三人の朝
「おい、起きろよ宇治。 朝だぞ」
「ん……?」
桑羽田に起こされ、目が覚める。
野郎じゃなくて美少女に起こされたかったなと思いながら、身体を起こし時計を見る。 時刻は八時だ。
昨日はホテルへ戻った後、夕食を済ませてすぐに寝てしまった。 肉体的疲労はそこまでないはずだったが、慣れない日々に疲れが溜まっていたのだろうか。
ちなみに、僕と桑羽田は同室だが、蝶野は別の部屋だ。
当然といえば当然の配慮だが、いくら安いからとはいえ、僕と桑羽田が同じ部屋に泊まらなくても良かったんじゃないかと思えてくる。
桑羽田が嫌いなわけじゃないが、一人部屋の方が落ち着くし、疲れが取れる。 一日の中で一人の時間はある程度欲しい。
「……おはよう」
「おはようさん。 宇治って結構、朝に弱いのか」
「そうか? まだ八時だぞ。 本当に朝弱い人は、昼まで起きない」
「俺が起こさなかったら昼間で寝てそうな感じだったぞ」
そんなに僕はぐっすり眠っていたのか。
「蝶野はもう起きてるのか?」
「さあな。 まあ、蝶野がこっちに来たらすぐ外へ行けるように身支度を済ませておこうぜ」
「だな」
髭を剃り、顔を洗い、着替えを済ませる。
一通り身支度を終え、何か飲み物でも飲もうと思ったが、何も飲み物を持っていないことに気づく。
「ちょいと自販機で飲み物を買ってくるが、桑羽田は何か飲みたいものはあるか? 買っておいてやる」
桑波田はテレビを観ながら、煙草を吸っていた。
部屋の中に紫煙が漂う。 そういえば、この部屋は喫煙可だったか。
「んー、じゃあ缶コーヒーを頼む」
「煙草とコーヒーの組み合わせは、口臭がドブ臭くなるらしいぞ」
「らしいな。 安心しろ、口臭ケアに支障なしだ」
廊下へ出る。
これからチェックアウトをするのか、大きめのバッグを背負った宿泊客とすれ違う。
朝のホテルの雰囲気は何かいい。 いつもと違う場所で迎える朝だからだろうか。
何か特別楽しい予定があるわけではないが、つい一日の始まりに期待してしまう。
「本当ですの? お姉ちゃん、心配ですわ」
「おや……?」
自販機の近くまで来て、誰かの声が聞こえることに気づく。
これは、蝶野の声だ。 誰かと電話中か?
「照はいつも、一人で抱え込むから……。 お姉ちゃんをもっと頼ってくれていいんですのよ」
『僕はもう十三歳だよ? いい加減やめてくれよ……』
「まだ十三歳、ですわっ!」
どうやら弟と思われし人物と通話しているようだ。
それにしても、いつもの蝶野と比べて、随分と甘ったるい感じでいらっしゃる。
『僕が姉ちゃんのせいでみんなになんて言われてるか知ってるの?』
「そんなの知りませんわ」
『シス○ーンだよ! おかげで、コーンフレークを見る度に頭痛がするようになっちゃったよ!』
「なんですって!?」
なるほど、蝶野はもしかすると……。
「……教えなさい」
『へ?』
「照を馬鹿にした奴らの名前を、ですわ! わたしの弟をイジメたらどんなことになるか、思い知らせてやりますわ!」
『頼むからそういうのやめておくれよ……』
超が付くほどのブラコンなのでは? ……蝶野だけに。
「まあ、そう言うなら別にいいですわ。 ところで、魔術の方はどうなの?」
『すこぶる順調だよ。 毒の魔術だから力を試すのに色々面倒だけどね。 近いうちに姉ちゃんを追い抜くかもしれないよ?』
「それは無理ですわ。 姉より強い弟なんて、わたしが認めないもの」
どんな理屈だそれは。
『とにかく、もう切るからね。 別に、毎日のように電話かけなくても僕は元気にやってるから、安心してよ』
「ああっ! ちょっ、待っ……」
電話を切られたようだ。
まあ、こんなおせっかいは思春期ど真ん中の少年には鬱陶しいだろう。
「もう、いきなり切るなんて……。 ……え?」
「あ」
しまった。 つい話を聞くのに夢中で、蝶野が当然来た道を戻るということを忘れていた。 バッタリ鉢合わせである。
「あ、あら、ごきげんよう」
「ああ、おはよう……」
自然に朝の挨拶を交わす僕と蝶野。 そう、自然にだ。
「別に深い意味があるわけじゃないのだけれど、ある質問に答えてもらえますの?」
「質問? 何だ?」
「い、いつから……。 いつから、ここに……?」
「今さっきだ」
「本当、ですの……?」
「ああ」
「なら、いいですわ」
「そ、そうか……」
良かった、面倒なことにならずに済みそうだ。
蝶野から後少ししたらチェックアウトするとの話を聞く。
そして、会話を終え部屋へ戻る蝶野の後ろ姿を見送った後、自販機で缶コーヒーとミネラルウォーターを買う。
無糖の缶コーヒーを買ってしまったが、桑羽田は無糖でも大丈夫なのだろうか。
缶コーヒーとだけしか言われておらず、特に指定がない。 まあ、飲めないと言われたら僕が飲めばいいか。
「戻ったぞ。 ほれ、缶コーヒー。 無糖のブラックで良かったか?」
