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神社

 

「あっ……」

 

 境内を進み続け、拝殿が近くに見えてきたところで、目の前にある異物に気づく。 


 黒い人影だ。 こちらに背を向け、動かずに佇んでいる。 

 まだ深夜ではないので、人がここにいてもそこまでおかしくはない。 だが、何故か目の前の黒い人影は、この場所にいてはならないような気がした。

 

「蝶野。 あれが……」

「……ええ。 間違いありませんわ」

 

 黒い人影は僕たちの存在に気づいていないように見える。 

 背後から攻撃をするチャンスだと判断するが、そう判断したのとほぼ同時に、黒い人影が後ろを振り向いた。

 

「………………!?」


 桑羽田と蝶野がどんな表情をしているのかと気になったが、二人の顔を見ようと動くことはできなかった。 誰かに動きを封じられたわけではない。 ただ、動いてはいけないと、直感的に判断した。

 

 黒い人影と目が合う。 一瞬、心臓が止まりそうになる。 冷たく、濁った瞳。

 これが、僕たちと同じ人間の眼なのか。 意思疎通ができる者の眼とは思えない。 昆虫の眼を見ている時と同じような感覚に陥る。  

 

 この感情は、何だ? ……恐怖か? これが恐怖だというのなら、今まで恐怖だと理解していた感情は、恐怖と呼ぶに値しない感情だ。 これが、本当の恐怖なのか。

 

「………………」

 

 人影は僕たちの姿を確認したまま、動かない。 

 黒の短髪に、この季節に相応しくない黒のトレンチコートを着ている長身の男。 年齢は二十代後半といったところだろうか。 死体のように蒼白な肌が、月明かりに照らされている。

 

 

 

 ピコン、と何かの通知音が僕たち三人の誰かが携帯しているスマホから鳴る。 


「――――はっ!」

 

 音をきっかけに、身体が軽くなる。 まるで、ビデオ再生の一時停止から解除されたかのようだ。


「……宇治!」


 桑羽田の声。 わかっている。 このまま何もしないつもりはない。

 

 蝶野は二つ反応があると言っていた。 そのうちの一つが目の前の男なのだとしたら、あともう一つはどこかに隠れ潜んでいるということだろう。 

 そのことに留意しつつ、とりあえず目の前の男に向けて、攻撃魔術を発動する。

 

「……っ……!」

 

 掌から火炎の塊を射出。 中級の火属性魔術だ。 男の背後の拝殿が大変なことになりそうだが、今は仕方ない。

 

 しかし、妙だ。 男は僕が魔術を発動するのを見て、一瞬目を丸くし、驚いた様子を見せたものの、すぐに表情を戻した。 

 あの落ち着きよう、まるで僕たちのような魔術師が存在することを知っていて、僕たちといつか出会うことを知っていたかのようだ。

 

「……やったか?」

 

 炎は確かに直撃したはず。 発生した煙で視界が悪く、どうなったのかすぐに確認できないが、ただで済むわけが……。

 

「驚いたな。 楽しみがこうも早くやってくるとは、思ってもいなかった」

「なっ……!? ありえませんわ!」

 

 驚愕の声を漏らす蝶野。 それもそのはず。 僕の攻撃を真正面から受けた男が、先程と同じ場所で同じように立っているのだ。

 

「宇治ッ! 上級だ、上級魔術を使え!」

 

 驚いている暇はない。 先程は周囲への被害を考え、躊躇していた部分があった。 

 しかし、今度は周りがどうなるが気にしない。

 

 空中に、十指に余るほどの炎弾を発生させる。 その一つひとつが、先程の中級魔術で発生させたのと同等の大きさだ。 防御しようが、この攻撃により巻き起こる爆炎に耐えられるものか。

 

「喰らえッ――!!」

 

 夜空より男に向かって飛来する、複数の火炎弾。 さあ、どうする? また真正面から受けるのか?

