崩壊
「なあ、普通ってなんだよ。 普通ってのは、本当は普通じゃないんじゃないか? 普通普通って、簡単に言うけど、普通ってのはとても難しいことなんじゃないか? お前の言う普通にさえ手が届かない人間はどうすりゃいいんだ? おい、聞いてるのかよ」
何を言うのかと思えば……。
普通とは何かだなんて、面倒くさい話を掘り下げる気は殊更ない。
そもそもわたしの言う普通は、そんな深い意味もない。
こんなに普通普通言われると、普通がゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。
「聞いて、ますけど……」
「なら答えてみろよ。 普通に生きるって、どう生きることなんだよ!?」
「えっと……」
何か、様子がおかしい。
「早く答えろよ!」
「………………」
冷静に、薊海里を見据える。 何かを企んでいるのではないだろうか……?
「……くくくっ!」
「………………!?」
「くはははははははははははははははは!」
不快に響き渡る哄笑。 警戒心が高まる。
「……もう遅いぞぉ? 女、お前が間抜けで助かったよ。 さっさと死ねッ!!」
「えっ――!?」
気づかなかった。
薊海里の視線を追い、頭上を見てみると、そこには鋭く研ぎ澄まされた、巨大な氷の柱があった。 上級魔術クラスの威力はありそうだ。
いつから……?
わたしが、拘束魔術を使用してからだろうか?
途中からの会話は、全て時間稼ぎ……!?
それよりも、上からの攻撃をどう防げば――。
「……………………」
上級魔術で相殺するのは、どうだろうか。
……いや、それは難しいだろう。 わたしの上級魔術は、一点特化の攻撃。 的が小さければ小さいほど、命中させるのは難しくなる。 的が動けば尚更だ。
かといって、広範囲に向けた魔術で迎い撃っても、威力で劣るならば氷の柱はわたしの攻撃を容易に貫通してしまう。 攻撃でどうにかするのは、無理がありそうだ。
ならば、気合いで避ける?
幸い、相手の攻撃はわたしに今まで気づかれなかっただけあって、細長く、攻撃範囲は狭そうだ。
わたしの上級魔術と少し似ている。
だけど、気掛かりな部分もある。
それは、鬼山さんの魔術を見た経験があるからこそのものだが、もしかするとこの魔術は、高い命中精度を持っているのでは……?
こういう時の嫌な予感は当たってしまうものだ。 薊海里の、わたしを殺せるとの確信に満ちた顔。 これは、この魔術に何かがあると考えても良さそうだ。
だとしたら、逆転の発想だ。 わたしに狙いを定めた攻撃ならば、うまく迎撃してしまえばいい。
先程は一度取り下げた、上級魔術による相殺という選択肢を取る。
無駄を排除するイメージ。
今は一刻も早く、魔術を発動しなければ。
その為に余計なモノは、要らない。
「…………よし」
……まさか、実戦でうまくいくとは。
今までで一番早く、雷の槍を形成する。
しかし、残された時間はもうない。 後はもう、自分の感覚を頼りに身体を動かすのみ。
当然敵の攻撃は、都合よくわたしを待ってくれない。 もうわたしのすぐ目前に迫っていた。
こんな至近距離で相殺しても、無傷とはいかないだろうなとは考えなかった。
後先考える暇はおろか、思考する暇さえなかった。
自分が何者かも忘れ、ただある一つの行為を成し遂げる為に動作する存在となった。
「なっ…………!?」
結果、迎撃に成功する。 が、当然、上級魔術同士がぶつかり合うからには、大きな衝撃が発生する。
その衝撃で、全身にダメージを受ける。
「…………くっ」
ダメージを受けて怯みながらも、薊海里の姿を逃さないように目で追う。
何故なら、拘束魔術を発動中、わたしは他の魔術を発動することができなかったからだ。
そんなわけで、雷属性の上級攻撃魔術を使う際、薊海里の拘束を解く必要があった。
だから、薊海里は今、拘束魔術から解放されている。
「残念でしたね。 わたしはこの通り、まだ生きていますよ」
「……くくく! まだ生きている? 言っただろ、もう遅いってなぁ!!」
「……えっ?」
薊海里の言う通り、わたしは間抜けだった。 いつも、鬼山さんに言われていたのに。 あらゆる可能性を想定しろと。
