蟻塚美門と雨の日
※第二章の最初は、第一章『人見啓人と雨の日』~『深夜の邂逅』までに蟻塚美門の身に何があったのかを中心にした話を書いていきます。 四話ほどで終わります。
朝。 いつもより早く、蟻塚美門は目を覚ます。
無駄に広い家の中、一人で迎える朝の時間。
美門の両親は既に外出しているようだ。
(ホント、わたしにはとことん放任主義よね……)
両親は美門に対し、あまり干渉しようとしなかった。
……美門に対して、は。
ここ最近両親は、実家を離れ社会人として働く兄の家へ遊びに行っていた。
蟻塚克也。
今年で二十三歳になる、蟻塚家の長男。 あらゆる面で有能な兄。
年が離れていることもあり、美門と克也はあまり親しい兄妹関係とは言い難い。
大学進学早々に家を離れたこともあって、一緒にいた期間もそこまで長くない。
そんな兄は長男ということもあり、両親の愛をその身にいっぱい受けてきた。
まず、アルバムの写真の枚数が違う。
初めて美門が兄と自分のアルバムを見比べたのは、美門が十ニ歳の頃。
事あるごとに写真を撮られていた兄と違い、美門の写真の数はあまりにも少なかった。
当然、美門も十二歳の子供なりに色々と理由を考えた。
単純に、初めて授かった子だからたくさん写真を撮ったのだろうとか、よくありそうな理由を。
実際、その理由もあるだろう。 最初の子では色々と張り切りすぎたが、次の子で同じようなことをするのは……といったことはあるはずだ。
それでも……。 あまりにも両親は、自分に対する関心が薄いのではないかと美門は思っていた。
両親に、もっと愛されたい。
親の愛を求めない子供が、いるだろうか。
愛されたい一心で、美門もそれなりに努力し続けた。
けれど……。 両親の視線は、いつも兄の方を向いていた。
美門は諦めた。
そしてある日、わかってしまった。
どうして両親はわたしに無関心なのか。
(だって、わたしは……)
カーテンを開けて、外を見る美門。
六月になってから、早くも一週間ばかりが経過していた。
梅雨入りし、すっかりジメジメとした天気の続く日々。
美門は、雨が嫌いだった。
理由は簡単。 濡れるのが嫌だから。
今日も、外は雨が降っていた。 ただでさえ、外出を避ける美門に、外へ出るなと言っているようなものだ。
しかし、美門は今日、外へ行かなければならない。 学校をサボりすぎたからだ。
両親は強く美門に何かを言ってくることはないが、卒業できないなんてことになったら、流石に不味い。
卒業できる程度の出席日数は満たしておかなければならない。
「……これでいいか」
母親がいない時、美門の朝食はコンビニで買っておいた菓子パンになる。
そんなに美味しくないけれど、手軽にお腹を満たすのにはちょうどいい。
朝食を済ませ、身だしなみをチェックし、久しぶりに制服に着替える。
衣替えの時期であることに気づき、美門は夏服で登校することにした。
「……行ってきます」
家を出る、美門。
部活動に入っているわけでもない生徒にとっては、無駄に早すぎる登校。
早く学校に着いたところで、何かやることがあるわけでもない。
それでも美門は……。 今日は早く家を出たい、そんな気分だった。
久しぶりに校門を通り抜ける。
廊下の窓は、湿気で落書きが書けるくらいに曇っていた。
「………………」
なんとなく、美門にイタズラ心が芽生える。 周りには誰もいない。 何か、書いてみようか。
「……これでよし」
ラクガキ禁止!