「ああ。 サンキューな」
どうやらブラックでも問題なかったようだ。
「そうそう、今廊下で蝶野と会ったんだが、後少ししたらこのホテルを後にするだとさ」
「了解。 っても、荷物はもうまとめてあるし、蝶野が来るのを待つだけだな」
というわけで、テレビを観ながら蝶野が来るのを待つ。
どこの局も同じようなニュースばかりやっているなと退屈していると、
「二人共、いますの?」
と、蝶野の声が。
「ああ、いるぞ。 もう行くのか?」
「ええ」
一晩寝て機嫌を直してくれたのか、それともさっき弟と電話をして機嫌を直したのか、昨晩の刺々しさがまるでない蝶野。 これは安心。
ホテルを後にし、近くのコンビニエンスストアのイートインスペースで軽く朝食を済ませ、次の街へ行く為に駅へ向かう。
「そういえば……」
と、歩いている途中に話を切り出したのは桑羽田だった。 特に真面目な様子でも、ふざけた様子でもなく、至っていつも通りの表情と声色で。
「蝶野って弟がいるんだよな」
「ええ、いますわ。 それがどうかしたの?」
「いや、前から弟がいるってことは知ってたんだけどな、姉弟で魔術会に所属してるってのは珍しいなと思ってな」
僕も、蝶野に弟がいること自体は以前から知っていた。 蝶野もそれを隠すつもりはないようだし、何より苗字が同じなので、総員百名程度の魔術会の中ではだいぶ目立つ。
「まあ、珍しいとは思いますわ。 家守家の人間以外では、わたしくらいじゃありませんの?」
何故、珍しいのかというと、家守家の一族が独占・管理している魔術の情報の一部を得ることのできる人間は、ある条件を満たす限られた人間だけのはずだからだ。
その条件を満たさなければ、魔術の存在を知ることも、魔術を習得することも叶わない。 条件を満たす者のみに、魔術会に所属することが許されるというわけだ。
その条件というのはもちろん、魔術のことを外部の人間に漏らさないことだ。
当然、そんな約束、口だけではどうとでも言える。
だから、結局は家守家側が、様々な点から相手が信じるに値する人物かどうかを判断する。
例えばどのような人間が協会に入ることを許されるのかというと、これは当たり前だが、家守家そのものだ。
家族なのだから、むしろ魔術会に入れた方が安心とも言えるかもしれない。 現に、家守家の三姉妹は全員が魔術会所属だ。
次に、以前から家守家と親交のあった人間だ。
詳しい経緯はわからないが、魔術会会長であり、家守家当主でもある家守恭介が魔術会を設立する以前より、家守恭介と繋がりのある人物には家守家も特別な待遇をしているようだ。
中には、共に魔術会設立に携わった人物もいると聞いたことがある。
ここまでの例は、魔術会の人間全体から見れば少数の例だったりする。
一番多いのは、次の例。
要は、天涯孤独の人間だ。 自分以外に頼れるものが何もなく、人知れず消え行く運命を背負った者。
言ってしまえば、家守家の人間にとって、処理しやすい人物だということ。
あんまりこんな物騒なことは考えたくないが、口封じなどの為に殺されることがあったとして、知り合いや友人、家族がいる人物よりも、知り合いも友人も家族もいないような人間の方が周囲に与える影響は少ないというわけだ。
「蝶野は別に、家守家と元々交流があったわけでもないんだろ? それなのに、姉弟二人で魔術会に所属するなんてな」
「そんなに不思議がることかしら? たった二人のひ弱な姉弟が力を合わせたところで、何にもなりませんわ。 家守家の人間から見れば、特に警戒する必要もなかったんじゃありませんの?」
蝶野の言う通りだ。 蝶野姉弟はむしろ、家守家にとって扱いやすい駒がセットでやってきたくらいにしか思われていないのではないだろうか。
「……確かに、そうかもな。 ところで――」
珍しく、口を挟むことにする。 蝶野と桑羽田が、僕に注目する。
「僕たちはどこへ向かっているんだ?」
「あ……」
話しながら道を歩いていたからか、駅を通り越していた僕たち三人。
「おいおい、宇治。 気づいてたのならもっと早くに言ってくれよ」
「僕も今気づいたんだ」
「大丈夫かしら、あなたたち。 まだ午前中だからってあんまりボーッとしていると、危険ですわよ」
「どの口が……。 蝶野も一緒に歩いてたろ」
「わ、わたしは、当然途中で気づいてましたの! あなた達を試していたのですわ!」
なんてわかりやすい嘘なんだ。
とまあ、そんなこんなで駅に辿り着き、電車に乗って、次の街にやって来たわけだが……。
「お腹、減ったな」
「ああ、減ったな」
「ええ、減りましたわ」
普段は息の合わない三人が、珍しく息ピッタリだ。 同じタイミングで腹が減る。
「すぐそこにあるファミレスにでも行くか?」
「ええ、そうね。 そうしましょう」
こうして僕たちは昼食を摂る為にファミレスへと向かうことにした。




