていたのなら。 俺の言葉で少しでも救われていればいいなと俺は思った。
「今日はありがとうございました。 明日も絶対、学校に来てくださいね! 約束ですよ!」
自転車を五木に返す。 鞄を自転車のカゴに入れ、自転車を受け取る五木。
「ああ、約束な。 もし明日、俺が学校に来なかったら、教壇の上で逆立ちしながら今さっき話したことを全部話してやるよ」
「……あ、やっぱり明日だけ学校に来なくてもいいですよ」
酷い。 この子、無害そうな顔して鬼畜。
「残念だけど、五木が俺の逆立ちスピーチを鑑賞する機会は訪れないからな。 何せ俺は、約束を破らない男なんでね」
「初耳ですよ、それ」
言った本人がこんなことを言うのもあれだが、俺だって初耳だ。
それはともかく、俺が明日、学校へ行かない理由は特にない。
だから、逆立ちスピーチをすることはありえない。 つまり、
「明日学校に来なかったら逆立ちスピーチをするとの約束はしたが、明日絶対学校に行くとも約束しているからな! 約束を破った前提の約束は成り立たない」
「……ハッキリと言い切りましたね。 どうなるか楽しみです。 ではまた明日!」
「じゃあな」
五木と別れる。
自転車に跨がり、俺の方へ振り向いて手をブンブンと振る五木。
風に吹かれ、五木の髪が微かに靡いている。
久しぶりの学校。 久しぶりに会った五木や勇人。
久々に学校へ行って良かったなと、素直に思える自分がいた。