我ながら、良いセンスをしていると、美門は自画自賛する。
ほんの少しだけ良い気分になりながら、美門は教室に入る。
部活動で早くに来た生徒の鞄が机の上に置いてあるものの、教室には誰もいなかった。
自分だけしかいない、教室。
美門は自分の席に着き、頬杖をついて、外を眺める。
美門の席は、窓際の方にある。 どうせなら、一番窓側の席が良かったなと美門は思うが、しょうがない。 左隣には先着がいる。
その先着は、五月になった辺りから学校に来なくなっていた。 このまま不登校になる可能性が高いだろう。
そんなことを考えながら、ボーッと過ごすこと、数分。
朝練のない生徒が次々と教室に入ってくる。
(……鬱陶しいわね)
珍しいモノを見るような視線。 この教室において、美門は悪い意味で目立つ存在だった。
こんな場所で、毎日を過ごさないといけないだなんて……。 美門の内に、胸が締め付けられるかのような嫌悪感が湧き上がる。
そんな嫌な気分を紛らわすように、暇つぶしにと持ってきた文庫本を読み始める美門。
昔から、美門は周囲の人間と馴染めなかった。
『美門ちゃんって、普通じゃないよね』
幼い頃、美門が誰かに言われた言葉。
未だに時折思い出す、美門にとって嫌な記憶。
当時はこの言葉がとても悲しかったけれど、今は違う。
(今のわたしなら、あなたたちの普通をわたしに押し付けるなと、ハッキリ言い返してやるわ……)
だって、そうでしょう。 と、美門は思う。
なんで、わたしが普通ではないと、周りから否定されなければいけないの?
わたしが正しくて、周りが間違っている。 あなた達が普通じゃない。 そういう考え方もあるでしょう?
更に言えば、そもそも周りの言う普通とは、そんなに素晴らしいものなの?
わたしにはそう思えない。 だから、普通じゃないと言われたところで、悲しむ必要なんてなかったんだと。
「………………?」
また一つ、珍しいモノを見るような視線。 しかも、美門の方へ近づいてくる。 その人物は、
(……驚いたわね。 もう、来ないと思っていたのに)
美門の左隣の生徒だった。
(名前は確か……。 人見、啓人……だったかしら)
クラスメイトの名前を全て覚えているわけではないが、流石に左隣の生徒の名前くらいは覚えていた。
美門は人見啓人とまともに会話したことがない。 それに、あまり良い印象を持っていない。
人見啓人から、どこか不気味というか、異質というか、嫌な気配を感じていたからだ。
生理的に無理……というのに近いものだろうか。
美門は、自分でもこんな理由で人を嫌悪することは今まで無かったから、不思議に思っていた。
その人見啓人が、先程から美門の方を見ている。
(何なのよ、一体……)
流石にスルーできないほど不快だから、そんなに見てくるなとの意思をしっかり伝えてやろうと美門は思った。
「……何よ?」
「いや、珍しく学校来てるなと思って。 まさか、そっくりさんじゃないよな? 双子の姉妹がいるとか」
何を言い出すのかと思えば……。
「そんなわけないでしょ」
そう言って、ゴミを見るような目で人見啓人を一瞥する。 冗談にしてもつまらない。
……つまらない。 最近の美門を支配する、一つの感情。
「……冗談はさておき、蟻塚はどうして学校サボりまくっているんだ?」
美門は人見啓人が会話を続けてくるとは思っていなかった。 何より、美門自身が会話を続けようとする気なんて、まったく無かったからだ。
無視しても良かった……が。 無視するのは楽なようで、逆に面倒くさいこともある。 余計な反感を買うのも面倒ということだ。
「…………学校、つまらないから」
とだけ、美門は言葉を発してみる。
「今日来たってことは、何かしら面白いものがあると期待してるってこと?」
会話が更に続く。
「違うわ。 単純に、卒業できる程度には出席しておこうと思っただけ」
「今の内からこんなに休むと、もっと登校する気がなくなる冬とかが大変だぞ」
会話をこれ以上続けるのが、面倒くさくなる。
「そうね」
と言って、終わらせる。
どうやら、人見啓人もこれ以上会話を続けようとはしてこないようだ。
(これでいいのよ……。 今日はこのまま、話しかけてこないで欲しいわね)
チャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。