 

「何……!?」

 

 目を疑う。 男がすぐ目の前にいるのだ。 瞬間移動をしたわけではない。 脚力により、僕たちとの距離を縮めたということだ。

 

「こいつ……!」

 

 桑羽田がすぐに後退する。 僕と蝶野もそれに続いて男から離れる。

 

……男は遊んでいる。 すぐ目の前まで移動しておきながら、何もしなかった。 僕たちとしては命拾いできてありがたいことだが、奴は僕たちをすぐにでも殺せたという事実には変わりない。

 

 男が油断している今がチャンスだ。 蝶野と桑羽田に目で合図をする。

 

 上級魔術により巻き起こった爆炎で、拝殿は炎上していた。 

 そんな罰当たりな光景をバックに、男は無表情のまま佇んでいる。

 

 桑羽田が動く。 

 男の眼がその動きを追う。

 

 掌を男に向ける桑羽田。 そして、扇状に放たれる冷気。 冷気は桑羽田の掌から離れれば離れるほど広がり、辺りを飲み込んでいく。

 

 桑羽田の上級氷属性魔術。 あの冷気に飲み込まれれば、一瞬にして凍りつき、砕け散るだろう。 もちろん男がこの攻撃を喰らえば嬉しいことこの上ないが、先程の男の動きからして、そう簡単に当たってくれるとは思えない。

 

「来ましたわね!」

 

 そんなことは、桑羽田も蝶野も、わかっている。 

 だからこそ、蝶野は今、男の移動先を予想し、そこに向かって攻撃を繰り出そうとしている。

 

 巻き起こる風刃。 一点に特化した、蝶野の風属性上級魔術だ。 

 岩石さえも切り刻む破壊力を持っている。 攻撃範囲の狭さと命中率の低さという大きな短所こそあるが、その威力は魔術会の誰もが認めるほどだ。 

 

 正真正銘、必殺の一撃。

 

「………………!」

 

 桑羽田の攻撃を見事に回避した男は、蝶野の視線が自身の辿り着く場に向けられていることに気づき、気を張り詰める。 


 そして――。

 

「……えっ?」

 

 攻撃をした蝶野本人が、誰よりも唖然とする。 

 

 何故なら、男は立ち止まったのだ。 

 このまま風の刃をその身に受けるつもりなのか。 しかし、その表情は死を受け入れた者の表情ではない。 

 

 何か、確信めいたものがあるかのような……。

 

 一秒後にでも、男の身体を真っ二つに切り裂き、大量の血を撒き散らすであろう風刃。 

 男に強力な防御魔術があるのだとしても、一点に特化した蝶野の一撃を完全に防ぎきれるわけがない。 


 だがしかし……。  

 

「……おいおい、どういうことだよ、これは……!? 俺の眼がおかしいのか!?」

「……いや、桑羽田の眼はおかしくない」

 

 頭の中を、疑問が埋め尽くす。 

 蝶野の攻撃が、男の身体に当たる直前に掻き消された……? 

 防御魔術を発動したようにも見えない。 ならば、耐性魔術か? 強力な風属性耐性魔術でも使用しているのか? 


……いや、違う。 これは文字通り、完全に無効化されている。 そんなレベルの耐性魔術、あってたまるか。

 

 生じた疑問を振り払うように、次の攻撃へと転ずる。 考えている余裕はない。 もしかすると、蝶野の上級魔術を無効化したことで、男に隙が生じている可能性もある。

 

 男に向けて、火球を連続で打ち出す。 上級魔術ではないが、相手を牽制するのにはちょうどいい魔術だ。

 

「……鬱陶しいな」

 

 男が地面に掌をつけると、男の目の前に大きな石壁が形成される。 この男は、地属性魔術を使うこともできるのか。

 

 石壁を盾にし、僕の攻撃を防ぐ男。 男が僕の攻撃を防いでいる間に、桑羽田が移動を開始する。

 

「む……!?」

「油断しすぎだぞ、お前!」

 

 男の右側に急接近する桑羽田。 

 そして、そのまま掌を男の方に向けて、強力な冷気を放とうとする。 

 扇状に広がっていく冷気の攻撃。 そんな冷気を至近距離で受ければどうなるのか。

 

 霧吹きをイメージする。 

 ノズルから霧状に噴射される液体。 

 霧吹きをする対象が近ければ、噴射された液体はたくさん対象に吹き付けられるだろうが、対象が遠くにあった場合。 

 重力や気流の影響により、噴射された液体は散り散りになったり、地に落ちて、多くが対象に辿り着かない。 

 一度に噴射された液体の量は変わらないのに、対象との距離によって対象に届く液体の量は大きく変わるということだ。

 

 桑羽田の魔術も同じようなものだ。 

 冷気が扇状に広がっているということは、桑羽田から離れれば離れるほど攻撃範囲は広がっていく。 

 しかし、離れれば離れるほど、威力は分散し、弱まっていくのだ。 

 範囲が広がるのに反比例して、威力は低下する。 

 つまり、桑羽田から近づけば近づくほど、冷気の効果範囲こそ下がれど、威力は上がるとも言える。

 

 至近距離からの桑羽田の上級魔術を、男はどう対処するのか。 

 至近距離ならば石壁で防ぐこともできないはずだ。 それほどの威力をあの魔術は持っている。 

 

 蝶野の上級魔術を防いだ正体不明の魔術をまた使うか? 

