ケルベロス
「え……」
もしかして、絶望感のあまりに正常な判断ができなくなっているのでは? これは、マズい――!
「な……、何言ってるんですか! 何事も命あってこそ、ですよ!? ここで無理して戦っても――」
「四体なら、なんとかなる。 まあ、落ち着いて見ていろ」
そう言って、何やら魔術を発動する鬼山さん。
「これは……」
一瞬、赤い光で覆われる鬼山さん。 これは、強化魔術だろうか。
強化魔術には、大きく分けて二種類ある。
術者が術者自身のみを強化する魔術と、術者が他者のみを強化する魔術だ。
中には、自身と他者、両方に効果のある強化魔術もあるらしいが、わたしは見たことがない。
圧倒的に多いのは、前者だ。 後者は、術者の力量によってはとんでもない効果を発揮する為、希少だということだろう。
ちなみに、前者の中でも、肉体強化魔術は比較的多くの魔術師が中級程度までなら習得することが容易なほどに、適性がそこまで求められないらしい。
それこそ、各属性の攻撃魔術なんかと比べると、だいぶ。 魔術は種類によって習得の難易度に差があり、謎が多い。
そして、今鬼山さんが使用した魔術は、恐らく肉体強化魔術だ。 以前、同じような魔術を使用していた人を見たことがある。
外見上の変化はほとんどないが、身体能力が飛躍的に向上しており、文字通り強化された肉体により、攻撃力も防御力も素早さも上昇している。
中には、攻撃力だけに特化した強化魔術、防御力だけに特化した強化魔術、素早さだけに特化した強化魔術なんかもあるらしいが、どれか一つだけに特化というのはやはりバランスが悪く、上級者向けだ。
重ね掛けができれば話は別なんだろうけど、重ね掛けは不可能に近い。 何故なら、そんなに複数の強化魔術を維持するだけのエネルギーを持つ人間がまずいないからだ。 あまりにも、体に負担がかかりすぎる。
だから、今鬼山さんが使用しているであろう肉体強化魔術なんかの方が、一種類の魔術で攻撃力も防御力も素早さも上昇し、バランスが良くエネルギー消費も抑えられ、コストパフォーマンスが良い。
「まさか……」
しかし、コスパの良い肉体強化魔術を発動したからといって、この状況をどうにかできるものとは思えない……。
あくまで鬼山さんが得意なのは、雷属性の攻撃魔術なはずだ。 その魔術で攻撃した方がまだ勝機があるのでは……?
「鬼山さん、何を……!?」
例のごとく、魔物たちは魔術を発動した鬼山さんにしか眼中にない様子。
これは、もう魔物の習性として報告しても良いだろう。 魔物は魔術の発動に対して強く反応するようだ。
よって、わたしよりも鬼山さんに注意が向けられている。 わたしが攻撃されるとしたら、魔物が鬼山さんを殺した後なのだろう。
鬼山さんが殺されるまでわたしが魔術を発動しないということはまずありえないだろうけど。
「し……、死ぬ気ですかっ!?」
その、魔物に注意を向けられている鬼山さんが、魔物たちの方へ向かってゆっくりと歩いている。
魔物の警戒心がより一層高まる。 すぐにでも、攻撃を繰り出しそうな体勢になる。
それにもかかわらず、歩みを止めない鬼山さん。
まさか――。
「っ――!?」
攻撃魔術を使用する素振りもなく、武器も何も持たないまま、近接戦闘をするつもりなのだろうか……!?
わたしはこの状況で、どう動くべきなのか。 下手に動くよりは動かない方が良いのだろうか。 混乱する。
次の瞬間――。
『ギュラアアアアアアアアアアア!!』
魔物が雄叫びを上げながら、鬼山さんに襲いかかる。 四体、同時にだ。
迫りくる死の爪。 人の体など、骨まで切り裂いてしまいそうなほどに鋭い凶器だ。
その凶器は、禍々しい肉体により素早く振り下ろされるが――。
「こっちだ」
振り下ろしたその先に、鬼山さんは既にいなかった。 軽やかな身のこなしで魔物の攻撃を回避した鬼山さんは、攻撃直後で隙のある一体の魔物の腹部を蹴り上げる。
『グギャァ!?』
「やはり、腹の辺りはだいぶ柔らかそうだな」
……信じられない。 本当に、あんな化け物と近接戦闘をするつもりなんだ。
「遅いぞ、間抜け」
しかも、今のところ鬼山さんが優位に立っている。 四体の攻撃を見事に躱し、急所に向けて拳や蹴りを叩き込んでいる。
「群れで狩りをするのなら、もう少し頭を使え」
一体の魔物を蹴り飛ばし、もう一体の魔物に衝突させる。 敵が複数である点を利用した、攻撃。
「す、凄い……!」
完全に、鬼山さんが圧倒している。 これほどまでに一方的な戦いになるとは思わなかった。 というか、あんなに近接戦闘できる人だったんだ……。
「……さて、そろそろ仕留めるか」
よく見ると、鬼山さんはただ回避と攻撃を繰り返していたわけではなかった。 四体の魔物を、部屋の角に追い込んでいたのだ。
「蕭条。 一応伏せておけ!」
「えっ!?」
言われるがままに、伏せるわたし。 それと同時に、青い電撃を迸らせる鬼山さん。
最初の十体を倒した上級魔術とは違う……!