以前、美門は外で家族と買い物をしていた担任教師を見かけたことがある。
最初、担任だと気づかなかったくらいに、その時は柔らかい表情をしており、今の堅い表情を見せる担任とはまるで別人のようだった。
公私をキッチリ分けているのだろうけど、あまりにも分けすぎな気もすると美門は思う。
「今日の欠席は…………。 なしか。 遅刻もいない。 珍しいな」
教室内が軽くざわつく。 全員無遅刻無欠席が珍しい状態のクラスを受け持つことになって大変だろうなと、美門は担任に同情する。
(……欠席率の高いわたしに同情されても、嬉しくないだろうけど)
一限目が始まる。
久しぶりの授業は、相変わらず退屈なものだった。
一人で教科書でも読んでいたほうが、まだ無駄な時間を過ごさずに済むだろう。
そんな風に美門が思ってしまうほど、この授業は非効率的で中身がない。
こんな授業を真面目に聞き、黒板の内容をただ何も考えずノートに書き写しているような生徒たちを見ていると、本当に馬鹿だなと美門は思っていた。
「………………」
美門は、先程まで読んでいた文庫本の続きを読むことにした。
美門は特別読書が好きというわけではない。 ただ、こういう時の暇つぶしに最適だと思うから、定期的に文庫本を購入しているだけだ。
好きなジャンルというのも特になく、作品を選ぶ基準は裏表紙に書かれた内容説明を読んで、興味を持ったかどうか。
だから、選んだ作品がホラー小説の時もあれば、恋愛小説の時もある。 美門が興味を持ったという点以外、一貫性はまるでない。
「……というわけだ。 次回は今回やったところをちゃんと理解しているか、確認するからな~」
授業が終わり、チャイムが鳴る。
次の時間も、次の次の時間も、特に問題はない。
真面目に授業を受けても良し、授業を聞かずに本を読んでいても良しだ。
美門にとっての問題は、四限目。 体育の時間。
テキトーに理由をつけて、サボってしまおうとも思った。
けれど、今までサボりすぎたこともあり、サボるわけにもいかず。
「優子~! 着替えに行こー!」
「んー。 ちょい待っててー」
ついにやってきた体育の時間。 美門は渋々参加することに。
女子更衣室へ着替えに向かう美門。
着替える際、どうしても向き合うことになる、この無駄に大きい自分の胸。
無いよりはあったほうがいいのかもしれないけれど、それにしても、ここまでは必要なかったなと美門は思う。
こんなに大きくなったところで、いやらしい視線を浴びるだけ。
美門の胸が急成長したのは、中学二年生の頃だった。
男子たちは、「蟻塚って、胸でかくね?」と、見ればわかるようなことを仲間内で確認しあっていた。
やたらと美門の胸を見てくる男子もたくさんいた。 見られていることに、わたしが気付いていないとでも? と、美門は内心蔑んでいた。
胸が大きくなってから、体育の時間は最悪だった。
運動をすると、どうしても胸が揺れる。
それだけでも周りからの視線が気になって嫌なのに、その上痛いのだ。
調べてみると、あんまり胸を揺らしてしまうと、クーパー靭帯というものが切れて、胸が垂れてしまうらしい。
垂れるのは嫌だ。 かといって、胸を揺らさないように運動をすることは、どう考えても不可能。
美門は当時、悩んだものだ。 相談できる友人もいなかったし、母親にも相談する気にならなかった。
自分で調べて、解決するしかない。 そうして知ったのが、スポーツブラの存在。 以下、スポブラ。
あんなの、小学生がつけるもの。 子供用の、ダサいブラ。
そんな風に美門は思っていたけれど、スポブラという名前の通り、運動時に胸を保護する能力は高いらしく、胸の揺れをだいぶ抑えることが可能だとか。
体にちゃんとあったサイズのものを買わなければ、せっかくの保護能力も発揮しないということで、美門は慎重にスポブラ選びをした。
そして購入したスポブラを装着し、初めて参加した体育の快適っぷり。 美門は感動した。
そんな感動も色褪せ、現在高校二年生の美門は、あろうことか体育があると知っていながら、スポブラを用意せずに登校してしまった。
(……あんまり激しい運動をしないようにするしかないわね)
と考えた美門だったが、
「今日バスケやるんだってー」
「えー! あたし、バスケ苦手だな~」
……激しい運動、しないようにできるだろうか。 美門の不安は膨れ上がる一方だった。




