殺意
※前話に引き続き、イジメ描写あります。 苦手な方はご注意ください。
入学式の朝。 薊海里は生きている心地がしていなかった。
それでも学校へ行く準備を済ませ、家を出る海里。
学校まで進む一歩一歩がとても重く感じる上、頭の中は真っ白だ。 こんな状態で、落ち着いた気分になんてなれやしない。
「よお。 残念ながらクラスは違うみたいだな」
学校に着き、クラス表を確認する海里の背後から、高山の声。
海里の体が震えそうになる。 が、違うクラスであることに対する安堵がその体を支えた。
「安心しろよ、お前のことはちゃんと俺のクラスの奴らに教えてやるよ」
もう、好きにしろ。 と、海里は思った。
(僕はお前と違うクラスになっただけで充分だ……)
そう海里が思えたのは、想像していた地獄の日々よりよっぽどマシな日々が待っていると確信したからだ。
……事実、高校となると、良くも悪くも皆落ち着いていた。
中学まで、気に入らない人間を積極的に攻撃していたような人。 そんな人は高校で、気に入らない人間を避けるように。
嫌なものを排除するのではなく、嫌なものを見ない、触れないようになるということだ。
年齢が上がることによる、他者との距離の取り方の変化だ。
高山や花田も、海里のいない新しい環境に置かれたことで、海里に対する執拗なイジメはしなくなった。
周りの生徒たちもイジメなどすることなく、気に入らない相手には関わらず、気に入った者同士で集まり高校生活を送っていった。
高校三年になるまで、海里は比較的平穏な学校生活を過ごしていた。
友人と呼べるような相手は皆無だが、誰にも攻撃されず、ただ学校と家を往復する毎日を過ごすことができた。
……そう、高校三年になるまでは。
「まさか、高山と薊が俺と同じクラスになるなんて、驚いたわ」
花田の声。 海里は、自分の心臓が冷たい手で鷲掴みにされたかのような感覚に陥る。
「ほんとほんと。 中学の頃を思い出すよなー。 なぁ、薊」
高校三年にして、高山と花田と同じクラスになってしまったという事実。
高山も花田も、気味が悪いくらいに嬉しそうな顔を見せる。
「あーあ、ついこの間高校入学したような気がするのに、もう受験生だぜ? 三年になるの、はえーな」
「ほんとほんと。 これから受験勉強し続けなきゃいけねーのかと思うと、気が重くなるよなぁ?」
中学時代に植え付けられた恐怖心がじわじわと蘇ってくる。 頭の奥の方から何かが押し寄せて、海里はうまく思考ができなくなる。
「受験勉強ばっかしてっと、運動不足になるよな」
「運動不足はよくねえよな」
高山と花田が薄気味悪い笑みを浮かべる。
「なあ、“運動”しねーか?」
「いいな、それ。 何するよ?」
(やめろ……)
「サッカーでもすっか?」
「サッカー? 外まで行くのだるくね?」
「教室でやろうぜ」
「ボールはどーすんだよ?」
「ボールはこれでいいだろ」
海里は高山に、自分の筆箱を掴み取られる。
「行くぞ! へい!!」
思いっきり蹴られる海里の筆箱。
「あーあー。 ボールが壊れちまったよ。 ボールペンもな!」
「それ、ボール違いだろ! ぎゃはは!」
中身のシャーペンやら消しゴムがバラバラに散乱する。
「新しいボールを使うか」
今度は海里の机の上に置いてあった参考書を奪われる。
海里は、抵抗する。
「あ? 邪魔すんなよ。 お前がボールになりてえのか」
真正面から思いっきり蹴られる。 衝撃に眼鏡が吹っ飛ぶ。 幸い、眼鏡は壊れなかったようだ。
「ほら、行くぞ。 シュート!」
海里の参考書が、廊下まで蹴り飛ばされる。
「そのボールも蹴りにくいからこっち使おうぜ」
今度は、海里の鞄が奪われる。 中には教科書やら弁当箱が。
「蹴りごたえのありそうなボールだな」
「俺の本気を見せてやるよ」
高山が、鞄を軽く上に向かって投げる。
「オラッ!!」
鞄が床へ落ちる直前に、高山が渾身の力を込めた蹴りを放つ。 蹴り飛ばされた鞄は、窓に叩きつけられて、大きな音を教室内に響かせた。
「やべっ、窓割れてないよな?」
「おいおい、気をつけろよ高山」
教室内の生徒たちは、大きな音にびっくりして後ろの方を振り向くが、すぐに何事も無かったかのように前へ向き直る。