……気づいた時にはもう遅い。
振り向くと、そこには今にもわたしを噛み砕こうと迫りくる、魔物の姿が。
魔物はまだいたのだ。 薊海里は嘘を言っていた。
敵だから、当然といえば当然だ。 騙されたわたしが悪い。
そもそも、何故廃墟内にまだ魔物が潜んでいると考えなかったのか。 鬼山さんの探知魔術も完璧ではない。
探知魔術も魔術だ。 あれだけ戦闘に魔術を使用してしまえば、探知魔術も使えないだろう。 わたしは鬼山さんの探知魔術に頼りすぎていた。
ああ、そっか……。 もしかすると、さっきの薊海里の上級魔術も、魔物の接近を悟らせない為のカモフラージュだったのかも。
何せ、ちょうどわたしのいる背後に屋内への扉があるのだから。 不意打ちするにはちょうどいい位置関係だ。
わたしは、ただ力を与えられただけだと薊海里を舐めていた。 彼は、この窮地を脱する手をちゃんと用意していたのだ。
これは、もう、認めるしかない。
わたしの負けだ。 わたしは、殺されてしまう。
「伏せろ!」
「……っ……!?」
生存を諦めかけていたわたしの脳が、その声に反応する。 わたしの脳は、この声を知っている。 忘れるわけがない。 信じることのできる声だ。
「鬼山さん……!!」
生きるため、声に従う。 わたしは伏せる。
次の瞬間――。
聞こてきたのは、魔物の悲鳴と、稲妻の走る音。 何が起きているのか、すぐにわかった。
「どうやら耐性魔術はちゃんと使用しているようだな。 もし使用していなかったら、お前もこの魔物みたいになっていたかもしれないぞ」
「……使用しているからって、平気なわけじゃないんですからね」
安堵からか、全身の力が抜ける。
泣きそうになる。
けれど、まだ泣いてはいけない。
「な、何故だ!? 何故、お前が……。 もう動けないんじゃなかったのかよ!」
薊海里は鬼山さんがここへ来るという予想をまったくしてなかったのか、驚きを隠せない様子だ。
「お前は俺の何を知っているんだ?」
「は……?」
「俺の身体能力や知能はどの程度か。 どんな魔術が使えるのか。 何回くらい魔術が使えるのか。 身長、体重はいくつか。 年齢。 家族構成はどうか。 好きな音楽は何か。 好きな食べ物は何か。 趣味や特技は。 挙げればキリがないが……。 これらの内、お前はどれだけわかることがある?」
「し、知るかよ……。 それがどうしたってんだ」
「俺の情報をまったく知らない癖に、俺がもう完全に動けないと決めつけたのか。 甘いな。 それにお前、靴の裏にすべり止めか何かはつけているのか?」
「なんでそんなもんつけなきゃ……」
「氷属性魔術を扱う魔術師は、スパイク付きの靴を履くなりして、凍りついた地面に対応できるようにしておくのは基本だぞ。 自分の魔術で転んだりするのは馬鹿らしいだろ?」
「そんなの、転ばなきゃいい話だろ!」
わたしを背後から襲おうとした魔物は、鬼山さんの攻撃により倒され、黒い砂と化していた。
今度こそ、魔物はもういないだろう。 一応、魔物の気配があるか、周囲を観察する。
「転ばなきゃいい? それはお前には無理だ。 断言できる。 お前は、不幸にもその身に余る力を得てしまった一般人にすぎない。 特別なんかじゃないし、元々力なんてものはない。 だから、いい加減、大人しくしてくれないか」
鬼山さんは、いつも通りの悠然とした態度で、薊海里の方へと近づく。
「黙れ……。 黙れよ……! 僕が一般人? あんな辛くて苦しい日々を送り続けた僕が、一般人だと? 何言ってんだ、お前……! 僕は特別だから力を与えられたんだ……。 僕を糞みてえにヌルい人生送ってる一般人と一緒にすんじゃねええええ!!」
「わかった」
「……はぁ?」
「お前はお前の言う一般人と同じではない。 そこは訂正してやる。 そうだな、お前は……」
鬼山さんは、薊海里に軽蔑の眼差しを向けている。 発する言葉には、棘があった。
「……ただの殺人犯だ。 お前も物心がついてから、テレビニュースや新聞なんかで、殺人事件を知る機会はいくらでもあっただろう? お前は、そういった事件を起こした奴らの仲間入りを果たしたってわけだ。 良かったな」