何より、これは……。
「……………………!?」
思わず絶句する。 何故なら、鬼山さんは今まで見たことのないほど特大の雷を発生させていたからだ。 それを、ここで解き放つつもりなのだろうか……? この廃墟が崩壊してしまいそうだ。
「はぁぁぁぁぁぁ……!」
四体の魔物が反撃の爪を繰り出そうとする直前。 鬼山さんが特大の雷を解き放つ。
広範囲の雷は、四体を丸呑みにする。
『グギャアアアアアアアアアアアア!!』
雷に呑み込まれた魔物たちは、苦痛の叫びを上げる。 鬼山さんの強打により蓄積したダメージも相まって、この一撃は魔物にとって致命的な一撃に成り得た。
「……鬼山さん、上級の雷属性攻撃魔術、二つも使えたんですね」
「まあな。 今のを基本にアレンジを加えたのが、最初に使った方の上級魔術だ。 今のは単純に範囲と威力が大きいだけだからな」
……それでも充分すぎる気がする。
「黒焦げ、ですね」
「……どうやら四体共倒せたようだな」
四体の双頭の魔物が、ボロボロと崩れ去っていく。 なんとか廃墟は崩壊せずに済んだけれど、今の衝撃で相当崩れやすくなったのには違いない。
「色々聞きたいことはありますけど……。 今はいいです。 それよりも、もう魔物は……」
「……いや、まだだ」
「えっ……! まだ魔物がいるんですか!?」
「魔物だけじゃない……。 奴もいる」
「奴って……」
四体の魔物が現れた扉の方を見る。 一瞬、何かが輝いたような……。
「くっ……!」
「へ……?」
体がふわっと浮き上がる。 これは、誰かに抱え上げられているからだ。
……誰に? それはもちろん、鬼山さんに。
わたしは今、鬼山さんに持ち運ばれていた。
「わわっ……!?」
そして、持ち運ばれたまま、高速で移動。 着地時の衝撃をこの身に受けまくる。
「氷……?」
何が起きているのか、ようやくわかる。
先程から、あの扉の奥から氷の礫が数発射出されていたようだ。 礫が壁に衝突し、大きな音を響かせている。
「下ろすぞ。 下手に動き回って的にならんようにな」
「きゃっ……!」
敵の攻撃が止んだところで、下ろされるわたし。
「いっ、今のは……!?」
「薊海里の攻撃だな。 どうやらすぐ近くまで来て――」
「……へぇ。 僕の名前を知ってるんだな」
「……………………ッ!?」
扉の奥から姿を現したのは、あの時会った眼鏡の男。
「……噂をすれば、なんとやらだな」
この眼鏡の男が、薊海里本人だ。 東日本連続猟奇殺人事件の犯人であり、わたしたちとは別の方法で魔術の力を得た人物でもある男。
「色々と調べさせて貰ったぞ。 少なくとも四人を殺した上、お前の生まれ故郷であるこの地で、更に人を殺すつもりか?」
「ハハッ! 僕があの四人を殺したと知っているわけか! ……そうだと言ったら、どうするつもりだよ?」
「全力で止める。 それだけだ」
「ははははは! 全力で止めるって? 何なんだよお前たちは! あの時も僕の邪魔をしやがって……!! あれか? 正義感に駆られて僕を裁きにやってきたってか?」
胸に突き刺さるような敵意。 それを浴びてもなお、いつも通り冷静な面持ちの鬼山さん。
「別に、そんなんじゃない。 お前が魔術と無関係だったら俺たちはお前を追うこともなかった。 お前が魔術を使用している以上、俺たちはお前を野放しにしておくわけにはいかない」
「ふん……。 野放しにしておくわけにはいかない? 僕を捕まえて、僕が魔術で悪さをしないように、柱にでも括り付けておくつもりか?」
「完全に無力化するのなら、それでも足りんだろう」
「じゃあなんだ? 僕を殺すか!?」
「出来れば殺したくないが、お前がこれからも魔術を使い人を殺そうとするならば、そうせざるを得まい」
「……はぁ? 何だ、そりゃ……。 確かに僕は人を殺した! だけど、お前たちも僕を殺すのなら、僕と同じ人殺しになるってことだろぉ? どんな理由があろうと、人を殺したら殺人者になるんだぜぇ? そこんとこわかってんのかぁ?」
そんなことは知っている。 わたしたちは、その覚悟を昨晩確認しあっている。
「……そうだな。 じゃあ、俺たちが殺人者にならんよう、大人しく降参でもしてくれないか」
「ふざけてんのか!? 降参なんてするわけねーだろ!!」
「……なら仕方がない。 お前を止める為に、俺たちは罪を背負おう。 感謝はしてくれなくていいぞ。 別に、俺たちはお前に俺たちの正義を押し付けるわけじゃない。 これはただの仕事だ。 身に危険が伴う割には報酬の少ない、あまり人のやりたがらない仕事だがな。 ……行くぞ」
そう言って、薊海里に向かって飛び掛かる鬼山さん。 接近戦ですぐに片を付けるつもりだろうか。
「僕を守れッ!! ケルベロス!!」
突然、ギリシア神話に登場する三頭の犬の魔物の名を口にする薊海里。 すぐに、その名を呼んだ訳を理解する。
「何っ……!?」
扉の奥の暗闇から、鈍い歩行音を響かせながら迫り来る、大きな黒い影。
「そ、そんな……!」
薊海里に向かって飛び蹴りする鬼山さんの前に立ちふさがったのは、まるで神話の再現でもしたかのような、三つの頭を持つ魔物だった。
先程戦った双頭の魔物四体を中型、最初に戦った十体を小型とするのなら、この魔物は大型だ。 先程戦った個体よりも、更に一回り大きい。
つまりは、この魔物こそが、群れのボスだったというわけだ。