(おい、お前ら。 見て見ぬ振りするなよ……)
「サッカー飽きてきたな」
(山口。 お前、今さっき目があったよな。 見ちゃいけないものを見たって顔して、目を逸らしやがって……)
「今度は何するよ?」
(佐藤。 気を紛らわせる為か? やけに必死に会話してるな。 俺は何も見ていなかったとでも言いたげな振る舞いしやがって……)
「何すっかなぁ」
(橋本。 途中までこっち来てたのに、なんで引き返したんだよ。 何かヤバそうだから近づきたくないってか? わざわざ遠回りして自分の席に戻りやがって……)
「もう、何でもいいわ。 薊を使ってテキトーに遊ぼうぜ」
イジメを受ける海里に対し、皆が皆、無関心。 高校となると、良くも悪くも皆、落ち着いていた。
ましてや受験生だ。 関わって得しないものに関わってる暇などない。 むしろ、関わって不利益を被る可能性の方が高いのだから。
そんなことに関わるより、自身の受験勉強の方がこの先の人生にとって大事なのだから。
海里は、そんな皆の無関心の範囲に含まれた存在にすぎない。
「ほら立てよ。 一緒に“運動”でもしてストレス解消しようぜ」
海里は別に、誰かに助けて欲しいわけじゃなかった。
「お前、三年間帰宅部だろ? 俺らより運動不足なんだから、これから学校のある日は毎日運動しなきゃな」
でも、これはなんだと、海里は思う。
「俺たち、中学時代からの友達だもんな。 あの頃みたいに楽しいスクールライフをまた送ろうぜ」
まるでこのイジメが行われている世界には、三人しかいないかのよう。
(……違う。 三人だけの世界なんて存在しない……。 この世界にはお前たちもいる)
海里は高山と花田から暴行を受けながら、強く思う。
(見ている。 聞いている。 そして、思い、考えている。 お前たちも、僕と同じ世界で生きている。 お前たちが僕を忘れても、僕はお前たちを忘れないぞ……!)
蹴られ、殴られながら、思い続ける。
(絶対に……。 ……ろしてやる)
薊海里の心はもう、壊れていた。 高山と花田に壊されたのだ。
ただひたすら、行為が終わるまで二人を「殺す」想像を繰り返すだけの壊れた心。
殺人の想像は、唯一の現実逃避。
「こいつ、中学の時より反応が面白くなくなったな」
(そうなったのはお前のせいだろ高山。 お前、僕の脳内では千回以上殺されてんぞ……)
「もっと酷いことすれば良い反応するんじゃね?」
(金魚の糞精神は変わらずだな、花田。 僕は覚えているぞ。 高山と一緒にいない時、僕に睨まれたお前が怯えたことを……)
「もっと酷いことか。 俺、昔と比べると想像力が貧困になっちまったからなぁ」
(こいつらにとって、想像力は人を傷つける為に用いられるものなのか……)
「まあ、これから時間はたっぷりあるんだし、ゆっくり考えようぜ。 薊が不登校にならなきゃの話だけどな」
(……なってたまるか。 今更逃げてどうする。 逃げたら、今まで耐えてきた日々が無駄になる……!)
だから海里は、逃げ出さない。 自殺なんかも考えない。 高山と花田をいつか、想像ではなく、本当に殺すまで。
地獄のような高校生活も終わりが近づき、受験のストレスから海里を虐めていた高山と花田も、流石に海里に構うことは少なくなっていた。
それでも、すっかり壊れてしまった海里が受験勉強に集中できるわけもなく、海里は第一志望の大学に行けるほどの学力を身につけられなかった。
そして海里は、微妙な大学へ進学し、つまらない日々を送り続け、地元からは少し離れた中小企業に就職した。
「薊君、君さぁ、もう正社員なんだよ?」
社会人になったところで、長年のイジメにより壊れた海里がうまくやっていけるはずもなく。
「分かんないことがあったらちゃんと聞けって言ったよな。 お前さ、もっと積極的になろうよ。 ガキじゃねえんだしさぁ……」
海里は、職場ではすっかり浮いた存在になっていた。
「ったく、あの新人使えねーな。 無愛想で何考えてるかわかんねーし。 扱いづれえわ」
「ほんとほんと。 早く辞めてくれないかなぁ。 あんな絵に描いたような腫れ物、マジでいるんだなって感じだよな」
「誰だよあんな奴採用したの。 他にもっとマシな奴いなかったのかよ」
(おい、聞こえてるぞ。 わざとか……?)