ああ、この人……。 いつも通りのように見えて、薊海里に対して凄く怒っているんだ。
言葉から滲み出る気迫に、わたしも萎縮してしまう。
「ただの、殺人犯……? ただのって、何だよ!? お前には殺人犯が珍しくもない存在だとでも言うのかよ!」
「珍しいものであって欲しいとは思うが、殺人なんて、やろうと思えばそこらの小学生にでもできるだろう。 誰もやろうとはしないだけで、難易度自体は高くない。 殺す対象によっては難易度が跳ね上がるだろうが、そんなもの一握りだ。 そんな殺人をしたところで、凄いとは思わない。 殺人に関していえば、しなかった人の方が褒められるべきだろ。 人助けとは違う。 もしかして、お前は殺人を犯した自分に酔っているのか? だとしたら、笑ってやる」
簡単な話だ。 善行と悪行。
一般的に、前者は推奨され、後者は制止されるべきことだ。
制止されるべきことを成し遂げたところで、誰が賞賛するのだろうか。
いるとすれば、それは狂人や変人だろう。
「お前が自分にどれだけ特別感を抱いたところで、お前以外の人間からしてみれば、お前はただの殺人犯にすぎない。 事件が人々の記憶に残ったとしても、お前が人々の記憶に残ったわけじゃない。 人々の記憶に残っているのは、マスコミなどにより面白おかしく加工された、殺人事件という名のショーだ。 そしてお前はそのショーのアクターにすらなれない。 人形劇の人形のように、操られた存在だ」
「………………」
わなわなと震えて、膝から崩れ落ちる薊海里。
反論はなく、鬼山さんの言葉にただ刺し貫かれていた。
それから、しばらく沈黙が続いた。
わたしも、鬼山さんも、薊海里も、何故か動こうとしなかった。
ただ、静かに時が流れるのを待つだけ。
「…………クソが」
何秒が経過したのだろう。 沈黙を破ったのは、薊海里だった。
「ようやく理解した……。 僕もそこまで馬鹿じゃない。 僕は、踊らされていたんだ。 あの、悪魔に……!」
「悪魔……?」
鬼山さんは悪魔と聞いても何のことやらと言った顔をしたが、わたしにはわかった。 薊海里に力を与えた人物のことを指しているのだろう。
「でも、別にいいよなぁ!? 踊らされていようが……。 僕は、ずっと殺したかった奴を殺せた!」
立ち上がり、フラフラとした足取りでフェンスの方へと移動する薊海里。
無闇に近づくのは避け、薊海里の動きに注意を払う。
「どっちにしろ、僕は幸せになれなかったんだ……。 あいつらのイジメの標的になった時点で、僕の人生は……」
「まさか、あいつ……」
鬼山さんの表情が険しくなる。
「お前らが僕を殺さないと言うのなら――」
わたしも薊海里が何をしようとしているのか、理解する。 理解した時には、既に鬼山さんが動いていた。
「――僕が自ら死んでやる……! 僕には、僕を知る者の生き続ける、この世界が耐えられない……!!」
こちらを見たまま、フェンスに強くもたれ掛かる薊海里。
ここは廃墟だ。 老朽化して錆びついたフェンスに、成人男性の体重を支える耐久力があるとは思えない。
「やめろ――!」
薊海里は、飛び降りて死ぬつもりだ。
どう考えても、この高さから飛び降りれば、人は死ぬ。 当たりどころが悪いだとか以前の話だ。
フェンスの軋む、嫌な音。 心臓がキュッと締め付けられる。
そして、見事にフェンスは倒壊する。
フェンスとして生まれたモノが、フェンスとしての役割を放棄する。 最初で最後の反抗期だ。
「いや……!」
思わず、目を瞑ってしまう。 現実逃避だ。 目の前の現実が信じられない。 目の前に飛び降り自殺をする人なんて、いるわけがない。
そう、わたしはまだ、信じていた。 これは夢だと。 仮に、夢じゃなかったとしても、鬼山さんが何とかしてくれると。
でも。 現実は、残酷だ。 わたしたちの感情に配慮などしてくれない。
「くっ……!」
鬼山さんが苦しげな声を漏らす。
次の瞬間――――。
聞こえたのは、大きくて鈍い音。
空砲のようにも聞こえるこの音は、何かが落下した音だろうか。
何かとは?