 相手も人間ならば、魔術の使用回数に限りがある。 上級魔術を防ぐほどならば、消耗も激しいはずだ。 

 

 何せ、僕たちは三人だ。 一人が魔術を使えない状態になっても、負けではない。 

 

 それとも、普通に身体能力によって回避するか? 

 それも奴には可能だろう。 一瞬にして僕たちとの距離を詰めたあの動き。 

 見たところ、上級の肉体強化魔術でも使っているのかもしれない。

 

 全ての可能性を想定し、男がどう動いてもうまく対応できるよう身構える僕と蝶野。  

 

「油断しているのは、どっちだ?」

 

 と言った男の声が、確かに聞こえた。 


「………………!?」

 

 一体、何が起きたのか。 桑羽田は吹っ飛ばされていた。 まるで、見えない何かに背後から思いっきり叩きつけられたかのように見えた。 男は何もしていないというのに。 


 桑羽田は男のいる場所を通り越して飛ばされ、地面に横たわっている。

 

「桑羽田!」

 

 訳がわからない。 今のも魔術なのか? この状況はマズい。 いくら僕たちが三人だとしても、こんなに訳がわからないことが多すぎる中戦い続けるのは危険だ。

 

 僕は中級の肉体強化魔術を発動し、桑羽田の元へ急ぐ。 男の攻撃を警戒したが、攻撃は来なかった。 男はただ、冷たい眼で僕たちをじっと眺めている。

 

「ぐ……。 悪いな、宇治。 油断したつもりはなかったんだけどな……」

 

 桑羽田を抱え、男から距離を取る。


「今のはしょうがない。 ……なあ、蝶野。 もしかして……」

 

 蝶野にある確認をしようとする。

 

「宇治の言いたいことはだいたいわかりますわ。 わたしも、そんな気がしてきましたの」

「……今、桑羽田が受けた攻撃は、二つ反応があった内の、もう一つ」

「魔物か何かの仕業。  その可能性が非常に高いですわね。 二つの反応は、今もほとんど同じ場所に存在していますの。 充分考えられる可能性ですわ」

 

 僕は、男とは別の何かはどこかに隠れ潜んでいると考えていた。 でも、蝶野は言った。 二つの反応は、今もほとんど同じ場所に存在していると。

 

「……桑羽田、あれは使えるか?」

「あれって何だよ」

「四角いのがたくさん出るやつだ」

「ああ、使える。 でも、あんまり長く維持することはできないぞ。 さっきの攻撃を受けてかなりキツイんだからな。 呼吸する度に肺の辺りがメチャクチャ痛いし、骨も折れてそうだし、何より……」

「もういい、喋るな。 喋ることのできる残りのエネルギーを全て魔術に使ってくれ」

「おいおい、怪我人を酷使する気かよ」

 

 こうやって話していると、桑羽田は大丈夫そうに思えてしまうが、実際のところ、吹っ飛ぶほどの強打を背中に受けたのだから、これ以上戦わせることは難しいだろう。 

 

 だが、桑羽田に無理してもらわないと、間違いなく僕たちは助からない。

 

「桑羽田。 僕が合図をしたら、すぐに発動してくれ。 その後どうするかだが……」

「一時撤退するつもりですのね?」

「その通りだ。 ここから逃げる。 このまま戦い続けるのは危険すぎる。 だが、奴が簡単に見逃してくれるとも思えない。 だから、桑羽田にあの魔術を使ってもらうんだ。 そして、蝶野と僕も、奴が追ってくるのを妨げるのに有効な魔術を使うぞ」

「……そうだな。 それがいい。 俺もこのザマだしな。 一旦戻るのが賢い判断ってやつだ」

「そうですわね。 ここで無理しても、何も得しないですわ」

 

 二人とも僕の判断に納得してくれたようだ。 安心する。 

 何より、これ以上時間をかけると、消防隊にでも通報されかねない。 

 まだ、そこまで派手に燃え上がっているわけではないから、今のうちだ。

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