周囲からのわかりやすい悪意。 それを受け、前向きに頑張ろうと思えるわけがなく、海里は適当に仕事をするようになっていた。
「これ、何? これで仕事終わりましたって言えるのか? 君、世の中舐めてるでしょ。 嫌なら辞めてもいいんだよ?」
(……うるさい)
こいつらの言葉なんて、テキトーに聞き流せばいい。
そう、海里は思った。 けれど。
「君、ホントとろいなぁ。 できる子なら今頃そんな仕事終わってるよ。 そんなのさ、教えさえすれば、今年で中学二年になる俺の息子だってちゃんと出来るぜ? ホント、君は駄目だなぁ。 君は給料泥棒をしにこの会社に来たのかな? ええ!?」
言葉には意味がある。 ただの音ではない。
意味があるのなら、頭はそれを理解してしまう。
「いつもクソみてえな面で仕事してんなよ。 こっちまで気分悪くなるわ。 邪魔なんだよ!」
「ホントお前、いらねえわ。 死ねよ」
気にしないようにと思っていても、意味を持つ言葉は、海里の心に突き刺さっていく。
「それ、全部やっといて。 終わるまで帰るなよ。 わかってると思うけどさ、退社時間はうまくごまかしとけよ。 サビ残くらいしなきゃ、お前はクビになってもおかしくないんだしさ。 我慢しろよな」
海里の壊れた心は、更にぐちゃぐちゃに。
「え? 辞める? あっ、そう。 給与計算とか色々あるからさ、事務部に迷惑かからんよう、二十日までは働いてね」
逃げる。 これ以上はダメだ。 想像と現実の区別がわからなくなる。
まだ高山も花田も殺していない。 二人を殺すまで、海里は殺人を犯すわけにはいかなかった。
(……ん? おかしいぞ。 なんで僕は、高山と花田を中学や高校の時に殺さなかったんだ?)
そんな疑問を懐きながらも、海里はとりあえず、会社を辞めた。
しかし、働かないことには生活していくことができない。
海里は、転職活動をすることになった。
だが、たいした大学を出ておらず、入社して一年も経たず辞めてしまった海里が、まともな企業に転職できるはずもなく。
「労働基準法なんてさ、何にも社会のことわかってない奴らが決めたルールなんだよ。 わかるか? うちの会社みたいなとこが真面目に労働基準法守ってたらさ、潰れちまうよ」
これが現実。 違法を取り締まる機関がうまく機能していないケースは多く、労働基準法違反が常態化している会社は普通に存在する。 海里はまさか、そんな会社に自分が入ることになるとは思ってもいなかった。
(……まあ、僕にまともな企業に入る能力がなかっただけの話だ)
そう、無理やり自分を納得させようとする海里。
「こっちだって残業させたくないし、残業代払ってあげたいんだけどねぇ。 世の中には納期ってのがあってさ。 うちらの労働時間なんか、元請けさんは知ったこっちゃないわけよ」
仕方ない。 こんな会社に入ってしまったのは自分のせいだ。
(……仕方ない。 ……仕方ない? 本当にそうか?)
「まあ、仕事がちゃんと順調に進めば休めるからさ。 若いんだから頑張れ!」
海里は思う。 高山と花田に出会わなければ、こんな人生を歩むことはなかったはずだと。
(あいつらがこの世に存在していなければ、僕はもっと違う人生を……。 中学の時点であいつらを排除していれば、僕は……)
「君、人より仕事できないんだからさ、人の倍は仕事しないとダメだよ。 ほら、頑張れ頑張れ! 俺が若い頃は~……」
(……黙れ)
「前の会社、半年くらいで辞めちゃったんでしょ? ここでもすぐ辞めちゃうの? 逃げ癖、ついてるんじゃないの? そうやって一生逃げ続ける人生を送るの? ねぇ、聞いてる?」
(……殺すぞ)
「君はホントにダメだなぁ。 他の会社だったら即クビだよ。 どうせ、前の会社でもこんな使えない奴要らねえって言われてたんでしょ?」
(……殺す!)
高山も。 花田も。 中学と高校で同じクラスだった奴らも。 前の職場のあいつらも。 目の前のこいつも。
みんなみんなみんな殺してやる。 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す絶対殺す殺す――!
そう、海里が全員を殺してやろうと強く思った、その日の夜。
「良い眼をしているな、君は」
帰宅途中、暗闇から声。
「――気に入った。 力をやるよ。 君の望みを叶える力をな」
海里の目の前に現れたのは、銀髪紫眼の青年だった。