……わからないわけがなかった。
目を開く。 フェンスが壊れ落ちた場所に、鬼山さんは立ち尽くしていた。 薊海里の姿はない。
「……間に合わなかった」
「えっ……?」
鬼山さんの方へ近寄る。 そして、鬼山さんの視線の先――外の地面の方を見てみる。
「あ……」
薊海里がそこにいた。
仰向けだった。
頭から赤黒い液体がじんわりと広がるように流れ出し、地面が赤く染められていく。
「うぐっ……」
込み上げてくるものに気づく余裕さえなかった。 頭がクラクラする。
すぐに薊海里から目を逸らす。 屈み込んで、嘔吐する。 最悪だ。
さっきまで、決して楽しいとはいえない会話を交わしていた相手が、死んだ。
人は飛び降りると、ああやって死ぬのか。
死。 人の死を、わたしは見てしまった。
薊海里は、死んだのだ。
どうすれば薊海里の自殺を止めることができたかを考える。
鬼山さんがもし、薊海里の腕を掴んでいたら……。
それでも、肉体強化の魔術でも使用していない限り、持ち上げることは不可能だっただろう。
わたしを助ける為に使用した魔術の発動でさえ、相当無理をしていたはずだ。
流石にもう、余力が残っていないと考えると、薊海里がフェンスに近づく前にどうにかする必要があった。
……やめよう。 今更何を考えたって、薊海里は生き返らない。
何より、薊海里は飛び降りる以外にも、色んな方法で自ら死ぬことができた。
薊海里が自殺を決意した時点で、わたしたちにできることは限られていた。
「……この後、どうしますか」
必死に声を絞り出す。
薊海里が自殺することを、まったく想定していなかったわけではない。 このくらいの覚悟はしていたはずだ。
受け止めなければ、現実を。
「……この場から離れる。 薊海里が死んで、魔物の反応もない以上、ここにもう用はない。 後は誰かが勝手に何とかしてくれるだろう。 俺たちは、証拠を残さずに去ればいい」
証拠。 何かしら残ってしまうのはないだろうか。 ……吐瀉物は大丈夫なのだろうか。
鬼山さんを信じ、ただ言われたままに行動していたけれど、薊海里と遭遇した後の処理をどうするか、あまり話し合っていなかったことに気づく。
「証拠を残さずって……」
「手ならある。 この廃墟を破壊してしまえばいい。 幸い、魔術で派手に戦闘したおかげで、あと少しでも衝撃を与えれば、崩壊するだろう」
「……マジで言ってます?」
「大マジだ」
耳を疑う。 この人、本当はとんでもない馬鹿なのでは……。
「崩壊って……。 いくら廃墟でも、崩壊したら周りに気づかれるじゃないですか! 絶対誰かに見られますよ! それに、わたしたち、怪我してボロボロじゃありませんか……!」
「大丈夫だろ。 この周辺に人はあまりいない。 野次馬もそこまで集まらないはずだ。 何なら、野次馬のフリをしてしまえばいい。 薊海里の死体が発見されれば、そっちに注目が集まるだろうしな」
死体。 死体を思い出して、気分が悪くなる。
今度は込み上げてくるものはなかったが、頭の奥に鉛玉でも詰め込まれているかのような重さを感じた。
「とにかく、この廃墟から出るぞ。 細かい話はその後だ」
わたしも鬼山さんも、何とか廃墟から出ることはできた。
途中の記憶は曖昧で、前へ前へと必死に足を踏み出していたことだけは確かだった。
「どうやって廃墟を破壊するんですか?」
「屋上へ向かう前に予め、仕掛けておいた魔術がある。 俺の任意で、炸裂する電撃球だ。 あんまり離れすぎていたら作用しないが、半径一〇〇メートルくらいなら作用する。 もう少し、廃墟から離れるぞ」
そう言われ、共に移動する。
「この辺りでいいだろう」
鬼山さんが立ち止まる。 上を見てみると、赤く染まっていた空は、すっかり夜に侵食され始めていた。
「行くぞ。 崩壊したら、振り向かずに真っ直ぐホテルへ戻る。 いいな」
「……はい」
そして、鬼山さんが魔術を発動する。
大きな破裂音の後に、空気を打ち震わせる地鳴りのような音。
音は更に大きく。
それでもわたしたちは、振り向かない。
途中、人とすれ違う。 廃墟が倒壊した音に驚き、騒ぎ立てる者たちだ。
幸い、わたしたちよりも崩壊する廃墟に注目が集まり、誰に声をかけられることもなく、先へ進むことができた。
何人目とすれ違った時だろうか。 隣に鬼山さんがいないことに気づく。
後ろにいるのかと思い、振り向くと、そこには崩れ去った廃墟の方を見ている鬼山さんの姿があった。
「……振り向かないんじゃなかったんですか?」
「ここまで来たのなら、大丈夫だろう」
鬼山さんの視線の先。
僅かに残る夕日に照らされ、赤く染まった瓦礫たち。 なんて、退廃的な光景なのだろう。
「……蕭条」
「はい」
「人が死ぬのは、良くないな」
「……ええ」
「本当に、良くない」
「…………ええ」
その時、鬼山さんがどのような表情をしていたのか、わたしは知らない。




